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『獣になれない私たち』を“ゾンビもの”として考えてみた 「しんどい」が大渋滞する意図を読む

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 『獣になれない私たち』(TBS系)が「しんどい」という声を良く耳にする。上司からのパワハラ、取引先からのセクハラ、恋人の京谷(田中圭)の家には元カノ・朱里(黒木華)が居座り続けている。そんな、にっちもさっちもいかない状況に、ひと肌脱いでくれるかと思った呉羽(菊地凛子)は、衝動的に京谷と肌を重ね、ならばと晶も恒星を誘うがコトが始まる前に寝られてしまう……。うん、たしかに「しんどい」の大渋滞だ。

 きっと、観る人によって何に「しんどい」を感じるのかも変わるはずだ。ある人は、社畜状態から抜け出せない晶と自分を重ねて「しんどい」と思うかもしれない、ある人は愛されていないとわかっていながらしがみつくことしかできずにいる朱里に、ある人は恒星や呉羽のセックスをめぐる軽いやりとりに辟易する人もいるかもしれない。「しんどい」は、自分の中にあるモラルに準ずる。

 ここを踏み越えられると、不快だ、迷惑だ、傷つくと思うボーダーライン。このドラマで、晶はいくつものそのラインに土足で踏み入られる。物理的な血は出ていなくとも、心を斬られ、撃たれ、傷だらけになる。その痛みを知っている人からすれば、痛々しくて目を背けたくなるような状態。にも関わらずニコニコと笑って、なんでもない振りをする晶を、恒星が「キモい」といったのは、まるで生きているのか死んでいるのかわからないゾンビを見ているような気分になったからかもしれない。

 では、いっそのこと『獣になれない私たち』を、現代日本を舞台にしたソンビものだと考えてみた。すると、拮抗した人間関係の現況が見えてくる。急速に進んだ価値観の多様化、様々なツールの進化によって、これまであった画一的なモラルが崩壊したモラルハザードな世界。規制の再構築が間に合わず、「自由」と「権利」を振りかざして、エゴを押し付けるモンスターたちがたくさん生まれた。誰かの苦痛の上に成り立つ、モラルなき「自由意志」は、ただの「ハラスメント」でしかない。「表現の自由」だと言って拡散する「フェイクニュース」もまた然り。

 自由な発言は、かつてない速さで伝播していく。そこに群がるのは、思考しているように振る舞いながらも、その実は反応でしか動いていない哲学的ゾンビたち。いつでも発信できるツールがあるから「自分の思いついたタイミングで連投する」、既読がついたら「すぐ返せるはずだ」と強制する、そこに携帯電話があるから休暇中の同僚に構わず連絡する、そこに性の対象になる人がいたから「する」……それもこれも「そこにあったから」「やりたかったからやった」という反応でしかなく、相手への意識はまるでないゾンビたち。

      

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