【追悼】『十二国記』や『薬屋のひとりごと』の先駆け 酒見賢一『後宮小説』が拓いた中華風エンタメ小説の世界
小野不由美の『十二国記』シリーズが来ても、雪乃紗衣『彩雲国物語』シリーズが来てもすんなりと受け入れられた。日向夏の『薬屋のひとりごと』シリーズでも、雪村花菜『紅霞後宮物語』シリーズでも、白川紺子『後宮の烏』シリーズでも、皇帝がいて後宮があって官女がいて宦官もいてといったシチュエーションを、所定のプラットフォームとして位置づけられた。その上に、薬学の知識で大活躍する少女なり、武官からアラサーで皇帝に嫁ぐ女性といった興味をそそる題材を乗せたストーリーを紡ぐことができた。
『薬屋のひとりごと』は今、小野はるか『後宮の検屍女官』や甲斐田紫乃『旺華国後宮の薬師』といった後宮が舞台の医学・薬学ミステリといったジャンルの隆盛を生み、小説界を盛り上げている。『後宮小説』が拓いた可能性の道は、30余年を経て小説界に縦横無尽に広がって日々、面白い作品を生み出し続けている。だからこそ、そうした土壌の上で酒見には今一度、自由で奔放な筆による作品を送り出して欲しかった。
『墨攻』以降の酒見は、孔子の弟子の顔回子淵を主人公にした『陋巷に在り』や、周王朝の政治家が主人公の『周公旦』、そして三国時代における大スターの諸葛孔明を描いた『泣き虫弱虫諸葛孔明』といった、実際の歴史に題材を取った作品を多く手がけるようになる。そのいずれにも、酒見ならではの登場人物への解釈があって深い興味を抱かせた。『パリピ孔明』に登場するポップな孔明像も、『泣き虫弱虫諸葛孔明』に描かれた表情豊かな人間・孔明を経たからこそ、目を背けられず面白がられているのかもしれない。
そうした、史実の上ですら自在に走らせることができる筆が、どこまでも広がる想像力の上で発揮されたたらどうなっただろうか。中国関係に留まらず、ミリタリーSF『聖母の部隊』やヴィクトリア朝を舞台にした『語り手の事情』のように、インパクトを持った作品を発表し続け、直木賞に限らず日本SF大賞も吉川英治文学賞も総なめして日本のエンターテインメント作家の頂点に君臨していただろうか。考えてしまう。
『後宮小説』が原作となったアニメ『雲のように風のように』が、今も愛され続けているように、人気アニメの原作者としても活躍していたかもしれない。実際、『墨攻』がスタジオジブリでアニメ化を検討されていたという話が伝わっており、『魔女の宅急便』のキャラクターデザインを始め数多くのジブリ作品に関わっている近藤勝也とは、『D'arc ジャンヌ・ダルク伝』という未完の漫画作品も手がけている。完結した上にアニメ化されていたらと思っている人も多いだろう。いっそ『後宮小説』が後宮ブームの”元祖”として改めてTVシリーズ化されても良かった。
そうした想像がどこまでも沸いてくるほど、突出した才能の持ち主であり惜しまれる存在であった酒見賢一。せめて残された数々の著作を改めて振り返り、語り継いでいくことでその存在を未来へと伝えたい。