宮台真司の『TENET テネット』評(前編):『メメント』と同じく「存在論的転回」の系譜上にある

宮台真司の『TENET テネット』評(前編):『メメント』と同じく「存在論的転回」の系譜上にある

 『メメント』と『TENET テネット』の共通項

ダース:とは言いつつ、それこそ今年話題になった公文書改ざんだったり、勤労統計の水増しについて、それ以降はその数字をもとにした記録の増殖が起こり、新しく閉ざされた檻が作られる……という視点は、『メメント』から受け取れる教訓というか。

宮台:そう。違いは、主人公のような<ヤツ>か、アベ・スカのような<ヤツら>か、というだけです。つまり、起点において「不都合な真実」を体験した<ヤツ>や<ヤツら>が、「捏造された記録」を残し、その結果、記録の自己増殖が形作る時空に<閉ざされる>という共通の形式です。他の時空から境界づけられた別の時空を生きるようになるわけです。

 僕らの社会的なゲームのプラットフォームが、捏造された「最初の記録」によって作られているので、何かの偶然で「まったく別の記録が本当はあった」という話が出てこない限り、作為的に方向づけられたゲームへの<閉ざされ>から逃れることは永久にできません。それがダースさんのおっしゃるとおり、政治領域における記録の大切さを教えてくれています。

 『メメント』の場合、主人公は起点において「不都合な真実」に突き当たりますが、自分が前向性健忘症であるのを利用して、恣意的に「捏造された記録」を残し、その後の記録の増殖に<閉ざされる>ことで、永久に「妻を殺された復讐」をメインモチーフとする時空間を生きられるようにした、というトンデモナイ話です。

ダース:重要なのは、真実に向き合うより、<閉ざされた>世界、檻のなかの方が気持ちいいから、最初にその決定をしていることです。映画の前段では、そんな主人公の性格はわからない。いつも「自分だけわかっていない」というキョトンとした表情をしていて、しかも記憶障害を持っていてかわいそうだと思わされる。実際、彼は自分が捏造した記録の檻の中だけで生きているから、ある意味で本当にかわいそうなんですが、起点において働いている悪どい計算と歪んだ性格がわかるのは、映画の中で一瞬だけなんです。

宮台:本当は徹底的に悪いヤツなんですよ(笑)。

ダース:そして、悪そうに見える刑事が、実は檻の外から呼びかけてくれている人だということがわかる。

宮台:そう。「記録」ならぬ「記憶」の喪失や新造による<閉ざされ>というモチーフは、1969年の『記憶の鍵』(ジーン・レヴィット監督)という映画以降、繰り返し描かれてきたけれども、実は「記録」への<閉ざされ>という話は、僕が知る限り『メメント』が最初で最後です。低予算のコストパフォーマンスを考えても、空前絶後の作品ですね。

 『メメント』を観た時、とにかくノーランが「めちゃくちゃ頭がいい」ことと、日常の事物の手触りを十分に感じられず、「これらは本当にあるのか」「本当にあると思える時空に<閉ざされ>ているのではないか」という懐疑に、一生を使うような性格の監督なんだなと思いました。実際、彼のその後のフィルモグラフィー(作品史)は、それを実証していますよね。

 以上が分かると、『TENET』の前提になっているプロタゴニスト[主人公という意味の英語]の、周りに展開している時空間が、ノーラン監督のどんな時空間のクオリア(体験質)に対応しているのか、明確に理解できるだろうと思います。そのクオリアを観客が自分の内側で再現できるかどうかが、あるべき『TENET』体験のキモになるということです。

ダース:言ってみると、全部が不確かな世界に生きているということですよね。

宮台:そう。『メメント』は僕らが記録に<閉ざされている>事実を、『TENET』は僕らが「時間の矢」と呼ばれる統計熱力学的非対称性に<閉ざされている>事実を描きます。「記録への盲目的依存」や「時間の矢への盲目的依存」を括弧に入れると世界体験がどう変わるかを思考実験し、<閉ざされ>から<開かれ>へとシフトすると何が可能になのかを示すわけです。

 だから、両者は「存在論的転回」の系譜上に位置するという点で「まったく同じ」です。同じく、諸学問界隈の定説に反して「世界は決定論的に創られている」と仮定した時、僕らの世界体験がどう変わるか、それで何が可能になるか、を示しています。つまり、存在論的な事実を括弧に入れたとき、自明性がどう崩れ、それが何を可能にするか、を示そうとするわけです。。

 だから、『TENET』の世界を今の物理学で説明できるかという問いはナンセンスです。「そもそも世界はそうなっている」というオントロジー(存在論的事実)を、どうせ映画なのだから変えてしまえという決断なので、むしろ物理学で説明できないほうが良いんですよ。そこでポイントになるのが、時間を逆行しても過去を変えられないという奇妙な設定です。これは何を目的とした設定なのか。

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