『TENET テネット』悪役のケネス・ブラナーが大活躍 『オリエント急行殺人事件』の重厚な魅力

『オリエント急行殺人事件』の魅力を解説

 ミステリー映画は基本的に、観客が“ディテクティブ(=探偵)”と歩調を合わせながら事件の手がかりを辿っていき、明らかに疑わしい複数の“サスペクツ(=容疑者)”の供述の中から真実と嘘を選別し真犯人を導き出すという、推理の過程と想像しえない結末に作品としての面白さを見出すジャンルである。しかしそのどちらもがあまりにも有名過ぎたとき、そのミステリーは果たしてミステリーのままでいられるのだろうか。そんな疑問を、フジテレビ系にて10月4日放送となる、ケネス・ブラナー版の『オリエント急行殺人事件』に対して抱かずにはいられなかった。結論から言えば、これは紛れもなく王道のミステリーの形式を保ちながらも、人間の内面に著しく迫ったシェイクスピア悲劇のような作品であったといえるだろう。

 イスタンブールでの休暇の最中に突如として呼び出された探偵エルキュール・ポアロは、イギリスに向かうため豪華寝台列車のオリエント急行に乗車する。本来であれば真冬の時期は空いているにもかかわらず、列車は混雑しており、乗り合わせたのは一癖も二癖もありそうな乗客たち。ポアロはその中の一人でアメリカ人の富豪ラチェットから身辺警護を頼まれるがあっさりと断る。そんななか、雪崩によって列車が脱線し立ち往生を余儀なくされ、ラチェットが何者かに殺害された状態で発見される。乗客一人一人に聞き込みを開始したポアロだったが、全員に完璧なアリバイがあることがわかり、事件の謎は深まっていくのである。

 本作が公開された2017年、来日を果たした監督兼主演のケネス・ブラナーにインタビューする機会を得た筆者は、彼にこの『オリエント急行殺人事件』という物語を一言で表現してもらった(参照:「ジョニー・デップはカリスマ」ケネス・ブラナーが明かす、豪華スター集う最新作への徹底的なこだわり)。そこでブラナーが語ったのは「人間的に複雑な要素を備えた復讐の物語」であり、「人の死によってもたらされる悲しみに、人はどのように向き合っていくべきなのかを問う作品である」ということであった。この部分を突き詰めてしまうと物語の核心に触れてしまいかねないので念のため控えるが、本作のクライマックスで明らかになる真実と、それに直面したポアロが下す決断は、まさにそういった部分を強く感じさせるものとなっているといえよう。

 そのミステリーの本筋の裏にひそむ哀しいヒューマンドラマは同時に、映画の冒頭から幾度となく語られる「人間には善と悪しかいない」という極端な善悪二元論を真っ向から否定していく。それはあたかも、人間を善と悪の二種類にすっぱりと分断し、“Avenge(=正義に依拠した復讐)”を肯定する傾向が強い近年の娯楽映画の潮流にあえて抗っているようにも思えるほどだ。善悪というものに決して絶対的なものはなく、善人さえも時として悪人に堕ちることがあり、人間を一義的に語ることなどできない。そこから生まれる葛藤というドラマ性の根底には、聖書にある赦しの教えが確かに見受けられる。それどころか、クライマックスにたどり着く直前でポアロが語る「騙せぬ者が二人いる。神と、エルキュール・ポアロだ」という言葉は、ポアロの存在が神と等しい位置にいることを裏付け、ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』のように並んだ容疑者たちの姿がさらにそれを強調していくのだ。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「作品評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる