ダースレイダー連載小説『Mic Got Life~ライム&ライフ~』第8回「ザ・モースト・ビューティフル・ガール・イン・ザ・ワールド」
夏が終わると時間がどんどん早く進むように感じられた。
いよいよヤマジらとは連絡が途絶えてきて神保町の駿台予備校の自習室に出かけて勉強するようになった。ここは居る人全員が勉強するぞオーラを出しているのでその気になりやすい。大教室にずらりと机が並び、そこら中で受験生たちが鉛筆を走らせている。隅っこの方に空いてるテーブルがあったのでノートをどかっと並べて取り掛かることにした。英語は音楽と映画のおかげか、割とすんなり理解が進む。現代国語も読書をしてきた甲斐あってか、それほど苦労しなかった。数学はかなり苦手意識があったが弱点が分かってる分、取り組みやすい。
お、なんだかんだ受験勉強のやり方わかってきたぞ。これはゲームだ。ゲームマスターが出題者、こっちはプレイヤーとしてゲームマスターの特徴を読んで……。
「へえ、こっち来てるんだ。」
頭の中で受験シュミレーションをしていたら急に声をかけられて慌てた。顔を上げると隣にネスリンが立っていた。
「ここ、空いてるの?」
「え? あ、多分誰もいないと思うけど……」
ネスリンは隣の椅子を引いて座るとノートと参考書を机の上に出した。
「は〜。間に合うのかな。」
「やるしかないよね。」
教室はカリカリと鉛筆の音が響いている。会話を弾ませるところでもないのですぐにまたノートに向かい合った。ネスリンも参考書を開いて勉強している。1時間ほどは集中していた。
「コーヒー飲みに行こうよ」
ネスリンが声をかけてきた。うなづくと二人で自動販売機のあるフロアに向かう。なんだかとても自然だ。
「そういえばファーサイド、アルバムもかっこいいね。」
「もう聴いた?私も買わなきゃ!」
「貸してあげようか? ってか今日も持ってきてるし。ウォークマンで聴いて来たんだよ。」
「本当に? じゃあ借りてダビングしちゃおっかな。よろしく!」
缶コーヒーを飲み終わるとどちらからともなく教室に戻った。そして、また1時間。すると、またどちらともなく立ち上がると一緒に教室を出た。今度は廊下で立ち話だ。
「ちょっと地学がやばくて。選考したのは良いけどちんぷんかんぷんだよ。」
「ああ、理科は後回しにしてるな。やばいよね。」
話していると塾が一緒のシマダという女子がやって来た。
「あれ? クウくんとネスリンじゃん。なんで二人でいるの?」
「あ、こっち勉強しに来たらたまたま教室で一緒だったんだよ。」
「へえ。いや、模試近いじゃん。マジヤバだよね……」
「ほんと。色々詰んできた……」
シマダはパタパタと通り過ぎていった。ネスリンがこっちを向く。
「ここ人多いよね。駅前のケンタッキーとかで勉強しない?」
「あ、わかった。そっち移ろうか、じゃ。」
お茶の水駅前のケンタッキーフライドチキンはガラガラで三階席は僕らしかいなかった。向かい合って勉強していたら気づくと既に夜の22時になっていた。
「頑張ったね〜。今日はおかげで捗ったよ!ありがとう!」
「いや、こちらこそ。わかんないとこ教わったし。あ、ファーサイド貸すよ」
「イエーイ!」
その日、ネスリンにCDを渡し、そして翌日もケンタッキーで勉強する約束をして駅で別れた。そこからごく自然に、勉強する時は連絡して一緒にやるようになった。シュホとお互いの誕生日にポケベルをプレゼントし合っていた。今もたまに勉強頑張ってる?といったメッセージは来ていて、適当に返事をしていた。ネスリンからも待ち合わせ時間の連絡が来るようになったが、ある日の夜、自宅の番号が送られてきた。
「ゼンゼンワカンナイトコアル。デンワシテ!」
恐る恐る電話するとネスリンが出た。電話だと声の感じが違って落ち着いて聞こえる。家にいるからだろうか? 英語の訳がわからなかったらしく、聞いた方が早いと思ったという。僕は緊張しながら翻訳をしてあげた。
「サンキュー! 助かった〜。よし、もう少し頑張ります!」
夜の電話にはドキドキがある。そしてネスリンと会うために勉強時間が大幅に増えたことで成績自体もぐんと伸びてきた。秋の模試では国立のトップ、つまり東大を狙える圏内に自分が入っていて驚いた。ただ、あくまでゲーム感覚でやってたこともあり、出題範囲の中で山をかけて勉強していた。山が外れたら目も当てられない。模試はある程度出題傾向が読みやすかった。一方、ネスリンは家の事情も合って浪人は出来ないと言っていた。冬が近づくと少し表情も曇りがちになりながらも、毎日の合同勉強は続いた。ケンタッキーばかりだと飽きてくるので晩御飯だけ近くのイタリアンに行こうと提案したらついて来てくれた。
「このミモザサラダってなんだろうね?」
「わかんないや。聞いてみよう。」
店員を呼んでミモザサラダってなんですか? と聞いたら少しして実物を持ってきた。卵のサラダだった。
「持ってくるっぽいなと思ったよ〜!」
ネスリンがケラケラ笑った。勉強で疲れた顔の時間が多かったので笑っているのが嬉しかった。そして可愛かった。運ばれてきたパスタを食べながら、ふとネスリンが遠くを見るような目になった。
「こないださ、彼氏に怒られちゃったよ。」
急に来た。こうした話題は敢えて避けていたがネスリンはカンダたちの先輩と付き合ってるという話は聞いていた。聞いていたが毎日のように僕とは一緒にいる。勉強しているだけではあるが。どう反応したものか迷った挙句、何も言わないでいた。
「でも仕方ないよね。今は勉強しなきゃいけないしさ、遊んでらんないじゃん。」
そう。そして、その勉強相手は僕だ。二人で勉強してることは向こうも知ってるのだろうか?
「一人で勉強してることになってるんだけどね。」
「あ、そうなんだ。でも・・・今はやるっきゃない!」
「そう! やるっきゃないよね!」
冬季講習、そして正月。受験モードはいよいよだ。センター試験の日は雪が降った。そこそこの手応えだ。受験生たちはほぼ学校に顔を出さなくなっていた。センター試験の後に教室に行くとモリシがいた。
「おお、クウ。久しぶりだな! 結構いい感じっぽいじゃん?」
「まあまあだよ。そっちは?」
「俺はさ、プリンスのライブ行ってきたぜ! まじでヤバかったよ。」
プリンスが来日ライブをしていた。受験モードにしてたら完全に情報を撮り損ねていた。元々ブラックミュージックの情報はモリシ経由だったけど話してすらいなかった。
「まじか! うわ〜、それは観たかったな。悲しき受験生よ……」
「そういやさ、サカ、捕まっちゃったらしいよ。新宿でおっさん殴ったとかで。」
「えええ?」
「あいつセンター試験にも現れなかったみたいで。心配した連中が探したら、なんかそんな事になってたみたいよ。」
モリシは元々それほどサカとは親しくなかったのでどこか他人行儀だ。だが、僕もしばらく会っていなかったこともありピンと来なかった。
「大変だね……」
この年、僕は東大にだけ願書を出した。ゲーム的にはレベルが足りていないのできっと受からないだろう。だが受験自体の雰囲気は知っておきたい。で、一年の浪人は親に宣言済みだった。
まずは一点集中でやってみよう。そう決めると脳がスッキリしてくる感覚があった。エンドルフィンが脳内で分泌されているのだ。
モリシの話を聞いてからプリンスの新作「ザ・ゴールド・エクスペリエンス」をウォークマンに放り込んだ。めちゃくちゃエネルギッシュなファンクアルバムだ。その中でも「エンドルフィン・マシーン」の高揚感は格別だ。この感じ、このモードだ。これで試験に挑もう。そして、もう一曲。これも今のサウンドトラックだ。「ザ・モースト・ビューティフル・ガール・イン・ザ・ワールド」。ネスリンにも会わなければ!
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