三度の落選も内容を変えずに大賞受賞の異色作『標本作家』小川楽喜「プロットがないことでスケールの大きい作品がつくれた」
人類最後の小説を書くという『標本作家』の着想
——受賞作の『標本作家』は、8027世紀(西暦80万2700年)の遠い未来を舞台に、玲伎種という高次の存在によって歴史上の文人たちが〈終古の人籃〉という施設にカンヅメにされて、合作によって人類最後の小説を書くというお話です。時間的にとても大きなスケールのSF作品だと感じましたが、このような独特なイマジネーションはどのように発想に至ったのでしょうか。
小川:20代前半のころに、ひとりの女性がある特殊な施設の中で世界の偉大な人たちとめぐり会って話が動いていく……という話を漠然と考えてはいました。その後しばらく書くことも何も出来なかった時期があったのですが、ようやく精神的にも体力的にも小説を書けるようになって、このイメージを形にしたいとまず真っ先に書き始めたのが『標本作家』です。
——遠未来というSF的な舞台設定を本作で用いた理由はなんですか。
小川:SFファンに対して失礼な言い方になるかもしれないですけど、この作品に関してはあまりSFだと意識して書いた自覚はないです。自分の好きな世界を創って自分の好きなように書いた小説が、結果としてSFとして受け入れられたという感じで、書いてからそういえばSF的な要素もあるなと後で自分も気付かされた感じです。自然体で書いたからSFになったので、私自身がSF要素のある世界観が好きだった部分もあると思います。
——参考にされた作品などはありますか。
小川:H・G・ウエルズの『タイム・マシン』で、タイムトラベルで行った時代である紀元80万2701年の世界というのはまさにそうです。遠未来で世界を作るのだったらこの作品になぞられたいという気持ちがありました。ただ時代を合わせるだけではなく、〈文人十傑〉の途中のエピソードでもあるのですが、人類が滅びる様というものを『タイム・マシン』のオマージュとして二つに分かれた人類がどちらも退化して滅んでいくという部分もです。
——特権的な人類(イーロイ)とそうではない下層に分断された人類(モーロック)が、結局は共に知能が退化していくエピソードですね。
小川:そうです。あれはそのまま『タイム・マシン』のオマージュで申し訳ないかなと思いながらも書いたんです。そのうえでこの物悲しい世界観で物書きが残っていたらどうなるだろうという発想がありました。
——『標本作家』には〈文人十傑〉として劇中での歴史上の偉大な作家たちが登場します。その作品性や人となりからモデルとなった実在の作家をイメージできるわけですが、実名にしなかったのはなぜですか。
小川:良く似た世界の別人という形で書いておきたかったのです。まず作中作としていろいろな架空の小説が登場するのですが、最終的にこの物語が辿り着くラストに向けて、ちょっとアレンジしなきゃいけない作品がたくさんでてきます。とくにドラスティックに変えたのがオスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』です。これをそのまま『標本作家』の中で出してしまうと話の流れとマッチしないので、かなり大胆にアレンジしました。それで作品をアレンジしたならば作家のほうもしなければと思いまして、作家と作品の両方ともアレンジしたという感じです。
——本作の中でも“異才混淆”と呼ばれる共著のイメージが異彩を放っていましたが、これはどのような発想から生まれたのですか。
小川:この作品の中ではメアリという語り手が共著には否定的で、セルモスに単著を書いてくださいという話になっていきます。そのためには否定すべき共著が成立できる仕組みと世界を作っておかないといけませんでした。世界の文豪10人が集まってひとつの小説を創るとなると必ずぶつかって物事が進まないだろうと思いました。それでも共著が成立する仕組みがあるという説得力を持たせるためにも、玲伎種という高次の存在によって全ての作家の才能や作風が自在に操れるシステムがあれば、共著は成り立つということで“異才混淆”を創らせてもらいました。
プロットがないことで結果的にスケールの大きい作品になった
——そういった仕掛けを作中のいろいろなところに上手く配置されていると感じましたが、本作を構成するにあたって気を付けたことはありますか。
小川:先ほどもお伝えしましたが、プロットがなくて、その場その場で面白いと思ったものを書いていったのですが、ただまったくなにも考えてなかったというとそうでもなくて、物語の前半に後半活きるであろう話のタネみたいなものを要所で蒔いています。そこから後半に入ってきてどう膨らませて結び付けていくかが書いていて一番辛かったのですが、だからこそやりがいのあるところでした。
——プロットがあると変わってしまうことはありますか。
小川:プロットがあればもっとスムーズに書けたかもしれないですが、それだと逆に今あるこの作品よりも小さくまとまったものになっていたと思います。プロットを作っておくと、まとめることを念頭に書いてしまうというところがありますね。
——大きなテーマとして作家の創作の営みに焦点が当てられている一方で、読み手である読者の存在がはっきりしない部分がありました。これはどのような意図があったのでしょうか。
小説は自分のために書いている
小川:私自身、小説は自分のために書いています。自分のために書いて、その後にできあがったものが読者に届いて楽しんでもらえたら嬉しいという立場の人間です。そのうえで自分のために書くというのは、まず読者としての自分がいるということなのです。作者自身がまず読者だから、『標本作家』の終末世界ではまだ作家が書くという意味は残っていると思っています。作中の同業作家も読み手になってくれるし、語り手のメアリもまた読者なのです。小説を書かせている玲伎種は読者ではあるのですが、これは最悪の読者ですね。文句しか言わない連中なんです(笑)
——第四章のタイトルの『閉鎖世界の平穏(アサイラム・ピース)』を見て小川さんはアンナ・カヴァンに思い入れがあると感じたのですが、アンナ・カヴァンはまさしく自分のために小説を書いていたような人ですね。
小川:アンナ・カヴァンに関しては『標本作家』執筆中に出会って作品に取り入れました。はじめは作品に使えたら入れておこうという軽い気持ちで読み始めたのですが、予想以上に凄い作家だと感じて、これはアンナ・カヴァンを深く取り上げないといけないと判断しました。とはいえアンナ・カヴァンをモデルにしたキャラクターが中心となる第四章は、実は応募時にはなかったのです。
——四章の追加の理由はなんですか。
小川:受賞後に塩澤快浩さん(早川書房編集部)が選評で「作家たちの自由な姿がもう少し描かれてもよかった」と書かれていまして、私もそう思っていたのですが、応募時に第四章を抜いた枚数がすでに650枚ぐらいになっていて、これ以上増えたら応募する先がなくなりそうでした(笑)。受賞したあとに私からエピソードの追加をお願いしたところ、塩澤さんから助言をいただいて、より具体的になったという経緯があります。これはとても身になりましたし勉強になりました。
——受賞して編集者が入ったことで感じたことはありますか。
小川:これまで自分でベストだと思っていた作品が、塩澤さんの助言でまだまだ改善できる余地があったということを知れたことですね。
——ようやく本作の直す部分が見つかったのですね。
小川:そうです。ようやく直せました(笑)
——小川さんが過去に読んだ本のなかで強く心に残っている作品はありますか。
小川:『アルジャーノンに花束を〔新版〕』(ダニエル・キイス[著]、小尾芙佐[訳]/ハヤカワ文庫NV)ですね。脳の手術を受けて天才以上の知能に昇りつめて、また知能が低下していって元の一般の人よりも知能が低い状態に戻るという話で、ものすごく悲しいストーリーなのですが美しい話でもあり、とても心に残っています。壮大な話というわけではないのですが、知能というのは人間の幸せに繋がるものなのかという、とても深遠なテーマを扱っていて、ああいった読後感というか心を震わすような作品を私も書いていきたいなと思いました。
——受賞後ですが、今後の作品の構想などはありますか。
小川:ハヤカワSFコンテストを受賞したからといって強くSFを意識してしまうと変なことになってしまいそうなので(笑)、自分にとって好きなもの、興味のあるものを自分なりに魅力的な世界として創り上げて、そのうえでお話を書けたらと思います。ジャンルに縛られず、「小川楽喜が書いたものだな」と思っていただけるような小説をこれからも書いていけたらなと思います。
小川楽喜
1978年生まれ。大阪府在住。元グループSNE所属。既刊に『百鬼夜翔 闇に濡れる獣──シェアード・ワールド・ノベルズ』、『ゲヘナ -GEHENNA-』(共著:グループSNE、監修:友野詳)など。2022年、『標本作家』で第10回ハヤカワSFコンテスト大賞を受賞。