『アラジン』成功の理由を分析 キャスティングと監督の選定に見る、ディズニーのプロデュース力

実写版『アラジン』成功の理由を分析

 しかし、この考え方はハリウッドにやっと浸透しだしたということで、まだあまり体制が整っていないところがある。大部分の白人俳優と、それに次ぐ黒人俳優で占められるハリウッドの大スターたちに対して、アジア圏の俳優の層が薄いのだ。それは、裏を返せばアジア系俳優にスポットがあたるケースがいままで少なかったことを意味している。

 アラジン役として候補に挙がっていたのは、アラブ系、インド系などの俳優だ。しかし、『スラムドッグ$ミリオネア』のデヴ・パテールは、アラジンを演じるにはケレンが足りてないように感じるし、『ヴェノム』のリズ・アーメッドは、イメージがぴったりではあるものの、年齢が上過ぎるように感じられる。『ボヘミアン・ラプソディ』のラミ・マレックは、最近スターダムを駆け上ったエジプト系俳優だが、彼も年齢の面で厳しいかもしれない。このような状況であれば、色のついていない俳優を選ぼうというのは自然であるだろう。

 そんなスター不在の穴を埋めるのが、言わずと知れた超大スターのウィル・スミスである。彼が演じるのは、ランプの魔神ジーニー。人種の面では疑問符がつくキャスティングだが、人間でなく魔神なので、ここだけは許してほしいというところだろう。アニメ版ではロビン・ウィリアムズが演じ、登場時からラストまで、ほとんどのシーンでしゃべりまくる役だけに、口から生まれた口番長のようなウィル・スミスは、まさに適役だといえ、スター性の補強という意味でも、ここはハリウッドのなかでもトップクラスといわれる、並外れた高額ギャラを払う価値のある選択だったといえよう。

 主演俳優にスターを使えなければ、超大スターを投入することで全体を支える。このようなキャスティング術が、本作を娯楽大作として成立させているのだ。

 そして名前だけではなく、ウィル・スミスのミュージカルシーンにおける、ミュージシャンとしての実力はもちろん、底抜けに明るい性格のなかに、自由を奪われた下僕としての悲しみが隠されているジーニーという役を、見事に表現しきっているのも好材料である。

 予想外に素晴らしかったのは、ジャスミン役のナオミ・スコットだ。演技力の高さも申し分ないが、幼い頃から音楽活動を続けてきたという、その歌唱力は圧倒的で、メナ・マスードとのデュエットでは、彼女の歌唱部分だけ、モノラルからステレオに変わるように感じるくらい素晴らしい。その意味では、ミュージカルシーンが少々アンバランスなものになってしまっているところもある。

 だが、ジャスミンが悪役ジャファーのたくらみによって幽閉されそうになったときにソロで歌う「スピーチレス〜心の声」は、彼女の歌唱力がはっきりと活かされ、名シーンとなっている。この曲は、アニメ版の曲を手がけ、本作の曲をも全て手がけたというアラン・メンケンが作曲し、作詞を、『ラ・ラ・ランド』や『グレイテスト・ショーマン』に楽曲を提供したパセク&ポールが担当した、本作だけの新曲である。

 国王の座を奪い取り、「女は黙っていろ」とばかりに自由を奪おうとする権力者に対し、スコット演じるジャスミンは、心のなかにある声を、言葉に変える。「女の意見は不要なんて時代は終わる」「声をあげよう」「力の限り叫べ!」……。

 ジャスミンは、アニメ版よりもさらに活動的になり、女性の権利を主張するプリンセスとして、存在感を増している。これも人種への配慮と同様に、新しい時代の要請を汲んだ結果である。王族というキャラクターには、まだディズニーの持つ従来の保守性が残存しているが、そこにフェミニズムの要素を入れることで、現在の観客に寄り添った表現となっている。

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