宮台真司の『オン・ザ・ハイウェイ』評:ギリシャ悲劇の王道に連なる、86分間の密室劇

宮台真司の『オン・ザ・ハイウェイ』評:ギリシャ悲劇の王道に連なる、86分間の密室劇

「父親の滑稽さ」の意味の違い

 それにしても、トム・ハーディというのは不思議な俳優です。あれだけ魅力を放ちながら、多くの人が彼の顔をうまく覚えられない。いい顔なんだけど、「そういえば話題の『マッドマックス 怒りのデス・ロード』に出ていたね」というくらいの印象です。カメレオンのようにどんな演技もできるのですが、それが「器用貧乏」にも思えます。

 そうしたトム・ハーディの「非凡なる凡庸さ」が本作のモチーフによく合っていました。そうした凡庸さゆえに、観客は間違いなくトム・ハーディに共感します。お話ししたようにエピソードも凡庸なので、僕くらいの年齢の人間なら二つや三つは思い当たる経験しているでしょうから、「イテテテテ」と思いながら観ることになります(笑)。

 前編で話した『バケモノの子』と比べると、『オン・ザ・ハイウェイ』における穴や曖昧さや逆説は間違いなく意図されたもので、失敗じゃないと断言できます。『バケモノの子』における「言葉以前のものを賞揚する言葉に充ち満ちた映画」という逆説は意図せざるもので、失敗だと断言できます。『オン・ザ・ハイウェイ』のほうが傑作です。

 両作品を父親の描き方という面で比べても面白い。熊徹もアイヴァン同様、穴だらけのおかしな男。両作品とも「父親の滑稽さ」を描くのは共通しますが、『バケモノの子』では「父親は子どもに何かを超えさせる素晴らしい存在だ」と結論づけられ、『オン・ザ・ハイウェイ』では「父親は子どもに呪いをかける存在だ」と結論づけられます。

 でも、僕はこの二つの結論は矛盾するものだとは思いません。父親は子どもに呪いをかける存在だからこそ、子どもに何かを超えさせる存在になり得るのであり、父親は子どもに何かを超えさせる存在であり得るからこそ、子どもに呪いをかけてしまうのです。この一見両義的に見える意味統一を描いた映画については、別の機会にお話しします。

(取材=神谷弘一)

■宮台真司
社会学者。首都大学東京教授。近著に『14歳からの社会学』(世界文化社)、『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』(幻冬舎)など。Twitter

■公開情報
『オン・ザ・ハイウェイ』
公開:2015年6月27日〜
上映時間:1時間26分
日本語字幕:安本熙生
提供:ニューセレクト
配給:アルバトロス・フィルム
カラー/ステレオ/シネマスコープ
(C) 2013 LOCKE DISTRIBUTIONS, LLC ALL RIGHTS RESERVED

公式サイト

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「作品評」の最新記事

もっとみる