安達奈緒子の3作品が高評価! “日常系”が増え始めた2019年を振り返るドラマ評論家座談会【前編】
“日常系”の定着と、YouTube的なドラマ
西森:「ずっと見てたい系」のドラマってありますよね。『架空OL日記』(読売テレビ・日本テレビ系)の時にこれが一生続けばいいのにと思ったんですが、『俺の話は長い』もまさにそうで。満(生田斗真)の髪にくせ毛が立っているのも、アニメの『おそ松さん』を思い出すんです。また、オジリナル脚本の会話劇で、1時間で2本というのも新しい挑戦だと思います。テレ東やNHKの深夜、もしくはよみうりテレビとNetflixがやっていたような作り方を、日テレが土曜10時の一時間枠にやるのは意外でした。
田幸:アニメでは「日常系」が一大ジャンルとして定着していますが、ドラマにも、そのアニメのテイストを感じるようになってきました。寝る前にゆるゆると見るのにちょうどいい空気感というか。『俺の話は長い』も一部ではアニオタでハマっている人もいるみたいで、若い世代がもっと見るといいのにと思いました。
西森:形としては昔のホームドラマを踏襲していますよね。ご飯を食べながら、大人数で会話を展開させていく。だからって、古き良き家族の形にこだわっているわけでもない。大家族がちゃぶ台を囲んでいたはずなのに、最終回では結局、母親とニートの息子の二人暮らし、いわば今どきの核家族に戻っていく。それが、放送中から見えているから、家族の団らんモノであっても、どこかそうではない感じがしていました。ただ、近所には住んでいるし、なにかあればまたあの形に戻ることもできるから、今後もスペシャル版などが放送されるだろうし、ずっと続いていくんでしょうね。
成馬:一方で、『あなたの番です』みたいなSNSで盛り上がったイベント的な作品もあって。今まで通りのドラマ作りが限界に近づく中で、日テレは試行錯誤していますよね。かなりバリエーションが多い。
西森:日常系というところでは、今年は『サ道』(テレビ東京系)みたいなドラマもありましたね。「サウナ=男らしい」とか、「何分サウナに入っていられるかのホモソーシャルな競争」みたいなイメージがありましたが、『サ道』はそれとも違って、マウンティングもなくて、ゆるやかに仲間と一緒にいながら、個人個人は自分の内面に入ったり、自分で自分を癒したり、自分を見つけていくということを軸にしたドラマだと感じました。
成馬:同じテレ東の『ひとりキャンプで食って寝る』もそうですよね。『孤独のグルメ』からある流れで、グルメドラマの手法を使えば、サウナもキャンプもできるというのが驚きで。あと、他人と競うのではなく、自己完結的に楽しんでいる姿を描いているのが現代的ですよね。ドラマともバラエティとも言えない世界観が不思議な形で成立している。もしかしたら、YouTubeの影響が大きいのかもしれませんね。芸人ヒロシがキャンプする姿を延々とみせる「ヒロシちゃんねる」や「inliving.」というもともと、りりかという名前で女優をされていた方が、無印良品みたいな生活を過ごす姿を延々とみせる動画が、今はすごく人気ですが、あの流れがドラマにもきてるんだと思います。
西森:だからこそ、阿佐ヶ谷姉妹のモーニングルーティンみたいな話がドラマになったら面白いですよね。テレ東が合いそうだけど、日テレも『俺の話は長い』みたいな雰囲気ならよさそう。
成馬:『きのう何食べた?』も、この素材と値段でこんな料理が作れるっていう料理モノとして純粋に楽しいですよね。野木亜紀子さんが1月からテレ東でやる『コタキ兄弟と四苦八苦』もそういう方向にいくのかもしれません。
西森 『フェイクニュース』(NHK総合)の光石研さんの時から、おじさんを主人公にしたいって野木さんも言われていましたね。おじさんが自分たちで楽しいことを見つけて暮らすというものは、どんどん作ってほしいですね。
「批評」から「考察」へ ドラマの受け止め方の変化
田幸:『ゆるキャン△』もドラマ化されますし、やっぱりちょっとずつ漫画やアニメの流れがドラマにも来ていますよね。『あなたの番です』で発生した「考察班」というのも、漫画・アニメの世界で10年以上前からネットを中心に盛んに行われてきて、それが今年ドラマに入ってきた。
成馬:今は「考察」で「批評」とは言わないんですよね。僕らの世代では「批評」と言って、作品のテーマや作者の意図を探っていくと同時に、同時代性や自分自身がどういう影響を受けたのかを語っていくものだったけど、「考察」という言葉は、「作品の中にちりばめられた謎には、実はこういう意味があるんです」という意味づけを考えることですよね。
田幸:『20世紀少年』も連載中にネットで盛んに議論されていて、考察班がああじゃないかこうじゃないかって言っていたんだけど、いざ作品で描かれたオチにがっかりするということがありました。今のドラマには当時の盛り上がりと近いものを感じます。
成馬:作品の受け止められ方が変わったんでしょうね。昔は素人も含めて全員批評家みたいな状態だったけど、今は“批評を切り離す”行為をみんな無意識にやってる。それが「考察」という言葉に象徴されているように感じます。
西森:でも、作品によって逆なところもあって、『HiGH&LOW』は考察よりは批評を求めているように感じますけどね。アイドル周りだと「論考が深まる」って言い方をしますよね。いろんな要素が入ってきて、その対象を読み解く力が高まったっていう。
「現実との答え合わせ」が、ドラマというジャンルを滅ぼす可能性も
成馬:そのあたりは、ジャンルによってだいぶ違うのかも。『HiGH&LOW』は今や大ヒット作品だけど、まともな作品として見てもらえなかった時期が長かったから、そういう批評もファンは嬉しいのかもしれない。一方で、『いだてん』のように実在の人物や歴史をもとにした作品だと、史実通りの物語か、その時代の衣装、小道具、喋り方として正しいか、という部分を視聴者が厳密にチェックするようになっている。それに対して作り手も、すごく細かく取材するようになって、忠実に再現するという、いたちごっこが繰り広げられている。作り手も受け手も「現実との答え合わせ」に躍起になっていて、それが面白いと思う一方で、これでいいのだろうか? とも思います。それは『わたし、定時で帰ります。』(TBS系)にも感じていて。「定時で帰る」というタイトルにした時点で、「定時で帰れる会社なんかない」という人と「そんなの当たり前じゃん」という人が論争を始めた。もちろん、内容を見たらまた印象が変わるんですけど。
田幸:確かに、実際見てみたら放送が始まる前の印象と別物だったという声は多く見かけました。決して「定時で帰る」話ではなかったですからね。
成馬:作品の評価とは別に、ドラマ全体のリアリティの要求水準が上がりすぎたがゆえの「息苦しさ」を感じることが、今年は特に多かったんですよね。『だから私は推しました』(NHK総合)もかなり取材をして作っていて、アイドルの描写は完璧だったとは思うのですが、じゃあ、リアルであればいいのかというと、また別だと思うんですよね。現実に忠実かどうかだけを基準にすると、ドラマというジャンルが滅びてしまうと思うんですよね。ルール設定の息苦しさについていけない人が増えて、マニアがジャンルを殺すことになりかねない。
西森:ネットでもアーティストが批評について語ることがあると、炎上もすることもあるけど、逆にすごくその見方が面白いなと思うこともあって、私は、今一番興味があることは、批評なんですよね。