角田光代×内藤裕子 Amazonオーディブル『源氏物語』対談 “運命の物語”と向き合う日々を語り尽くす
さまざまな書籍を朗読配信している「Amazon オーディブル」で、角田光代が新訳を手がけた『源氏物語』が好評配信中だ。大河ドラマ『光る君へ』でいままた脚光を浴びている歴史的名作をかつてないほど読みやすく、疾走感のあるドラマに仕上げ、読売文学賞を受賞した本作を朗読するのは、フリーアナウンサーの内藤裕子。フラットかつ情感たっぷりに聴かせる技術がシナジーを生んでいる。
リアルサウンドブックでは、強力なタッグでありながら初対面となった角田光代と内藤裕子の対談を実施。二人は1000年愛され続ける『源氏物語』をどう捉え、新訳/朗読にどう向き合ってきたのか。じっくり話を聞いた。(編集部)
「『源氏物語』にすべてが書かれている」という母の言葉
内藤裕子(以下、内藤):私はもともと角田さんの大ファンで、ようやくお会いできて本当に光栄です。
角田光代(以下、角田):こちらこそ本当にありがとうございます。毎週、収録されているところだと伺っていますが、嫌になったりしていませんでしょうか……?
内藤:とんでもないです(笑)。ただ「嫌」とはまったく違う意味で、不安に苛まれることはあります。『源氏物語』は1000年生き続けてきた物語ですから、圧倒的なパワーがあって、自分自身の覚悟と心技体が備わっていなければ、その力に負けてしまいそうになるんです。さらに角田さんが5年がかりで取り組まれた大作を読むというのは、アナウンサーとしても大きな挑戦で……初収録の前日は、本当に一睡もできませんでした。
角田:実際に聴かせていただいて、不安なんてまったく感じなかったのでとても驚きました。内藤さんのお声で、すごく客観的にスッと物語に入っていけるのですが、朗読にあたってどんなことを意識されているのでしょうか?
内藤:角田さんが書かれている思いを大事にしたいので、語る前に徹底的に、読みの設計を立てています。どういうストーリーになっていて、ここはどう表現しようか、このシーンに至るまで登場人物の心理にどんな変化があるのか……と、原稿にマーカーと鉛筆で細かく書き込んでいて。文章の骨格をまず見定めて、そこから逆算してどう読むかを計算する、という作業ですね。聴いている方が、それぞれの登場人物の心理描写も含めて想像できるように、特に“間”を大事にしているので、原稿がピアノの楽譜のようになっています(笑)。そこからスマートフォンで録音して、聴き直して、修正して……という繰り返しです。
角田:本当におつかれさまです……! 楽器ひとつとっても、「和琴(わごん)」といったり「箏(こと)」といったり、読み方から難しいですよね。私は声に出さないので、人名も含めて勝手な読み方をしていたのですが、そういうこともできないわけですし、大変ではないですか。
内藤:大変だと思ったことはなくて、本当に楽しいです。角田さんの新訳は疾走感のある小説になっていて、グイグイ先が読みたくなります。『源氏物語』はずっと読みたいと思いながら、最後まで通しで読めたことがなかったので、ありがたい機会をいただけたと思っています。
角田:なんてお優しい!
内藤:私、10代の頃に母に言われたんです。「あなた、人生のことを何もわかっていないわね。『源氏物語』を読みなさい。すべてがそこに書かれているから」と。それでも、長いし、登場人物も多いし、なかなか読めずにここまで来てしまった……という感覚があったんです。今回のお話をいただいたとき、大ファンの角田先生の現代語訳で読めるなんて、神のお告げかと思うくらいでした(笑)。
角田:本当にありがたいことです。断れない事情があったのかな……なんて思ってしまっていました(笑)。
『源氏物語』は運命の物語
内藤:今日は伺いたいことがたくさんあります。情景描写がとても素晴らしいのですが、角田さんご自身は、必ずしもそれを思い浮かべて書かれているわけではない、というお話を聞いて、とても驚きました。
角田:そうなんです。例えば「御簾(みす)」というのはこうなっているんだな、ということは絵で見て理解するのですが、訳しているときに見たことがないものは浮かんできませんし、わからないまま書いています。大河ドラマの『光る君へ』を観て、「あぁ、五節の舞はこういうものだったんだ」とイメージできるようになりました(笑)。
内藤:でも、読者にはその情景がクリアに伝わるし、衣擦れの音や香りまで感じられるほどで。5年間、本当に大変なお仕事でしたよね。もう辞めたい、と思われたことは?
角田:少し原稿が遅くなると編集者の方がいつも「どうされましたか?」「ご病気だったりしますか?」とご連絡くださりますし(笑)、辞めたいと思うことはありませんでした。ただ、ストーリーが明確にあって面白いところと、ただ行事が延々と描かれるところがあって、私は後者の訳がすごく辛かったんです。内藤さんは、ここは読みやすいけれど、ここは嫌だな、ということはありませんでしたか?
内藤:ここまで3巻/660ページ分、朗読しましたが、それはないですね。それぞれのパートについて、自分に何が足りないのか……と考える日々です。
角田:何も足りなくないですよ! 頭が上がりませんし、収録日は内藤さんを思って拝むようにしないといけません。
内藤:本当に楽しいです(笑)。光源氏の成長に合わせて、自分も語りで進化していきたいと思っています。リズムやテンポも含めて本当に読みやすい作品だと思っているのですが、角田さんは、音読されることをどれくらい意識して小説を書かれていますか?
角田:まったく意識していなくて、テンポのよさはむしろ朗読を聴かせていただいて私が感じていることなので、内藤さんが作ってくださったものだと思います。『源氏物語』を訳すとなったとき、すでに多くの訳があり、それも立派な先生方によるものばかりで、何を変えるかと考えて、実は「格式が一番低いものにしよう」と思ったんです。「話がわかる源氏にしよう」と。でも、内藤さんの朗読は格式があって、雅やかで、本当にありがたいと思っていました。読んでいて好きなキャラクターとか、嫌なキャラクターはいますか?
内藤:好きなのは紫の上でしょうか。ちょうどいま読んでいるところなのですが、本当に残酷な設定だなと思っていて。一番愛されているのは紫の上なのに、源氏の君との間には子どもは生まれず、明石の君との間に生まれた子を取り上げるような形で育てる。紫式部って、どうやってこんなに残酷な話を思いついたんだろうと。
角田:本当にそうですね。訳していたときはその意味をあまり深く考えなかったのですが、女性が政治の道具になっていて、子どもの存在がその後の権力を左右すると考えたときに、「紫の上はその争いにかかわらずに済む」ということでもあるんだと気づいて。そうすると、また違うものが見えてきます。
内藤:多くの女君が登場する中で、女性の生き方を学ばせてもらっている気がします。また、角田さんの翻訳を読んで、『源氏物語』は運命に翻弄される人々の物語だと思いました。
角田:そうなんです。私も初めは色恋の物語だと思っていて、ずっと誰かが恋愛していて、泣いたり幸せになっていく話なのかなと思ったら、それよりも宿縁というか、因果というか、これは運命の話だと思えてきますね。例えば、現実にすごく苦手な人がいたときに、「前世で私が悪いことをしたのかな」と思うようになったり(笑)。そう考えると諦めもつく、ということもあります。
内藤:わかります!これまではそんなことは思わなかったのに、「これは何の報いだろうか」「前世の続きなんだろうか」って(笑)。見えない大きな力、というものについてより深く考えるようになりました。