坪田義史監督が映画『だってしょうがないじゃない』に込めた願い 「発達障害の社会的受容に繋げたい」

坪田義史監督が語る、創作を通した願い

 坪田義史監督の最新作『だってしょうがないじゃない』が現在公開中だ。

 本作は、発達障害を抱えながら独居生活を送る叔父の日常を、発達障害と診断された坪田監督が3年間撮り続けたドキュメンタリー映画。精神に不調をきたした坪田監督が、発達障害を持ちながら一人暮らしをする親類の叔父(まことさん)がいることを知る。坪田監督はまことさんとの交流を深めていく中で「親亡き後の障害者の自立の困難さ」や「障害者の自己決定や意思決定の尊重」「8050問題にともなう住居課題」などの問題に直面していく。

 前作『シェル・コレクター』から3年半、なぜ今回ドキュメンタリー映画を撮ろうと思ったのか、制作に至る背景から、被写体となったまことさんとの出会いややりとりについて、坪田監督に話を聞いた。

「精神疾患を創作行為で乗り越えていきたい」

ーー『シェル・コレクター』から3年半が経ちますが、今作を手掛けようと思った経緯を教えてください。

坪田義史(以下、坪田):40歳を過ぎて、前作『シェル・コレクター』が終わってから、発達障害ADHDという診断を受けました。僕は40歳を越えるまではそういった障害名を意識せず、なんとかやってきた自負もあり、どう捉えていいのかわからない混乱や孤独感があって、その診断をなかなか受容できずにいたんですけど、同じ発達障害のグループで広汎性発達障害を抱えながら一人暮らしをしている親戚のおじさんがいると知り、会いに行きました。以降、交流を重ねて、親戚のまことさんに惹かれていく自分がいて、ありのままを記録していく中で、一本の作品にできるのではないかと思って、約3年間が過ぎていきました。

ーーお会いした時に作品にしようと思い立ったのでしょうか。

坪田:最初は、闇雲に交流を重ねていって、同時にカメラもコミュニケーションのツールになっていきました。まことさんが、突発的な僕を受け入れ、撮影行為を対話として楽しんでくれる時間が生まれて、いろいろな場所に行って、僕とまことさんの発達障害は厳密には違うんだけども、その違いが起こす化学反応みたいなものをすくい取りたくなりました。それを積み重ねていく中で関係性が深まり、変化して映画になっていきました。

ーー『シェル・コレクター』を撮った坪田監督の最新作が、ドキュメンタリー作品というところに驚きました。

坪田:僕は大学在学中にセルフドキュメンタリーを撮っていて、フィクションとドキュメンタリーが混在した作品を作っていました。それが起点となっているので、常日頃から撮影という行為はドキュメンタリーとフィクションの境目にあるとは思ってます。

ーードキュメンタリーと劇映画で感覚の違いなどはあるのでしょうか?

坪田:大きな違いは、決められたシナリオが明確にあるかないか、関わるスタッフの人数や体制だったりするかもしれませんね。劇映画の役者さんは撮影現場に“役者”として存在していて、まことさんは“親戚”として、そこに生活がありました。全然違いますよね。ただアニメパートの制作や編集作業、ナレーション、音楽、整音などの過程は、感覚的には劇映画と似ています。

ーー映画を見ていると、坪田監督とまことさんのやりとりがとてもファンタジックに切り取られているように感じました。坪田監督はまことさんのどんなところに惹かれたのでしょうか。

坪田:自由気まま、ありのままに惹かれました。世の中の既成の価値観や概念、ある種の規範、そういうものから自由になれるのがまことさんの魅力だと思います。よく僕ら発達障害を持っていると常々「もっと普通にしろ」と言われます。でもその「普通」ってなんだろうか。この映画には、まことさんは撮影という行為に触発されて、日常のたわいもない会話や、外に出て遊ぶことが社会が作った障壁を乗り越えていく契機を生み出しているんじゃないかなと思います。

ーー本作は3年という長い期間を切り取っていますね。

坪田:僕のモチベーションとしては、精神疾患を創作行為で乗り越えていきたいという気持ちでした。『シェル・コレクター』も、興行的にも難しい部分があったので、その中で次何を作るかというところで、障害の診断を受けたので、それを題材にしていこうと思っていました。そして発達障害というのは定義も曖昧で、見えづらい障害です。だからその見えないものを浮かび上がらせるのが映画監督のエゴとしてあるんですよね。見えづらい自分の障害や、わかってもらえないものを、創作によって発達障害の社会的受容に繋げたい、そこに創作意欲が湧きました。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「インタビュー」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる