『007』シリーズ最新作日本最速(?)ロングレビュー
王道回帰にして、それ以上! 『007 スペクター』でメンデスが示した英国人監督の矜持
10月29日木曜日、英国ロイヤル・アルバート・ホールで行われたワールド・プレミア(『007』シリーズは伝統的にまず英国で公開されて、追って世界中で順次公開されていく)から遅れること3日。日本で行われた『007 スペクター』プレミア試写会に参加することができた人間に責務があるとしたら、12月4日の日本公開日まで、年季の入った熱狂的ファンも数多くいる観客の興を削ぐようなネタバレは絶対にしてはならないということだろう。というわけで、本稿ではストーリーの肝となる部分や、往年のファンならニヤリとさせられること必至のお楽しみの場面設定には触れずに、本作『スペクター』を観る前に踏まえておくべきことを監督視点から解説していこう。
まず結論から言うと、『スペクター』は純粋なエンターテイメント大作としてほとんど文句なしの仕上がりであると同時に、『007』シリーズ全24作の中でも屈指の一本だと断言したい。ご存知のように、前作『スカイフォール』も(ごく一部からの否定的な意見はあったものの)世界中から大絶賛で迎えられ、シリーズ最高興収(英国では史上最高興収)を記録した大成功作。つまり、サム・メンデスは2本続けて「シリーズ屈指の一本」をものにしたということになるわけだが、その2本のベクトルは想像以上に異なるものだった。
メンデス自ら正直に告白しているように、前作『スカイフォール』はその作品のシリアスなトーン&重厚なルックにおいてクリストファー・ノーラン『ダークナイト』からの影響を強く受けた作品だった。歴代の『007』シリーズはよく言えば柔軟に、悪く言えば軽薄に、その時代の映画の流行を取り入れてきた(言うまでもなく、それが53年もシリーズが続いている大きな要因だ)ので、それ自体は特筆すべきものではない。実際、その前の『カジノ・ロワイヤル』と『慰めの報酬』は『ボーン』シリーズの影響を大いに受けた作品だった。しかし、同じ英国人、5つ年上、さらにオスカー受賞監督というノーランには当分届きそうにない勲章を持つメンデスは、先輩監督の矜持でもって、同じ年に公開された『ダークナイト ライジング』やその翌年の『マン・オブ・スティール』を凌駕する、いわば「『ダークナイト』的なる作品の中で最良の作品」を『スカイフォール』で成し遂げてみせたのだ。
『スペクター』の詳細が発表された時に最も驚かされたのは、メンデスが招集した主要スタッフの顔ぶれだった。撮影監督にはオランダの新鋭ホイテ・ヴァン・ホイテマが、編集には名手リー・スミスが新たに参加。映画において作品の持つ感触を決定づけるのは「撮影」と「編集」と「音楽」の3つだと自分は考えているのだが、これでもしハンス・ジマーまで加わったら『インターステラー』とまったく同じになってしまう(ちなみに音楽は『スカイフォール』でキャリア最高と言ってもいい圧倒的な手腕を発揮してみせたトーマス・ニューマンが続投)。予告編のやたらと思わせぶりな内容も「いかにも」だったし、その時点では「おぉ、ますますノーランを意識してきたな」と思わずにはいられなかった。
ここで本作とは直接関係のないノーランの名前を再三挙げている理由は二つある。一つは、ご存知の人も多いように、ノーランは幼少期から大の『007』ファンで、これまで機会があるごとに「いつか自分の『007』を撮ってみたい」と公言していること。そのラブコールに呼応するかのように、近年は毎作のように監督候補として名前が取り沙汰されてきた。もう一つは、第17作目『ゴールデンアイ』でニュージーランド出身のマーティン・キャンベルが抜擢されるまでは監督が英国人オンリーだったことから明白なように、『007』シリーズは英国人監督にとって特別な作品であるということ。そのマーティン・キャンベルも大学卒業後に渡英してプロのキャリアを始めた、いわば半分英国人みたいなものなので、非英国人監督のロジャー・スポティスウッド(「トゥモロー・ネバー・ダイ」)、リー・タマホリ(「ダイ・アナザー・デイ」)、マーク・フォースター(「慰めの報酬」)の3人がいかに異例の抜擢だったかがわかるだろう(そして、その3人は1作だけ撮ってシリーズを去っている)。