『37セカンズ』HIKARI監督が語る、世界の巨匠たちを見つめたとき 「私はまだスタート地点」
第69回ベルリン国際映画祭で、パノラマ部門の最高賞となる観客賞と国際アートシアター連盟(CICAE)賞をW受賞した『37セカンズ』。
本作は、生まれた時にたった37秒間呼吸が止まっていたことが原因で、手足が自由に動かない身体になった主人公・貴田ユマ(佳山明)が、自分にハンディ・キャップがあることをつきつけられる日々の中で、ある出来事をきっかけに、自らの力で“新しい世界”を切り開いていく物語だ。
世界各地の映画祭から招かれている本作は、HIKARIの初長編監督作品となる。18歳で単身留学、ジョージ・ルーカス、ロン・ハワードら映画監督を輩出した南カリフォルニア大学で学び、本作をきっかけにハリウッドからのオファーが殺到中、現在も大型プロジェクトが動き出している。女優、カメラマン、アーティストとして活動した経歴を持つHIKARI監督に話を聞き、本作の制作の経緯から監督のルーツを紐解いていく。
「監督は流れで辿り着いた」
――最初はなぜカメラマンのお仕事を?
HIKARI:監督は流れで辿り着いたようなもので、アメリカで写真の仕事をしていた時は、役者、ミュージシャンやアーティスト、時には結婚式も撮影していました。ビザがないと公に仕事ができないので、どうしようかと思っていたときに、お母さんからもらった35mmのカメラを見つけて、なんとなく役者の友達の写真を撮影するようになったんです。日本からミュージシャンがきた時に通訳をしながら、写真をチャチャっと撮ったりもしてたけど、それまで本格的にカメラなんていじったこともありませんでした。ユタ州の大学で油絵を専攻したんですけど、油絵とは違って「シャッター押すだけ? 乾くの待たなくていいの?」と当たり前のことに感動して。油絵って乾くのをすごく待たないといけないけど、写真は、被写体を決めて、照明調節して、レンズ決めて、撮るだけって、めっちゃ簡単やん! って(笑)。私が役者として写真を撮ってもらっていたので、その時のカメラマンさんの見よう見まねで学びました。時にはアシスタントで参加させてもらったりして。ただ、飽きたわけではないけれど、20代の後半で新しい何かをしたい時期があって。女優としても、常にジャッジされることについても、「もういいかな」と思ったのが重なり、母に相談したら、「次は作る側になったら?」と言われて、それじゃ、やってみようかなと。
――カメラマンから、すんなりと監督の道を選べたんですね。
HIKARI:最初は、映画制作のことなんて全く無知だったので、、「監督って何やるの?」っていう状態でした。私が映画を学んだUSC(南カリフォルニア大学院)では、入学式に学院長から 「映画監督なりたい人?」と問われるんですが、学生45人全員が手を挙げたのを見て、「この中で監督として成功するのは2人とかだから、今から手に職をつけときましょう」と言われて。みんな「ガーン…(汗)」みたいな(笑)。なので、もともとカメラは大好きだったし、私はカメラマン・撮影監督ができる監督になろうと思って同時に勉強してきました。でも大学院では 、編集もサウンドもプロデュースも制作も、映画制作に関する全てを学ぶので、その中で自分がやりたいことプラス、卒業後に仕事としてできることをさらに学ぶというシステムで、授業を受けながら、他の学生の作品に助監督、ギャファー(照明技術者)、グリップ(助手)、カメラアシスタントやコスチュームデザイナーとして参加しました。最終的には監督と撮影監督にだけフォーカスしていました。
――勉強を進めるうちに、映画監督像は見えていったのですか?
HIKARI:やはり監督は最初から楽しかったので、なんとかして監督で生きていけるようにしないといけないとは思っていて。ただ、カメラマンでやっていく手もあるなと思ったので、大学を卒業してからも両方していました。ショートフィルムを作る合間に、ストップモーションのアニメの撮影監督もしました。でも、卒業制作の『Tsuyako』で世界中を巡って、長蛇の列ができるくらい大勢の人が私の作品を観て感じたことを上映後に直接話してくれて。 戦後の女性同士のラブストーリーだったのですが、40歳代の観客の方が涙を流しながら、「僕、今からお母さんにカミングアウトする」と言われて、「素晴らしい。これまでよく我慢したね、頑張ってください」と話したのがとても記憶に残っています。背中をポンと押してあげる何かを与えることができたんだと思って、その時に監督の仕事のやりがいに気づきました。同時に、前向きな気持ちになれる映画を作るのが、私の使命かもしれないと考えて、もうブレずに監督だけをすることにしました。
――なぜこの物語を長編デビュー作に選んだのでしょう?
HIKARI:「当たらない影に光を当てたい」と思ったのが理由です。基本的に車椅子の子、障害者の役を健常者の役者が演じることは多いと思います。でも、実際に車椅子で生活している子に演じてもらうことで、障害を持っている子も前に出れるような勇気や、“できるんだよ”という可能性を見せたかった。それと、劇中に出てくるような人たちの存在を知ってもらいたいと思いました。映画に出てくるデリヘル嬢なども偏見があって、色眼鏡で見られる職業だけど、あえてそういうイメージで見てもらいたくなくて。人類みんな、どんな環境に置かれていたとしても、それぞれ目標があって生きていると私は思うので、それを映画で表現したいと考えていました。