『カイジ』シリーズが見せた日本映画としての可能性 藤原竜也のテンション高い演技の凄まじさ

『カイジ』シリーズ、日本映画としての可能性

 アニメやゲーム、パチンコなどでも人気を集めている、福本伸行の漫画『カイジ』シリーズ(現在、『賭博堕天録カイジ 24億脱出編』が連載継続中)を原作に、藤原竜也を主演に迎えて実写映画化したのが、『カイジ 人生逆転ゲーム』(2009年)、『カイジ2 人生奪回ゲーム』(2011年)、そして9年ぶりとなる続編にしてシリーズ最終作と銘打たれた『カイジ ファイナルゲーム』の3部作だ。

 ここでは、そんな本作『カイジ ファイナルゲーム』の内容とともに、ファイナルを迎えた映画版『カイジ』シリーズを前2作を含めながら総括していきたい。

 原作漫画の面白さは、なんといっても、主人公・カイジが挑戦する、バラエティに富んだギャンブルの複雑な展開だ。通常の物語であれば、主人公が一発逆転するような刺激的なアイディアをひとつ出せば成立するところを、二転三転、四転五転して、まだまだその先があるという物語を用意することで、娯楽作品として圧倒的な魅力を備えるに至ったのである。とくに、誰もが知るシンプルなゲーム“ジャンケン”を、株式投資のような頭脳戦にまで高めた、「限定ジャンケン」の先の読めなさは衝撃的だった。

 だが、そんな『カイジ』シリーズ映画化における問題は、そもそも作品自体が“映画向けではない”という部分だったろう。なぜなら、大きな魅力である原作の複雑な展開は、漫画という表現媒体が、文字を中心に成り立たせることができるという強みを活かしたことで実現したものだった。それをそのまま実写作品やアニメーションにしてしまえば、登場人物の心情や、賭けの状況説明といったものを、ほとんど音声によって表現せざるを得ない作品になってしまう。とりわけ、キャラクターの心の声を観客に聞かせるような演出は、映像作品として、可能な限り避けなければならないのが基本だ。映像の力や、言葉に表さない演技によって内容を表現することこそが、映像作品の本分であるからだ。

 だがアニメ版同様に、実写映画版は、そのような演出手法をとくに悪気もなく受け入れ、内面を言葉で説明していく方法を選択。さらには、通常声に出さないような言葉をそのままセリフとしてしゃべらせることで、複雑な展開を再現しているのだ。これは、ある種の価値観からいえば、映像作品としての“自殺”とも受け取れるような演出といえよう。

 一方で、本当にそれが映画の本質なのかという問いかけもあり得るだろう。アメリカで1927年に初めて商業作品として音声をとり入れた『ジャズ・シンガー』が成功を収めて以来、映画における音声の文化にも奥行きができていったのも事実だ。セリフが主体となる映画が低級だという指摘は、絶対的なものではないはずだ。その意味で、より複雑な内容を描くために、映画表現の作法を破ることは、むしろ挑戦的といえるかもしれないのだ。

 この演出が、はっきりと魅力を生んだ瞬間もある。第1作『カイジ 人生逆転ゲーム』において、香川照之が演じた、ギャンブル主催者「帝愛」幹部・利根川が、カイジを睨みつけながら「蛇め……! 蛇~っ!」と独白する描写は、異様な熱気がこもっており、ここは原作漫画をはるかに凌駕していて、私も好きな名シーンだ。

 そして、むしろ奥に引っ込んでいたと思われる、映像的な面白さも、この箇所で復活をとげている。心の中で「蛇め」とカイジを罵倒する利根川は、まさに蛇のように見開いた目でカイジを凝視するのだ。それはあたかも前衛的な“表現主義”とも接近を見せ、逆に“映像的”にすらなっていると指摘することもできる。本シリーズはTVドラマ風のコミカルな演出が散見され、いわゆる大作映画が持つ本格派な雰囲気は希薄かもしれない。けれども、そんないかにも大衆的に見える作品のなかに、むしろ芸術映画よりもさらに芸術に接近している部分が存在する場合もある。これこそが映画の醍醐味のひとつであり、媒体としての懐の深さではないだろうか。

 この香川の名演を引き出したのは、藤原竜也の、良い意味でのオーバーアクトにあるだろう。舞台で蜷川幸雄や渡辺えり、唐十郎などの演出家に鍛えられた 藤原は、キャリアの初期より、独自の演技世界を確立してきた存在だ。『バトル・ロワイアルII【鎮魂歌】』(2003年)の冒頭で演説する藤原のあまりに異様な表情を見てほしい。演出する側の意図を超えた狂気を放つ演技は、ジャック・ニコルソンのそれを彷彿とさせる。本作『カイジ ファイナルゲーム』においても、吉田鋼太郎演じる帝愛幹部・黒崎の顔面に顔を近づけ、あり得ないほどの至近距離で説教をする奇妙なシーンが楽しい。

 そう、香川照之も、第2作でライバル・一条を演じた伊勢谷友介も、そんな藤原の演技としての狂気に呼応するように、異様なテンションで役を演じていたことで、不思議な熱気が発生しているように思われる。そこから生み出される、演技者としての互いのライバル意識やコンビネーションが、シリーズの大きな魅力となっていたのは確かなことである。

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