本は呪いにもなりうるーー『この本を盗む者は』本嫌いの少女を主人公にしたことの意味
12月26日にアニメ映画が公開される『この本を盗む者は』は、本をめぐる物語である。2020年に発表された深緑野分による同名原作小説は、本屋大賞にノミネートされるなど話題になった。書店や図書館、出版社を舞台にするなど本をクローズ・アップした物語は、「本好きにはたまらない」などと形容されがちだ。本を題材にした内容が、本好きの人のナルシシズムを満たすようなところがあるからだろう。それに対し『この本を盗む者は』という小説は、主人公の高校生・御倉深冬(みふゆ)を本が大嫌いな少女と設定した点にひねりがあって面白い。
深冬の曽祖父・嘉市(かいち)は、書物の蒐集家で読長町(よみながまち)の名士だった。彼が建てた地下二階地上二階の巨大な書庫・御倉館は、町に住む人なら一度は入ったことがあるといわれる名所となり、かつては蒐集家たちもよく訪れた。読長町には本に関係する店が点在し、御倉館の周辺には古書店街があるほか、読長神社には書物の神様が祀られていた。読長町は本の町であり、その象徴が御倉館だったといえる。
しかし、曽祖父の娘(=深冬の祖母)のたまきが御倉館を管理していた時代に稀覯本が約二百冊も盗まれた。激怒したたまきは、建物の各所に警報装置を設置して御倉館を閉鎖した。以前は行われていた蔵書の貸し出しや館内への人の立ち入りも一切禁じたのである。たまきの死後は、息子(=深冬の父)のあゆむと、その妹のひるね(=深冬の叔母)が御倉館を管理している。とはいえ、館内の蔵書をすべて読んだというひるねは、名前の通り眠ってばかり。このため、柔道場を経営するあゆむが、まるで生活能力のない妹を含め御倉館の面倒を引き受けていた。
ところが、そのあゆむが怪我で入院し、父の代わりに深冬が食事をひるねに届けようと御倉館に入ったところ、変事が起きる。護符のようなものに「この本を盗む者は、魔術的現実主義の旗に追われる」と書かれており、館の外に出ると読長町はおかしなことになっていた。それこそラテン・アメリカ文学のようなマジック・リアリズム(魔術的現実主義)の世界になっていたのだ。
深冬の前に突然現れた雪のように白い髪を持つ謎の少女・真白によると、館から盗まれた本にはブック・カース(本の呪い)がかけられていたため、町が本に書かれた物語の世界へと変貌したのだという。以前から、祖母たまきは御倉館に警報装置をつけるだけでなく、書物の一冊一冊に魔術をかけたと噂されていた。もとの現実の町をとり戻すためには、本泥棒を捕まえなければならない。いったいなにが起きているのか。真白にうながされ、深冬の冒険が始まる。
本が盗まれるのは一度だけではなく、そのたびに深冬は犯人を探さなければならない。盗まれた物語の内容によって、禁酒法のように本が禁じられたハードボイルドな世界や、銀色の獣がいるスチーム・パンクSFの世界に迷いこんだりする。読長町が、様々な物語の世界に何度も変化してしまう。『この本を盗む者は』は、そんな風に章ごとにガラッと雰囲気=ジャンルが変わるファンタジー小説なのである。ずっと住んでいてよく知る町、よく知る人々が、なにが起きるかわからない町、まるで別人へと化してしまう現象が、自由奔放なイマジネーションで描かれているのが楽しい。
変貌した世界で本泥棒を捕まえるため、深冬は真白から物語が書かれた本を読むようにうながされる。どうも、御倉館には、本を盗まれても同じ内容の本が残されているらしい。だが、最初にいったように深冬は、本が大嫌いなのだ。彼女は、亡き祖母が本の価値を高圧的に説くことに辟易して育った。巨大書庫を管理する御倉家の人間だという周囲の目が、うっとおしくもあった。本が好きなはずだ、本を好きになれというプレッシャーが強すぎるから、逆に本を好きになれるわけがなかったのである。だが、深冬は町を元通りにするため、嫌でも本を読まざるをえなくなる。知りたくもない物語のなかで行動せざるをえなくなるのだ。この皮肉さが、ユーモラスである。
皮肉なのは、それだけではない。御倉館の本をすべて読破した叔母ひるねなら、幅広い教養を吸収しているはずだし、今起こっている怪現象について深冬によい知恵を与えてくれても不思議ではない。それなのに、彼女は眠ってばかりで、あるはずの知恵が役に立たないのが皮肉である。
また、普通に考えれば、本泥棒は本を自分のものにしようとして本を盗むのだろう。だが、ブック・カースのため、町全体が本に書かれた物語の世界になってしまう。いわば物語を私物化しようとして公共化してしまったような、これまた皮肉な事態である。真白はブック・カースについて深冬に「物語を盗んだ者は、物語の檻に閉じ込められるの」と話していたが、本泥棒だけでなく町全体が盗まれた物語の影響を受けるのだ。
『この本を盗む者は』という小説の発端は、それまで町に対して開かれていた御倉館が、祖母たまきの意志によって閉ざされたことだろう。たまきは、本を盗んだ者への憎しみから町の人々にも不信感を抱き、館への出入りや本の貸し出しを禁じた。以後、御倉館は閉ざされたままだったが、それ以外の読長町は本の町として本で商売をし、本を目当てに人々が行きかい、本で町おこしをしてきたわけだ。この小説の背景には、本は神聖であり読書体験は他人と分かちあえないという閉じた考え方と、本を通して人々が交流し意見交換することをよしとする開かれた考え方の対立がある。それらは、本というものの性格の分かちがたい両面だろう。
蔵書へのたまきの執着、頑迷さのように本には呪われるような部分もある。ブック・カースのごとき魔術をかける以前に、本が人の心のダークサイドに働きかけることがあるのは否めない。深冬が本を嫌い、本と距離を置こうとしてきたのは、祖母に接してその種の呪いを感じたからだ。深冬は、物語の世界へと変貌した町での冒険を通して、やがて隠されていた真実にたどりつく。その過程で本への思いは変わっていく。本の好ましさばかりでなく本の呪いの側面も書いているからこそ、味わい深い結末となっている。