杉江松恋の新鋭作家ハンティング 朝比奈秋『あなたの燃える左手で』の意欲的な挑戦
人間の体と国土とを重ね合わせるこうした表現がどの程度こなれているかという判断が評価を分ける点なのではないか。前作『植物少女』(朝日新聞出版)よりも直截的になったとは思う。同作が個人の物語であったのに対し、社会全体への広い視野を必要とする小説になったためだ。意欲的な挑戦だと私は感じた。後半の展開を明かしてしまうためここでは書けないが、アサトの意識が術後で混濁していることが実は大きな意味を持っている。それによって生じた誤認を利用して作者はある仕掛けを施しているのである。終盤である事実が判明したとき、読者は大きな喪失感を味わうことだろう。言うまでもなくそれは、自身の意志に反して分断を強いられたときに人々が味わうものに重ね合わされているのである。カワイソウナテ。カワイソウナウデ。そしてカワイソウナ。
ここまでにしておこう。奥行きが深く、よく考えられた小説である。朝比奈の著書はこれが三冊目になる。デビュー作は第7回林芙美子文学賞を得た「塩の道」で、北の漁師町に赴任した医師の視点で書かれている。言い遅れたが朝比奈は現役の医師で、これまでの作品はすべて医療小説に属するものである。「塩の道」は最初の著書である『私の盲端』(朝日新聞出版)に収録された。「私の盲端」の主人公は直腸切除手術を受けた大学生の女性である。それらしいやファッション友人との付き合いに気を取られることが多い世代の若者が、突然オストメイト生活に入る。人工肛門を腹部に付けて街を歩かなければならなくなるのだ。そのことにより主人公は世界の見え方が一変する。われわれの住んでいる社会が、いかに偏っており、いわゆる健常者のためだけに設計された異常なものかをこの小説は示した。
続く著作の『植物少女』が三島賞受賞作である。母親が自分を生むときに脳出血し、植物状態になってしまった女性が語り手だ。意識はなく、ただ食事と排泄をしてベッドの上にいるだけの母親を、彼女はもっとも身近な存在として暮らし、成長していく。人と人とのつながりとは、あるいは人間が生きるとはどういうことなのかという問題提起を含む意欲作であった。この小説も芥川賞候補になってよかった。2023年を代表する小説の一つだったと思う。
『私の盲端』『植物少女』『あなたの燃える左手で』と読んできて思うのは、作者のユーモア感覚が優れているということだ。衝撃的な事実、辛い現実をユーモアにくるんで書くことに長けた作家である。『あなたの燃える左手で』でも、ハンナの話すハンガリー語が関西弁のように聞こえるというくだりがある。ウクライナ語のイントネーションでハンガリー語を話すからなのだが、地続きで国の行き来があるヨーロッパだから起きることを、日本の方言に見立てて書いているのである。ウクライナ人が「いけなくてごめんやで」などと言うのを読むと思わずクスリとくる。もちろんこれも、日本人の読者が他国の出来事をわがことのように引き付けて考えるようにという仕掛けの一つなのである。それを笑わせながらやる、ということに意味がある。ちょっとおかしくて、そしてあとでかなしい。それが朝比奈秋の小説だ。しみじみといい。