あなたに“守るべき居場所”はあるかーー内戦に翻弄される呪術師たちの物語『邪行のビビウ』の普遍的な問いかけ

 東山彰良の『邪行のビビウ』(中央公論新社)は、誰の心にもある大切な居場所と、それを守ろうとする呪術師たちの物語である。

 主人公の名は、ビビウ・ニエ。17歳の若き邪行師(やこうし)だ。かつて天才と謳われた邪行師イフ・ユイの娘であり、いまは親代わりの大叔父ワンダ・ニエ――彼もまた邪行師である――とともに暮らしている。

 「邪行師」とは、独裁国家ベラシア連邦のルガレ自治州に伝わる「邪行術」を操る者たちのことで、彼らは死者――「冥客」(マロウド)と呼ぶ――の魂を一時的にこの世に呼び戻し、自らの足で歩かせることができる。それ以上のものでもそれ以下のものでもないが、ルガレの地では昔から「自分の足で家を出たら自分の足で帰ってこい」という教えが信奉されているため、この種の――すなわち、死者を「自分の足で」家まで歩かせてくれる異能者たちは重宝されているのだ(その一方で、陰では差別的な目でも見られているのだが)。

 とりわけ、ルガレの地で独立を求めて決起した反乱軍が政府軍と激戦を繰り広げているいまは、平時とは比べものにならないくらい「人が死にすぎて」おり、ビビウも連日「冥客」たちを「自分の家」に帰してやるための仕事にかり出されている。

大切な場所へ、自分の足で帰る

 さて、冒頭で私は、本作のことを「誰の心にもある大切な居場所と、それを守ろうとする呪術師たちの物語」と書いたが、国と国とが行う戦争とは異なり、そもそも「内戦」とは、(反乱軍の立場からすれば、だが)自らの居場所を自らの手で守ろうとする戦いに他ならない。

 いずれにせよ、ルガレの人々にとっては、いまも昔も、自分たちが暮らしている村や家が“魂の居場所”なのである。だからこそ、かの地では「自分の足で家を出たら自分の足で帰ってこい」という教えが代々受け継がれてきたのだろうし、“それ”が叶わない死者たちのために研鑽されてきた秘術が、邪行術というわけだ。

※以下、『邪行のビビウ』の終盤の展開について触れています。同作を未読の方はご注意ください。(筆者)

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