福嶋亮大の大江健三郎 評:《弟》の複眼――大江健三郎の戦後性

『死者の奢り・飼育』

 もとより、どんな社会の基底にも「呪われた部分」(バタイユ)がある。大江が「粘液質の厚い壁」に囲まれた戦後社会にかかった「あいまい」な呪いに、筆一本で(しばしばドン・キホーテ的に)立ち向かっていたことは疑い得ない。彼の複眼に映る世界は、一言で言えば荒廃している。しかも、特にその初期作品は、どんな希望も抱けそうにないくらいに徹底して荒廃しているのだ。幸せであるとはどういうことなのか、もはや想像できないし、そもそも考えもしないような人間たち――それが大江の初期作品を満たしている。

 文芸誌でのデビュー作『死者の奢り』(一九五七年)には、すでに疲労の色がすみずみまで染み込んでいる。アルコール漬けにされた水槽の死体たちに同一化する主人公は「そうとも、俺たちは《物》だ。しかも、かなり精巧にできた完全な《物》だ」と語る。他方、彼とペアになった女子学生は妊娠してはいるものの、お腹の胎児が水槽の死体と近しいというオブセッションに心を鷲掴みにされている。もとより、戦争を生き延びた日本人の多くは、死体を見慣れていただろう。しかし、敗戦国の作家の誰もがこのような死体への同一化を感じるわけではない。

 さらに、このような荒廃の呪いは、大江の小説からほとんど固有名が排除されていることにも現れている。それは、太宰治ふうの「みっともなさ」とは違って、実存的な「みじめさ」とつながっている。

 例えば、アメリカによる占領体験を寓話化した『人間の羊』(一九五八年)では、若いフランス語の家庭教師ら日本人たちが、バスの車内で外国兵に「羊」のような恰好をさせられ凌辱される。三島由紀夫の『仮面の告白』(一九四九年)がホモセクシュアルのテーマを美学的なアイデンティティ形成に差し向けたのに対して、大江はそれを政治的な占領のアレゴリーとして用いた。興味深いことに、フランス語の家庭教師も含めて、そこには一切の固有名が出てこない。この無名性は大江の小説の常だが、『人間の羊』ではそれが作品のテーマそのものとして扱われ、人間は無名の動物に置き換えられている。

 重要なのは、大江がこの作品で名づけと権力を結びつけたことである。バス内で凌辱の様子を目撃した教員は、警察に届け出ようとするが、羊たちは「不意の唖」となって黙りこくり、名前すら名乗ることがない。教員は「どうしても名前を隠すつもりなんだな」と激高し、本来は被害者であるはずのフランス語家庭教師を脅迫する。

お前の名前も、お前の受けた屈辱もみんな明るみに出してやる。そして兵隊にもお前たちにも、死ぬほど恥をかかせてやる。お前の名前をつきとめるまで、俺は決してお前から離れないぞ。

 いつまで名無しの荒廃のなかで甘えているのか、早くまともな名前と顔をもった市民になれ、と恫喝するこの教員こそが、戦後社会の権力者である。しかし、大江はあくまで名前と言葉を失った屈辱にこだわり、人間の壊れやすさや暴力性を《戦後》の時空に召喚しようとする――彼自身の言葉を借りれば、模型のような「しずくの中の別世界」(『私という小説家の作り方』参照)に、この危うい世界を浮かび上がらせようとするのだ。繰り返せば、このしずくのなかの荒廃を持続させる力こそが、大江の文体を特徴づけている。

 もし大江がいなければ、中上健次も村上春樹も村上龍も出てこなかっただろう(※)。彼らの初期作品はいずれもそのアモラルな荒廃ぶりにおいて、大江の初期作品とよく似ている。それが意味するのは、大江が戦後日本の想像力の「原風景」になっているということである。われわれは表面上、平和を謳歌していたとしても、一歩足を踏み違えればいつでも底なしの荒廃に差し戻される――そのことを全力で引き受けようとする人間が、戦後日本では小説家になってきたと言えるだろう。

 ゆえに、一九八〇年代後半以降、日本人の《戦後》のリアリティがいよいよ希薄化するのに伴って、大江が「最後の小説」という言葉をほとんど濫用し始めたことは偶然ではない。ノーベル文学賞受賞という快挙はあったとはいえ、平成以降の大江はつねに作家的苦境のなかにあったように思える。正直に言えば、私が大江の小説から、私的な妄想の閉域をひたすら堂々巡りしているだけではないかという印象を受けたことも、一度や二度ではない。だが、そのような弱点も含めて、大江を抜きにして《戦後》とは何かを考えることはできない。私はあえてここで「あいまいさ」なしに、そう断言しておきたいと思う。

(※)特に、村上春樹がその初期作品において「僕」と「鼠」の二人組を登場させたことには、明らかに大江との共通性が見られる――もっとも、このカップルの語りは徐々に希薄化してゆくのだが。ついでに言えば、村上が多くのアメリカ小説を翻訳し、翻訳者と小説家の両輪で仕事を続けてきたのに対して、大江はフランス文学を中心に外国文学に誰よりも深く親しみながら、小説の翻訳を手掛けなかった。ある言語を別の言語に変換するよりも、言語と言語のあいだのボーダーランド(紛争地)にあり続けること――それが大江のポジションであったのだろう。

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