ナポレオンから福沢諭吉まで……チェス × 歴史奇譚集『コンフィデンシャル・ゲーム』
海外チェス小説のアンソロジー『モーフィー時計の午前零時』の編者である若島正は、「編者あとがき」の冒頭で「古今東西を問わず、チェスを題材にした小説は数多い」といい、海外と日本の作品を幾つも上げている。しかしこの本が出たのは2009年のこと。その後も、チェスを扱った作品は増えている。宮内祐介は、『盤上の夜』収録の「象を飛ばした王子」で、将棋やチェスの起源と考えられている古代インドのチャトランガを題材にしてみせた。斜線堂有紀の『ミステリ・トランスミッター 謎解きはメッセージの中に』収録の「ある女王の死」は、チェスが重要な小道具として使われている。
そして何よりも注目すべきは、第十二回ポプラ社小説新人賞を受賞した、石井仁蔵の『エヴァーグリーン・ゲーム』である。チェスに魅了された四人の若者を主人公にした青春小説だ。堂々たるチェス小説でもある。熱気溢れる物語に興奮しながら、この作者は次に何を書くのだろうと思ったら、やはりチェス小説であった。しかしデビュー作とは、かなり傾向が違う。『コンフィデンシャル・ゲーム』(講談社)は、チェスを絡めた歴史奇譚集だったのだ。
収録されているのは五作。「ナポレオン・オープニング」は、ワーテルローの戦いを経て、セントヘレナ島に流刑になった、元フランス皇帝のナポレオンの元に、ある青年が向かう。ナポレオンを崇拝し、殉じるように死んだ兄のため、再起を促そうとしたのだ。セントヘレナ島で暮らしていたとき、ナポレオンの友だちだったというイギリス人少女と知り合った青年。彼女の協力を得て、どうにかセントヘレナ島に侵入した。しかし運よく会えたナポレオンとチェスをしたことで、青年の考えが変わってしまうのだった。
物語は、1848年11月のパリから始まり、主人公の過去の回想になって、また最初の時代に戻る。この形式により、ラストで意外な事実を明らかにする、ストーリー展開が巧みである。チェスの勝負を使い、歴史の分岐点を露わにする手練にも感心した。
続く「フランクリン・ギャンビット」は、1787年のペンシルヴェニア邦フィラデルフィアが舞台。アメリカはイギリスから独立したものの、十三の邦(現在の州)は、各々の利害や決まりを好き勝手に主張し、国としてのまとまりがない。これではいけないと、十三邦の代表が集まって、憲法制定の会議を始めた。その中にいるのが、ペンシルヴェニア邦知事のベンジャミン・フランクリンだ。日本では、雷の性質を調べた凧の実験が有名である。チェスにかこつけた根回しが横行し、会議が進まない状況に業を煮やしたベンジャミン。ついにチェスの勝負で、結論を決めることにする。ここでベンジャミンの取ったチェスの手が面白い。
一方、この物語は誰かの語り(もしくは書いたもの)になっている。とりあえず語り手といっておこう。読んでいると断片的な情報から、この語り手が現代日本の若者らしいことが分かってくる。しかし現代だとすると、アメリカの大統領はあの人物だ。“現代のアメリカであれば情報網が行き届いておりますから、おかしな人物を選んでしまうことはありません。でたらめをばらまく不誠実な人や、他人を口汚く罵る品性下劣な人が候補者になったとしても、国民がそんな人を選ぶわけもありません”という文章に苦笑してしまう。会議のやり取りから現れてくる「黒人奴隷」「一票の格差」は、大きな問題である。そしてこの会議を時に批判的に見ている語り手も、同じように問題がある。物語の語り口から生まれる歴史のパースペクティブが、過去と現在を撃つのである。
以下、「コミュニティス・ディフェンス」は、キューバ危機が回避された、1961年11月のハバナに、スターリンの片腕であるアナスタス・イヴァノビッチ・ミコヤンが、ソ連から運び込まれたミサイルを回収するためにやってくる。「ヴィクトリアン・メイト」は、没落貴族の娘が、ナイチンゲールと出会い従軍看護婦になったり、ヴィクトリア女王の女官になったりしながら、思いもかけない人生を切り拓いていく。どちらもチェスの扱いが効果的だ。
そしてラストの「ジャパン・ヴァリエーション」は、日本の明治を舞台に、チェスの上手い男性の人生が綴られている。福沢諭吉、鹿鳴館の外国人たち、大山巌などとチェスをして、ほんのちょっとだけ歴史に爪痕を残した男性。時代を動かすようなことはなく、だが確かに存在した彼の物語を最後に置いたのは、意図してのことだろう。有名無名を問わず、チェス盤の前では、誰もが対等。五つの人間とチェスのストーリーから、それぞれの時代の中で生きた、人々の息吹が伝わってくるのである。