凪沙は草なぎ剛の“愛情の化身” 『ミッドナイトスワン』は停滞した悲しみに風穴を開ける
映画『ミッドナイトスワン』で、草なぎ剛がトランスジェンダーの凪沙を演じた。「演じた」という言葉に違和感を覚えるほど、スクリーンに映る草なぎの姿は凪沙だった。
ネグレクトにあっていた親戚の一果を嫌々引き取り、共同生活を続けていくうちに、愛情を育んでいく2人。一果の持つバレエの才能を伸ばしてあげたい、そう願った凪沙が就職するために男性の装いになるシーンは、私たちがよく知る“草なぎ剛“の格好であるはずなのに、私たちの知らない“凪沙“にしか見えなかった。それくらい、草なぎ剛は凪沙だった。
草なぎを凪沙にした、愛しい時間たち
「余計なことをせずに、一果が愛おしく思えればと思っていた」。草なぎは、凪沙になっていた時間のことを、そう振り返っている(参照:草なぎ剛「本当にいい作品にめぐりあえた」 内田英治監督と語り合う『ミッドナイトスワン』の挑戦)。今回、一果役を務めたのが新人の服部樹咲だったことも大きかった、とも。トランスジェンダー役という新境地に手探りな草なぎと演技初挑戦の服部の出会いが、そのまま人生を模索する凪沙とまだ何者でもない一果に重なって見えた。
もともと資料をたくさん用意して、リハーサルを重ねて作り上げていくことを考えていたという監督の内田英治は、脚本監修を手掛けた乙女塾の西原さつきとの対談で、「(草なぎに)いざ会ってみたら男とか女とかトランスジェンダーとか性別関係ない感じだなこの人と思ったし、衣装着ただけであんなに女性が中に入っていて…」と話している(参照:『ミッドナイトスワン』とトランスジェンダーについて 監督・内田英治×脚本監修・西原さつき | 映画board)。
きっと、凪沙は草なぎ剛という人の“愛情の化身”なのだ。だから「演じる」という言葉に違和感があったのだと思った。自分を愛したい、誰かを愛したい、そして愛する人から愛されたい、でもうまくいかない。凪沙は、トランスジェンダーという多くの人にとって未知な事情を抱えているように見えるかもしれない。だが、愛を持ってどう生きるかに苦悩しているという根幹の部分では、誰もが共感できるキャラクターとも言える。
「女性はこう」「男性はこう」と言いきれないように、「トランスジェンダーってこういう人」と、ひとくくりにできるものなんてない。だから、凪沙の一果を愛しいと思う気持ちと、自分自身が持つ愛情を重ねていくだけ。そんなシンプルな解答に行き着いたのは、草なぎの心のフラットさゆえだったのではないだろうか。
凪沙と一果が徐々に心を通わせていく中で、公園でバレエを教わるシーンがある。「教えなさいよ」「え、じゃあ……」「私が習いたいやつと違う」「うるさい」と憎まれ口を叩くけれど、そこに通い合う温かなものがあるのを感じる。引き取った最初のころとは明らかに違う空気感。実はこのシーン、凪沙が「バレエ、教えなさいよ」と声をかけるあたりから、アドリブなのだというから驚きだ。
ふと草なぎが10代のころ、親友である香取慎吾と路上ダンスをしていたというエピソードを思い出した。2017年、『おじゃMAP!!スペシャル』(フジテレビ系)で“原点回帰“として、ストリートダンスをしたときに香取が「俺、間違えた」「何、間違えてんだよー」という会話をしていたと振り返っていた。
また、3年前に愛犬クルミちゃんを迎えたことも大きかったようだ。「初めてわんちゃんを迎え入れたんですけど、僕にもこういう気持ちがあったのかと気づきました。元気に育ってくれて嬉しいな、僕自身も幸せだなと思う気持ち。もしかしたら僕の親もそれに近い感情で育ててくれたのかなと思ったりします。そういう気持ちをクルミと暮らすことで知りました」とインタビューで語っている(参照:トランスジェンダーの“母”として生き抜いた草なぎ剛と内田英治監督の覚悟 映画『ミッドナイトスワン』インタビュー 【ABEMA TIMES】)。
用意したごはんを一果が食べるのを見て愛しそうに目が細くなるのも、一果の傷に触れる手が自然と震えていたのも、愛する者を前にしたときの反射そのもの。くすぐったくて、情けなくて、やっぱり愛しくて……草なぎが過ごしてきた愛しい時間や記憶が無意識のうちに投影されている。それが『ミッドナイトスワン』がフィクションでありながら、ドキュメンタリーのように重みのある作品にしているのかもしれない。