千街晶之のミステリ新旧対比書評 第18回:西村京太郎『浅草偏奇館の殺人』×石川智健『エレガンス』
1932年の浅草に漂う戦禍への不安
西村京太郎といえば世間では、十津川省三警部が活躍するトラベル・ミステリの書き手というイメージが定着している。しかし、『殺しの双曲線』(講談社文庫、実業之日本社)のように今の時代でも通じそうなクローズド・サークルが舞台の本格ミステリも書いているし、社会派ミステリ、スパイ小説、パロディ等々、実はかなり作風の幅は広い。
そんな西村の作品に、『浅草偏奇館の殺人』という長篇がある。1996年に文藝春秋から書き下ろしで刊行され、2000年には文春文庫版が出ている。
舞台となるのは、昭和7年(1932年)の東京・浅草。大日本帝国の傀儡国家である満洲国が建国され、血盟団事件や5・15事件など要人の暗殺が相次ぎ、世相は不穏さを色濃くしていた時期だ。そんな中でエロ・グロ・ナンセンスのブームが起き、浅草六区ではエノケン(榎本健一)や古川ロッパらの演芸が喝采を集めていた。
語り手の秋月は、芝居小屋「浅草偏奇館」の文芸部、つまり脚本の作者である。劇場の名は、永井荷風を敬愛する館主の永井が、その住まい「偏奇館」から借用したものだ。ある日、浅草偏奇館の踊り子・野上京子が何者かに絞殺された。秋月の先輩・中原は、京子殺害を題材としたセンセーショナルな芝居で客を集めようとする。やがて、一座のサキソフォン奏者・寺田三郎が容疑者として逮捕されたが、踊り子から第2、第3の犠牲者が出てしまう。
西村京太郎は1930年生まれなので、作中の時期の浅草をリアルタイムでは知らない。しかし、1960年に人事院を退職した著者は浅草で膨大な数の映画を鑑賞しており、全く縁がない街というわけではない。また、東京陸軍幼年学校に入学し、15歳で敗戦の8月15日を迎えた西村は、軍隊の実状や同期の死を目の当たりにした当時の体験から、戦争に向いていない日本人の本質を晩年になっても考察していた作家でもあった。所轄署に逮捕された後、左翼との関係を疑われて特高に連行されてしまう寺田を見舞う運命は、恐らく小林多喜二のそれをなぞっている。
最後に明かされる犯人の動機は、極めて身勝手なものであり、情状酌量の余地はない。こんな理由で殺されては被害者もたまったものではないだろう。にもかかわらず、どこか「わかってしまう」と思わせるものがこの動機にはある。それは、ある登場人物が言うように、「軍部は中国との戦争にどんどん深入りしていくに違いない。思想統制だってもっと厳しくなってくる。その中に浅草六区だって容赦なく新体制の風が吹き荒れてくるさ。それも間もなくだよ」という戦禍への不安が作中を色濃く覆っているからだ。今、あらゆるところに類似した予兆が満ちた情勢下で本書を読むひとは、この真相にどのような感慨を抱くだろうか。
1945年に実在した人物が登場する『エレガンス』
さて、昨年(2025年)は昭和100年にして戦後80年というタイミングを狙ったかのように、昭和史を背景にしたミステリ小説の力作が立て続けに刊行された。河出書房新社から書き下ろしで刊行された石川智健の『エレガンス』もそのうちの1冊である。『浅草偏奇館の殺人』にはエノケンら実在の人物が脇役として登場していたけれども、『エレガンス』は主人公2人がいずれも実在の人物だ。1人は警視庁写真室に所属した巡査・石川光陽。もう1人は、ミステリドラマなどでよく言及される「吉川線」を考案した鑑識の第一人者・吉川澄一である。
帝都東京にも米軍のB29が飛来するようになった1945年1月、石川光陽は警視庁警務局長の原文兵衛から、内務省警保局防犯課技師の吉川澄一とともに「釣鐘草の衝動」と呼ばれている連続変死事件の捜査をするよう命じられた。4人の死者はいずれもドレスメーキング女学院に通う若い女性で、洋装姿で首を吊っていた。抵抗の形跡がないことなどから、警視庁は一連の事件を連続自殺と見なしていたが、間もなく5人目の遺体が発見され、その現場に臨場した吉川は、他殺であることを見抜く。
石川の上司の原文兵衛ら数人の警察関係者のほかに、実在の人物として登場するのが永井荷風である。『浅草偏奇館の殺人』にも彼への言及があったが、銀座のカフェーや浅草の歓楽街に親しみ、東京大空襲で住まいの「偏奇館」を喪い、戦時下でも日記『断腸亭日乗』(岩波文庫)を書き続けた荷風は、この時代の東京を象徴する人物としてうってつけの存在なのだろう。
爆弾や焼夷弾が投下され、毎日のようにひとが死んでゆく。そんな状況下で、殺人事件の捜査をすることに石川は疑問を抱く。「どうせ、どんどんと死んでいくのだ。戦争で、焼夷弾で殺されていくのだ」という無気力が彼の心を蝕んでいる。一方、吉川は極度に空襲を恐れ、事故が起きる可能性が高いからと自動車にすら乗りたがらない。それは石川には滑稽にさえ見えたが、吉川はたとえ国家の一大事であろうとも、空襲で人命が簡単に奪われる世であろうとも、「人が殺されたのなら、立派な殺人であり、犯罪です。私は犯罪を見逃しません。どのような状況下であっても、犯人を探し出さなければなりません。断罪しなければなりません。それは当たり前のことです」と宣言する。彼の過度の用心深さも、生き延びて真相を突き止めなければならないという思いからだった。
一方で本書では、国家が「ぜいたくは敵だ」というスローガンを押しつけてこようとも、あくまで洋装に象徴されるエレガンスを手離そうとしない女性たちの毅然とした姿も描かれる。そして真犯人も、その人物なりのやり方で戦争に覆い尽くされた世相に抗おうとしていた。その意味では本書の犯人像は、『浅草偏奇館の殺人』のそれに通じるところがある。
石川と吉川は真犯人に辿りつくが、直後に帝都は大空襲に見舞われる。その凄絶な地獄絵図の中で繰り広げられるひとつの奇蹟は、本書の最大の読みどころだろう。2025年に書かれるに相応しい反戦ミステリの秀作である。