ポン・ジュノは初めからポン・ジュノだったーー『パラサイト』でアジア映画初の偉業を果たすまで
『グエムル -漢江の怪物-』(2006年)は、一風変わった怪物映画である。ポン・ジュノの出身地でもある首都ソウルに流れる雄大な流れである“漢江(ハンガン)”流域を舞台に、ソン・ガンホやペ・ドゥナらが演じる、どこか頼りない家族が集まって、謎の怪物に連れ去られた一家の大事な子どもを、韓国政府に追われながら捜索するという内容。未知のウィルスによる騒動や、それにまつわる情報の錯綜と混乱が引き起こす人権弾圧など、社会的な側面は深化し、複雑かつ立体的な像を結んでいく。薬剤が散布されるシーンの美しさも忘れられない。
ポン・ジュノ監督作品の様々なシーンが印象に残るのは、絵作りの美しさ、面白さが突出しているからだ。これは、本人がもともと漫画家志望だったことが大きい。日本の漫画やフランスのアーティスティックなコミック(バンド・デシネ)を参考にするほどの漫画好きであることが、より具体的かつ立体的で緻密な画面設計を可能とした。この技術による瀟洒な画面こそが大きな武器なのである。
次に紹介するのは、身が震えるほどの傑作『母なる証明』(2009年)である。私自身がそうであるように、これがポン・ジュノ最高傑作だと考える観客も多いはずだ。少女殺人事件の容疑者とされた青年と、その容疑を晴らそうと奔走する母の物語。この簡単なあらすじを聞いて観客が予想する展開を、作品は遥かに超え、彼方までぶっ飛んでいく。
興味深いのは、ここで描かれる人間の奥深さやおそろしさである。観客が一見して、登場人物の特徴を理解したと思ったら、それぞれに意外な一面が顔を覗かせるのである。そんな二面性が生む人間ドラマが絡み合っていく、複雑ながら見事な脚本と、陰影や意外な構図など、人間の内面を効果的に見せる演出が素晴らしい。「韓国の母」と呼ばれるキム・ヘジャを、主役である母親役に迎えたことで、とくに韓国の観客は阿鼻叫喚の境地を味わったであろう。
この作品において、道端で放尿する最中の息子に、母親の手で漢方の飲み薬を含ませる姿を、上からの角度でとらえた構図は、映画史に残る、良い意味で狂ったカットである。こんなめちゃくちゃなシーンを、他の映画で見たことがあるだろうか。天才であるにも程があるのではないか。
その後、監督としては、慣れないハリウッド進出作で苦戦したものの、貧富の格差問題を分かりやすく視覚化した『スノーピアサー』(2013年)、Netflix製作で、搾取の構図を残酷に、しかし弱い立場にいる者を共感を持って描いた『オクジャ/okja』(2017年)によって、ポン・ジュノ監督の才能は、国が変わっても問題なく通用する普遍性を持っていることが証明されている。
ここまで書いていくと、いままでの作品の要素は、どこかで『パラサイト 半地下の家族』とリンクしていることが分かるだろう。それらの要素が含まれるだけに『パラサイト 半地下の家族』は、いつでも作品の内容に驚かされてきた、ポン・ジュノ監督のファンとしては、じつは意外性が少ないように感じられる作品だということも言える。つまり『パラサイト 半地下の家族』は、監督自身のセルフオマージュ的な作品であり、だからこそ完成度が高まり、多くの観客の心をとらえたということも、いえるかもしれない。そして、ポン・ジュノ監督作に初めて触れる観客であれば、その衝撃は計り知れないだろう。
とはいえ、他の作品と比べると、一長一短、どちらが優れていると即答するのは難しい。ポン・ジュノ監督の凄いところは、『パラサイト 半地下の家族』が、その質だけを見れば、とくに特別な作品ではないという点である。その、誰にも有無を言わさぬ規格外の才能を持ってして、初めて“奇跡”と呼ばれる現象が起こせたのだ。