宮台真司の月刊映画時評 第1回(前編)
宮台真司の『バケモノの子』評:言葉ならざる親子の関係を描く、細田守監督の慧眼
宮﨑駿には描けない人の絆=共同体感覚を描く、達人の領域
この映画を観たおさなごたちと、そのあと一緒に、渋谷の街を散歩しました。「麗郷」という台湾料理屋の裏辺りが、熊徹の家に続くと思しき坂の分岐路あたりでしょうか。おさなごたちは、スクリーンで観た風景に似ているので大喜びしていました。もっともあの辺はラブホ街なので、妻には「あんな場所を連れ回して」と怒られましたが(笑)。
そもそも、渋谷はかつて色街でした。1973年にパルコ開店に合わせて公園通りができるまで、そこは区役所通りと呼ばれる風俗街でした。スペイン坂終点のシネマライズも1980年頃までラブホテルで、丸井の裏もラブホ街でした。その意味で、渋谷はエロス的なものがむき出しの街で、拡張現実的にスキンがかぶさって今に至った印象があります。
そうした歴史を生きた僕からすれば、本作は、渋谷のスキンを剥ぎ取って見せたように感じます。もともと芝居街と色街を合わせて悪所と言います。眩暈やトランスが起こる場所という意味です。眩暈が起こるから日常の時空を前提とした概念言語は通用しない。その意味で、"文字のないバケモノの街"が「裏渋谷」だというのは妥当な設定です。
細田監督の実存に関係するのでしょうが、彼の作品に一貫しているのは、家族や恋人という絆の関係、この人のためなら死ねるという関係、あえて言えば宮﨑駿が描くのを不得意としていたものです。特に男の子と女の子の会話での微妙なニュアンスは宮﨑駿を逆さに振っても出て来ません。アニメーターには珍しいとても素晴らしいセンスです。
心理学者アルフレッド・アドラーが言う「共同体感覚」を描くことにかけては、達人の域だと言えます。その能力は、本作でも遺憾なく発揮されています。監督自身がそれをもっと強く自負すれば、不要な概念言語の"おかず"を付けなくても済んだのではないかと思います。まあ、自分のどこが優れているのかを自覚するのは難しいかもしれない。
その点では『おおかみこどもの雨と雪』の方が少し出来がよかった気がします。絆/共同体は危機を前にして際立ちます。そうした危機としては、本作のような「市街で暴れる鯨とのバトル」より、『おおかみこども』で描かれた「自然のなかの嵐」の方が、ナチュラルで説得的です。ゆえに見終わった後の余韻も前作の方がすっきりしています。
「市街のバトル」では「危機」が抽象的になって、作劇上の装置に過ぎないものに頽落します。「剣を収め、二度と戦わない」ことを象徴するラストも、ヤクザ映画やカンフー映画で描かれてきた、概念的なパッケージでした。素晴らしい作品でしたが、先ほどお話しした細田監督のポテンシャリティをより活かした次回作を、大いに期待します。
さて、同じく"父と子"というモチーフが登場する作品で非常に出来がよかったのが、『マッドマックス 怒りのデスロード』でも主役を演じたトム・ハーディが主役を演じる、リアルタイムサスペンス『オン・ザ・ハイウェイ』です。ミニマムで、特別なことを一切描いていない映画ですが、それゆえに素晴らしかった。
(後編:『オン・ザ・ハイウェイ』評に続く)
(取材=神谷弘一)
■宮台真司
社会学者。首都大学東京教授。近著に『14歳からの社会学』(世界文化社)、『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』(幻冬舎)など。Twitter
■公開情報
『バケモノの子』
2015年7月11日より、全国東宝系にてロードショー
【声の出演・スタッフ】
役所広司/ ※宮崎あおい 染谷将太
広瀬すず/ 山路和弘 宮野真守 山口勝平
長塚圭史 麻生久美子 黒木華 諸星すみれ 大野百花/津川雅彦
リリー・フランキー 大泉洋
監督・脚本・原作:細田守
作画監督:山下高明 西田達三
美術監督:大森崇 高松洋平 西川洋一
音楽:高木正勝
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