サエキけんぞうの『ドント・ルック・バック』『ボブ・ディラン/我が道は変る~1961-1965フォークの時代~』評

ボブ・ディランはいかにスターとなったか?

 ボブ・ディランについての重要ドキュメンタリー2作が一気に公開になった。両作品とも、1960年代前半の黎明期のディランについて扱った作品である。ディランがなぜノーベル賞にまで昇りつめたか? その創作の秘密とはなにか? どのように凄いスターであったか? それらが氷解する2作。フォークで成り上がり、ロックスターとなる変わり目まで。そこを理解することでディランの全てがわかるといって過言でない。ここでは、今までファンも知らなかった知見も含むだろうレビューをお届けしよう。

 まず、ディラン自身が制作に参加したといっていい1965年製作のドキュメント『ドント・ルック・バック』がデジタル・リマスターで蘇った。1965年当時、ドキュメントフィルムは極めて珍しかった。当初、配給会社に相手にされなかったこの作品は、ポルノを手がける会社がクリーンなイメージの作品をやりたいと拾い、ニューヨークで公開すると大ヒットとなった。

 1965年4月26日から始まったディラン英国ツアーの様子が収められている。1965年、ビートルズがポップ・スターなら、「風に吹かれて」が世界的ヒットとなったディランはカウンター・カルチャーのトップだった。冒頭、ディランがロンドン空港に到着、ファン達は“ビートルズがニューヨークに現れたような騒ぎ”を繰り広げている。1965年の英国では、知識層はもちろん、ミーハー少女も十分ディランに入れあげていた。彼はその熱気を受け、ギリシャ神アポロンのような美しい容姿となっている。その姿を愛でる、この作品を味わう最大の醍醐味だ。

 トップスターが、気さくに楽屋やホテルを開放し自由に交流する。この時代で、しかもディランだったからだろう。極めて珍しい映像。ドノヴァン、アニマルズを脱退したばかりのアラン・プライス(キーボード)、マリアンヌ・フェイスフル、ジョン・メイオール(写真右)など、アラン・プライスとのセッションも見物だが、ポップスファン的には、当時大ライバルに上昇したドノヴァンが見物。先輩ディランに対しての腰の低いたたずまいが何とも印象的だ。ディランもドノヴァンに対し慎重に距離を取る。やらせではない、本物の「現場」である緊迫感がたまらない。

 コンサートの直前には、科学を学ぶ学生がディランに強くからんできて、哲学的な言い争いをする。その学生はテリー・エリスといい、後に ジェスロ・タル、プロコル・ハルム、スペシャルズを配したクリサリス・レコードの設立者となった。そんな画面から、激動の時代の「動きのオーラ」が漂っている。

 映画のラストでは、英国ツアーのクライマックスであるロイヤル・アルバート・ホールでの「時代は変わる」「イッツ・オール・ライト・マ」などの油の乗りきった演奏が見られるが、さらに貴重なのは、ホテルの部屋で歌うプライヴェートな歌声群だ。前述したドノヴァンに向かって語りかけるように歌う「イッツ・オール・オーバー・ナウ、ベイビー・ブルー」や、恋人だったジョーン・バエズとのデュエット「ロング・ブラック・ヴェイル」は大変に貴重なシーンといえよう。ディランは相手により、大きく表情を変える。

 ジョーン・バエズといえば、ディランをスターに引き上げた恩人のミューズだ。バエズは62年末頃から、ディランと交際関係にあった。ディランに寄りそう姿をアラレもなく見せる。彼女はディランと組んで10都市を回った。ディランと同乗した車で、サンドイッチやバナナを食べまくる。しかし、映画後半でフェイドアウトし、いなくなる。どうもこのタイミングで交際も終わったようだ。実はこのツアー後半にディランは正妻サラ・サウンズ(76年「欲望」収録曲「サラ」のモデル)とパリで落ち合い、一週間のポルトガル旅行に行っていたのだ。

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