福嶋亮大の大江健三郎 評:《弟》の複眼――大江健三郎の戦後性
二〇代の頃から日本文学の若きトップランナーと見なされてきたにもかかわらず、大江健三郎が自らを「遅れてきた」作家として自己規定していたのは、その《弟》的な性格と深く結びついている。大江にとって戦後とは、まさに決定的な事件の「後」に続くことを宿命づけられた時代であり、その遅れやズレが明晰判明なリアリズムではなく、ねばつく異様な文体を生み出すのだ。「粘液質の厚い壁の中」はそれにふさわしい文章でなければ捉えられないからである。
大岡昇平や三島由紀夫の視覚的な文体とは違って、大江の触覚的な文体はものごとの解析には向いていない――というより、ものを見るにしても、大江は『野火』とは違う「眼」を得ようとする。この点で『空の怪物アグイー』(一九六四年)の冒頭には、たいへん興味深い文章がある。
ぼくは自分の部屋に独りでいるとき、マンガ的だが黒い布で右眼にマスクをかけている。それは、ぼくの右側の眼が、外観はともかく実はほとんど見えないからだ。といって、まったく見えないのではない。したがって、ふたつの眼でこの世界を見ようとすると、明るく輝いて、くっきりとしたひとつの世界に、もうひとつの、ほの暗く翳って、あいまいな世界が、ぴったりとかさなってあらわれるのである。
戦争の前線に立って、明晰な眼で戦争の現実と狂気を捉えようとした戦後文学者たちと違って、大江ははじめからいわば二重の眼をもつことを強いられていた(この点で、大江のトレードマークが眼鏡であることは象徴的である)。大江の語り手はそのつぶれた片眼によって「もうひとつの、ほの暗く翳って、あいまいな世界」に執念深くアクセスしようとする。大江は文字通り「複眼的」であろうとした作家であった。そのような《弟》の眼は大岡昇平や三島由紀夫のような《兄》にはないし、中上健次、村上春樹、村上龍のような戦後社会の《息子》にもない(※)。それは、出来事をそのすぐ「後ろ」で――いわばバックヤード(裏庭)で――体験した人間だけが得られるような眼である。
大江の初期の短篇小説を読むだけでも、彼がいわば左眼で人間を見ながら、右眼ではそこに犬を、羊を、死体を、樹木をアレゴリー的に重ねあわせていたことがわかるだろう。大江は家庭内では三人の子をもつ父であり、政治的には戦後民主主義と平和憲法を擁護してきた一方、その小説にはたえず「明るく輝いて、くっきりとしたひとつの世界」には所属できないもの、壊れやすいもの、暴力的なものがオーヴァーラップしてくる。人間の顔をした犬や羊は、戦後のヒューマニズムが覆い隠す《暴力の受容体》として機能する。ゆえに、大江は一方では良心的なヒューマニストに見えるし、他方では凶暴なアンチヒューマニストに見えるのである。
なかでも『空の怪物アグイー』は大江の想像力の雛型と呼ぶべき重要な作品である。語り手の「ぼく」は、つぶてを受けて片眼をつぶされたために(ここには当然、六〇年安保闘争の痕跡が読み取れる)、世界が二重に見える。その一方、子どもをなくして精神に変調をきたした年長の音楽家は、アグイーという怪物を自らに憑依させ、この世界から次第に外れてゆき、ついには交通事故死を遂げる。この二人組のモデルは後に、『万延元年のフットボール』(一九六七年)の自閉的な蜜三郎と行動的な鷹四の兄弟として再現されることになるだろう。
暗く激しく行き場のない情念を感じさせる『万延元年のフットボール』の主人公たちは、まさに満身創痍である。右眼を失明した蜜三郎は、もはや夢を見ることもないほどにアルコールに溺れている。そして、安保闘争で傷ついた鷹四は、四国の森の「御霊」を背負って進みながら、過去の恥辱を兄にあばかれて自殺する。鷹四が政治的な行動に出ようとすればするほど、彼はかえって世界から外れた「非存在」に近づいてゆくのだ。二人組の《兄弟》を単位とする大江は、単一の声ではなく、あくまで分裂を孕んだまま物語を推進してゆく――しかも、その兄弟のあいだにもギャップや敵対性があるため、大江の「あいまいさ」はいっそうその度合いを増すことになる。
(※)参考までに言えば、大江自身はエッセイで次のように述べている。「戦後文学者たちの、いかにも戦後文学らしい創作活動は、一九四六年の野間宏『暗い絵』や埴谷雄高『死霊』にはじまり、一九六九年に書き終えられた大岡昇平『レイテ戦記』と、おなじ年に書き起こされた武田泰淳『富士』で、大きい流れをしめくくる、というのが僕の考える時代区分です」(「戦後文学から今日の窮境まで」『「最後の小説」』所収)。大江はこのおよそ二〇年強の戦後文学の運動を経て、一九八〇年代の村上春樹がその思想運動を「能動性から受動性へ」という形でちょうど反転させたと指摘しているが、奇妙なことに自分自身のことは棚上げしている。ただ、それは大江のポジションが両者のあいだにあったことを示唆するだろう。