『やすらぎの郷』はシニア男性のドリーム全開!?  昭和的な女性観に物申す

 話題の昼ドラ『やすらぎの郷』(テレビ朝日)が7月で折り返し地点を迎えた。ドラマ・映画関連のライターである筆者が仕事を抜きにしても、今、最も楽しみにしているドラマである。4月に放送スタートして以来、思い切ってシニア向けに特化した画期的なキャスティング、テレビ業界を批判する“忖度(そんたく)しない”内容、さすが倉本聰とうならせる魅力的なセリフと巧みな構成、などが評判になっているが、とにかくドラマとしての基礎点が高いので、見ていて気持ちが良い。ちゃんとしたセリフをちゃんとした役者が言う。それがこんなに楽しめることとは。主演の石坂浩二が語る冒頭の長いナレーションひとつとっても、「うまいな、なかなかこうスムーズにかつ感情込めては言えないな」と感服。やすらぎの郷というテレビ業界人専用の老人ホームに入った俳優やコメディアン、脚本家たちが、自分の考えや主張をはっきり口に出して言い、時にわがままに振る舞うのも、仕事で忖度ばかりしている現役世代にとっては、羨望にも似た気持ちを呼び起こすのではないか。

 “センセイ”こと脚本家の菊村(石坂浩二)、“マロ”こと真野(ミッキー・カーチス)、“大納言”こと岩倉(山本圭)というレッツゴー三匹的な男3人組にも癒やされる。毎週のように、海辺の岩場に3人並んで座り、釣りをしながら人生について語る場面が出てくるのだが、シニア俳優たちを毎回ロケに出動させるわけにもいかないので、スタジオでグリーンバックで撮り、海辺の背景を合成しているのだろう。昭和を代表する名優たちが、緑色の背景の前で「あっ、(釣り糸が)引いているよ」、「おっとっと」などと小芝居をしていると思って見ると、なんとも微笑ましい。すっかりランチタイムの癒やしである。

 しかし、82歳の男性である倉本聰の描くこのフィクショナルな世界に、女性として違和感を覚えるのも確か。まず序盤の4月放送分で、女優の路子(五月みどり)が菊村に舞台の脚本を書けと提案した「女の一生」のアイデアに驚いた。路子が「女には三つのターニング・ポイントがある」と言い出したので、「なんだろう? 普通に考えて『初恋・結婚・出産』かな?」と思っていたら、答えは、

「ひとつ、誰かに処女を捧げるとき」
「ふたつ、男にお金で買われるとき」
「みっつ、誰からも振り返られなくなって、自分がお金を出して男を買うとき」

 だったので、テレビの前でひっくり返りそうになった。「男に買われるとき、男を買うとき」って、セックスって金銭の受け渡しなしに成立しないんですか。それとも、この三つを考えた昭和の女優たちの間ではそれが当たり前のことなんですか。だとしたら「残念な人生」としか思えないけれど、それを女優の路子は「これぞ女の人生」とうっとりした顔で言い、このアイデアを聞いた同じく女優の冴子(浅丘ルリ子)も「共感できる話だわ」とばかりに、激しく同意するのであった。愕然。

 このアイデアは1週かぎりの“とんでも話”かと思っていたら、野際陽子演じる覆面作家の涼子が「流されて」というタイトルで小説にしてしまい(ほんと流されすぎの人生だよ!)、さらに7月放送分に入って本当に舞台化するという話に。主人公の菊村がその台本を書くことによって脚本家として復帰するのかという、メインどころの展開にもなってきている。まさか、その舞台がドラマ中でも上演され、ルリルリが「老いた私が誰にも相手にされなくなって、男を買った。ああ、これが女の人生だわ!」と熱演することになるのか?(ちなみに現実のルリルリはお金を出さずとも恋愛現役らしい)今後もまったく油断できず、目が離せない。

 「女の三つのターニング・ポイント」は、ぶっとびすぎているので、フェミニズム的に見ても、ほとんど笑い話のレベルなのだが、他に6月放送分でも違和感を覚える描写があった。やすらぎの郷の海辺で、涼子が真っ裸で泳いでいるという「ヌーディストビーチ」ネタがあったのだが、それを見ている “マロ”が言いたい放題。

「見て得するもんじゃない」
「あいつ、今年は脂肪がついたなぁ」
「プロポーションだけはまだ崩れていないから」

 涼子は自分が脱ぎたいから脱いでいるし、男性に見られても構わないということだったので、そこで終わっていればまだしもスルーできたのだが、若い女性と比較されるに至って、違和感はますます膨らんでいく。

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