2018年、日本映画はニューフェーズへ(後編) 『カメ止め』は夢の映画か、脱・映画か

日本映画のニューフェーズ(後編)

広がり続ける日本映画の多様性

 もちろん今回の「カメ止め祭り」は、自主映画界並びに映画の作り手たちに夢を与えるという意味でも大変喜ばしいことだ。しかしウォッチャーがニュートラルな視座を保ち続けるためには、現象的な沸騰にも慎重な距離を取る必要があるだろう。そのせいでシニカルな印象を与える記述があったかもしれないが、現段階で筆者が思うことを正直に書かせていただいた。

 さて、以上のように『きみの鳥はうたえる』と『寝ても覚めても』を並列させ、その向こう岸に『カメラを止めるな!』を配置する形でシーンの最前線の一断面を見てきた。この3本を概観して端的に歓迎すべきことは、日本映画のクリエイションにおいて多様性の幅がずいぶん広がっていることだろう。

 しかもそれは、もはやスクールごとの傾向といった区分けでは測定できない。スクールの内部にも雑多に個性が広がっている。例えば『カメラを止めるな!』と同じENBUゼミナールの企画「CINEMA PROJECT」で2013年に『サッドティー』という快作を撮った今泉力哉(1981年生まれ)。彼は自主と商業を往来しながらマイペースで作家性の強い映画を撮り続けている。ビタースウィートな恋愛喜劇をベースに、自身の故郷・福島を舞台にした傑作『退屈な日々にさようならを』(2016年)では震災以降の死生観へと射程を延ばした。その個性や志向は明らかに「ニュー・シネフィル」派に近い(もっと言うとホン・サンス的な資質の持ち主でもある)。また映画美学校(三宅)や東京藝大大学院(濱口)が「ニュー・シネフィル」派の牙城なのかと言うと、そうとも限らず、いわゆるエンタメ志向の監督もたくさん輩出している。

 こういった個別の動向を見ても、あらゆる党派性は解体していく傾向にある。だからこそ批評の側が、雑多な個性を整理し、状況のさらなる活発化に向けた党派性のフレームを再設定すべきなのかもしれない。ただしどんな物差しも、政権交代を目的とするような時代ではなく、「分散」のダイナミズムに沿ったものであるべきだ。そんな現状認識を踏まえつつ、これからも観察を続けていきたい。なおシーンの見取り図を描くには、本稿では重要な名前がたくさん抜けている。あくまで時期的なスケッチであることを付け加えておきたい。

■森直人(もり・なおと)
映画評論家、ライター。1971年和歌山生まれ。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『21世紀/シネマX』『日本発 映画ゼロ世代』(フィルムアート社)『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。「朝日新聞」「キネマ旬報」「TV Bros.」「週刊文春」「メンズノンノ」「映画秘宝」などで定期的に執筆中。

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■公開情報
『カメラを止めるな!』
全国公開中
監督・脚本・編集:上田慎一郎
プロデューサー:市橋浩治
出演:濱津隆之、真魚、しゅはまはるみ、長屋和彰、細井学、市原洋、山崎俊太郎、大沢真一郎、竹原芳子、浅森咲希奈、吉田美紀、合田純奈、秋山ゆずき
配給:アスミック・エース=ENBUゼミナール
(c)ENBUゼミナール
公式サイト:http://kametome.net/index.html

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