坪田義史監督が映画『だってしょうがないじゃない』に込めた願い 「発達障害の社会的受容に繋げたい」

坪田義史監督が語る、創作を通した願い

まことさんの所作に「スペクトラムな光を浴びました」

ーーまことさんとの3年間はあっという間でしたか?

坪田:あっという間ですね。まことさんの障害ゆえの所作に生き様を感じるんです。まことさんの所作は、映画の中の時間軸だと長いと感じるかもしれませんが、それをありのままに使いたいと思ったんです。歯磨きをしたり、体を洗ったり、服を着替えたりと、それぞれの所作にまことさんの生き様が見えるので、僕はそれを記録していきました。

ーー石鹸をしまう、靴を直すといったまことさんの所作を、愛を持って見守っているように見えました。

坪田:3年という時間をかけて、待てるようになったといった方が正しいかもしれないですね。対話を繰り返し、だんだんと人と人が理解していく時間があって、その中でまことさんの時間が見えていった。人より少し時間がかかるけど、彼の中ではそれがルーティン、当たり前なんです。それに向きあっている様子は、力強くて美しいというのが僕の考えです。

ーーまことさんがお風呂を浴びるシーンは特に美しさを感じました。

坪田:僕もそこにスペクトラムな光を浴びました。先日の上映で、ダンサーの方が見にきてくれたのですが、その所作について、「あの動きはすごい、力の入れどころが違う、ルールや目的を感じる、生活空間でのある種、儀式のようだ」と反応してくれました、そういった新しい視点も生まれてきました。そういった普段身体表現をしている方が見ても感じるところはあるのかもしれないですね。

ーー鑑賞者によって、まことさんという人間が違ったように見えていくんですね。

坪田:種類や濃度の違いがあれど発達障害者が発達障害者を追う、そこに当事者性があると思います。この映画のカメラを回し始めた年に、相模原障害者施設殺傷事件が起き、NHKの『バリバラ〜障害者情報バラエティー〜』という番組で、障害者が取材記者として、事件の被害に遭った方に、今の思いを聞きにいくという回がありました。障害者の当事者目線で事件を取材するという姿勢に「これはすごいな」と思って、そこに触発された部分もあるんです。

 僕も障害の診断を受けて、なにか社会から弾き飛ばされたような気持ちもありました。社会が発達していく中でも、人間の発達のスピードは一定で、そのズレが発達障害の定義を広めている部分もあると思います。社会の中で生産性を問われる中で、僕らにはできることとできないことがあります。僕にとってできることは映画を作ることで、その発達の凹凸の突出したところでサバイブしていきたいという気持ちもあります。その意思とまことさんの、障害を抱えながら1人で独居生活をしていくというサバイブ感が作品の中で反応を起こしているんじゃないかなと。1人の老人の孤独がカメラによって紛らわされていく、そして呼応していく、そういったものがコラボレーションなのかなと。それで共感したり、共振したりしていくというのがこの映画のバディー感、スタイルだと思っています。

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