“週5日放送”がもたらす朝ドラの変化 脚本家にとってはプラスの側面の方が大きい?
NHKの連続テレビ小説(以下、朝ドラ)は、次回作『エール』(2020年春放送開始)から、月から金の放送となり、話数が約一カ月分(26話弱)削減される。7月24日におこなわれた木田幸紀放送局長が登壇したNHKの定例記者会見によると、4Kで制作するために準備、収録、編集といった制作時間が伸びることと、ドラマ制作が深夜に及ぶことを防ぐという働き方改革に考慮した判断だという(参考:週5短縮のNHK朝ドラ、土曜はダイジェストも検討)。NHKは2013年に女性記者が過労死した問題をきっかけに、2017年に「NHKグループ働き方改革宣言」を公表しており、勤務の見直しを図っていた。
大河ドラマや朝ドラのスタジオ収録は原則21時終了を目標としており(参考:NHK働き方改革宣言 スタジオ収録22時まで)、新作発表やクランクアップの時期も近年は早まっている。元々、朝ドラは長期に渡る撮影スケジュールであったため、主演俳優や番組スタッフ、特に終始出ずっぱりとなる主人公を演じる役者に対する負荷が強かったのだが、今回の削減で撮影時間においては、だいぶ緩和されるのではないかと思う。
近年は、民放の連続ドラマでも(主演俳優のスケジュールの関係で)放送時点で撮影が終了しているものが増えている。その意味で制作形態もだいぶ多様化してきたと言える。元々、テレビドラマは映画に比べるとギリギリのスケジュールで作られているものが多かった。そのリアルタイム性が時代の空気を巧みに取り入れる効果を生み、視聴者の反応を放送中に反映していくというライブ的な面白さを作品に与えていた。しかし今年放送された『わたし、定時で帰ります。』(TBS系)で描かれたように、そういった作り手を追い込むことで生まれる奇跡を作品に期待するのは、ブラックな長時間労働を美徳とする古臭い労働感と表裏一体のもので、今後は廃れていく価値観だろう。
そもそも朝ドラは準備期間が長く、放送開始頃には半分以上撮り終えていることが多い。そのため、視聴者の反響を見て内容を変えていくという臨機応変な対応が難しかった。
しかしそれでも同時代的な作品は多数作られている。現在放送中の『スカーレット』も同様で、貧困が生まれの格差となって現れるという、上級国民という言葉が流行語大賞にノミネートされる時代とマッチした内容となっている。
だから、スケジュールの過酷さと作品の優劣は別だと考えるべきだろう。
では、内容面においては、話数短縮は、どのような変化をもたらすのか?
1961年に放送が始まった朝ドラは第一作の『娘と私』が250話、翌年の『あしたの風』から1974年の『鳩子の海』までは310話弱、つまり一年間放送されていた。それ以降は『おしん』、『君の名は』、『春よ、来い』が例外的に一年間放送されていたが、他の作品は現在の半年(上半期の放送は26週×15分で156話弱、下半期は年末年始を挟むので150話弱)という話数に落ち着いている。
この半年という長さが武器となり、様々な名作を生み出されてきたのだが、実はこの“長さ”をしっかりと使いこなせている脚本家は決して多くない。毎日少しずつ放送されるという放送形態は、伏線を張り巡らせた複雑な物語を作るには話数が多すぎるため、視聴者がついていけなくなる。そのため、実は大きな変化を描くことは難しい。
戦前・戦中・戦後という激動の時代に翻弄される人々を描いた壮大な物語にみえても、その多くは家族と職場を往復するような話がほとんどで、いわゆる歴史劇のような壮大な物語を描くにはスケール感が足りない。何より朝の8時に放送されるので、慌ただしい展開は向いていない。