『マイダイアリー』が描いたモラトリアムの終わりとその先 優希が“未来”を見られるように
『マイダイアリー』(ABCテレビ・テレビ朝日系)は、モラトリアムの終わりとその先を描いた物語だったように思う。学生時代は、それぞれの歩幅が合っていたはずなのに、社会人になるとだんだんと距離が生じていく。「学生時代は毎日のように一緒にいたのに、全然会わなくなっちゃった友達っている?」と聞かれて、思い浮かぶ相手がいない大人はいないのではないだろうか。大人になってからも学生時代の人間関係を継続させていくのは、それなりの努力が必要なのだ。
「学生のときは、どんなにすれ違っても、次の日には同じ教室の隣の席にいて。それがどれだけ尊いことか、わたしは考えもしなかった」と優希(清原果耶)は言っていた。たしかに、優希と広海(佐野勇斗)も、学生時代だったら、ここまで気まずくなる前に、わだかまりが解消されていたかもしれない。校内でばったり会って、「カフェでも行って話し合おうか」なんて流れになったり。2人の関係が険悪モードになっているのを察したら、まひる(吉川愛)や愛莉(見上愛)、そして虎之介(望月歩)が、愛のあるお節介を焼いてくれるかもしれない。
でも、“口実”がなければ会えなくなった2人は、一度亀裂が生じるとなかなか修復することができない。『花束みたいな恋をした』(2021年)や、『明け方の若者たち』(2021年)、『ちょっと思い出しただけ』(2022年)のように、モラトリアムの最中で生まれた恋は、モラトリアムの終わりと同時に完結するもの。だから、優希と広海も最終的にはお互いから“卒業”をして新たな世界に踏み出していくのだと思っていた。
もちろん、古くからの人間関係に固執する必要はない。その時々で、会う友人や恋人を選び取っていけばいいと思っている。しかし、『マイダイアリー』の5人は、自分たちの出会いを“奇跡”だと言い合い、できるかぎりその関係性を継続させるための努力をしていた。だからこそ、おでんパーティをしながら、学生時代のように楽しく笑い合える“今”があるのだろう。
脚本家の兵藤るりは、自身のnoteに「このドラマを書き始めたとき、優しさで繋がった2人、という出発点ならば、優しさで壊れる2人、も描かなければ、と決めていました」と綴っていた。たしかに、優希は優しすぎる。いつも、自分の気持ちよりも他人の気持ちを優先してしまう。
でも、たまにその優しさが空回りしてしまうときがあるから、見ていてもどかしくなる。楓(影山優佳)からプレゼントされた自作の数学問題を、すごく楽しそうに解いている広海の姿をみたときも、優希は「わたしは、広海をこんなに楽しそうな顔にはしてあげられないんだな」と思ったらしい。ここで、嫉妬心に駆られるわけではなく、身を引くべきだ……と考えるのも、彼女らしいなと思った。