杉江松恋の新鋭作家ハンティング 草森ゆき『乃埋商店街の渦』のジャンルに収まりきらない魅力
作品はジャンルに優先する。常に。
そんな当たり前のことを改めて言いたくなったのは、草森ゆき『乃埋商店街の渦』(角川書店)を読んだからである。これ、ジャンルの骨法には必ずしも沿わないことをやっている小説なのだ。
舞台となっているのは、大阪府のどこかにあるらしい乃埋商店街である。第一章「上柳酒店の守り神」は、上柳美菜子という女性が離婚して実家の酒屋に戻ってくることから始まる。ひさしぶりに地元に戻ってきた美菜子は、商店街を散歩しながら呟く。
「このままちょっとずつシャッター街になって、終わっていくんやろなあ……」
二十年間帰らずにいる間に、商店街にはちょっとした変化が起きていた。一画に、「うずまき」という名前の喫茶店ができていたのだ。木造の外観はクラシックでなかなかいい。実はこの店、以前は菅澤という老夫婦が営む書店だった。そこを改装したものだったのだ。街は刻々と変化していくが、終わってしまってから振り返っても、その場所に何があったかを思い出すことは難しい。そこを経営しているのは三十代前半らしい藤谷保と、彼よりも年下の中之瀬圭一という二人の男性だ。過去に出会っているとしても、美菜子の中に彼らに対する記憶はない。
保は落ち着いた印象の人物として描かれる。「丁寧にまとめられた長髪や静かな声が涼しげで」「印象には残りにくいかもしれないが男前」と美菜子は好感を抱く。もう一人の圭一ははきはきとした言動で、「〜するのが俺の夢やわ」というのが口癖だと後でわかる。喫茶店の中で二人がじゃれあうような会話をしているのを、コーヒーを飲みながら美菜子は愛でる。「見た目の良い男性二人の仲の良い会話は気持ちの保養にできる」からだ。
このあと上柳酒店で事件が起きて話が動き始める。店には百年の独白というブランドものの焼酎が非売品として展示されていた。その酒瓶が消え失せたのだ。美菜子の父は、ちょうど店にやってきていた圭一に嫌疑をかける。それを晴らすために保が立ち上がる、というのが第一章である。
第二章「駄菓子の葛和と枠の中」でも、小さな事件が起きる。葛和は老夫婦がやっている駄菓子屋だ。ある日帳簿をつけていた夫は、売り上げが合わないことに気づく。考えられるのは万引きだ。盗まれたとしてもまったく気づいていなかったということに彼は動揺する。しかも、それと同じような齟齬が連日のように起きてしまうのである。誰かが毎日やってきて、万引きをしている。そのことに焦った夫は、勧める人があって保に事件の解決を依頼する。上柳酒店での一件を無事に解決したという話を聞いたからだ。かくして保と圭一が店にやってくることになる。
ここまで二章の内容を紹介したが、どうだろうか。殺人などの大事ではなく、生活している中で起きる小さな出来事の謎を扱ったミステリーがある。日常の謎と呼ばれるものだが、それっぽく見えるのではないかと思う。藤谷保と中之瀬圭一、ちょっと見映えのいい若者二人が商店街で発生した不思議な事態を解決する。いかにもありそうである。
だが、ちょっとだけ違和感がある。というのも、商店街の古株店主たちの中には、うずまきの二人に対してよそよそしい、はっきり言えば排他的な態度を取る者がいるからだ。第一章で保と圭一について父親から聞かされた美菜子もこう言われる。
「中之瀬圭一に会うても、深入りせんでええぞ」
そんなことをいきなり言われたら逆に気になってしまうから、美菜子はうずまきに行ってしまうわけである。第三章「鳳総菜の跡取り」の視点人物は惣菜店の長男である鳳光貴だ。高校生の彼はうずまきを経営する二人に関心を持つのだが、父親はなぜか彼らに敵意を剥き出しにする。「ここの寄生虫や、あいつらは」とまで言うのである。そんな父親に光貴は反発する。「鳳総菜の跡取り」では圭一の口から彼らの過去が少しだけ語られる。それを読むと、少しだけわかることがあるはずだ。
実は、第一章の前に短いプロローグが置かれている。直後に展開される日常の謎ミステリー風の物語とはそぐわない、うら寂しい情景がそこでは描かれる。それを読んでから第一章に入った方は必ず思うはずである。いったい、あのプロローグはなんだったんだろうと。
絶滅寸前の商店街を変える存在として二人の青年が奮闘する物語、というのは外形としては合っているけど芯は捉えていない表現である。シャッター商店街を舞台にした仕事小説ではあるのだが、だとしても教養小説的な要素がまったくないのが気になる。周囲の冷たい視線に負けずに頑張る二人の成長物語、という話ではまったくないのだ。
つまりジャンルに当てはめることを拒む小説である。これがどんな物語なのかは、最後まで読んでみないとわからない。ミステリーであり仕事小説ではあるのだけど、絶対にそれだけではないというはみ出した部分が作品にとってはいちばんの魅力になっている。
これ、何かに似ているなあ、と考えながら読んでいたのだが、後から思い出した。千街晶之氏・若林踏氏と私は毎年、〈国内ミステリーベスト10選定会議〉というものを開いている。投票ではなくて議論でその年の順位を決めるという主旨のもので、2016年度は真藤順丈『夜の淵をひと廻り』(角川文庫)が受賞した。交番勤務の巡査を主人公とする物語なのだが、警察小説という枠に収まらない不思議な魅力のある作品だった。それを読んだときの感触に似ているのだ。
2019年に『宝島』(講談社文庫)で第160回の直木賞を受賞した真藤は、もともとファンタジーやホラーなど複数の新人賞を受賞して世に出た作家で、作品には一つのジャンルに収まりきらない要素があった。どんな作品を書いても、何かのジャンルに入れる前に、まず真藤順丈という名札をつけたくなる。そういう作家なのだ。
『乃埋商店街の渦』の作者、草森ゆきもそんな才能の持ち主なのかもしれない。奥付の作者紹介によれば、草森は2020年からWeb小説サイト「カクヨム」の投稿を開始し、初めて書いた長篇BL小説『不能共』が話題となって、KADOKAWAから単行本として刊行された。本作はそれに続く第2作ということである。知らなかったのだが2025年に「悔恨食道楽紀行」で第32回電撃小説大賞〈奨励賞〉も受賞しているとのことで、本年内には書籍化も予定されているという。なにその題名、読んでみたい。
草森ゆきの小説は草森ゆきの小説と呼ぶ以外にない。そんな存在の作家になってくれればと思う。毎作、なんだこれは、と驚かせてくれ。