ブレイディみかこ 初小説に託した思い「他者への想像力を育てるには文化の果たす役割が大きい」

両手に本物のトカレフを握らなくてもいいように

――本作では『ぼくイエ』で書けなかったティーンのことを書きたいと、帯にも書かれていますが、今回はその手法として小説を選んだということですね。個人的に作中で印象的だったのは、ウィルがミアのラップを「リリックが本物(リアル)なんだ」と褒めたことで、近づきつつあったミアの心が離れてしまうシーンです。ミアが辛い環境にいる中で生まれた言葉を、恵まれた環境のウィルが無邪気に喜んで消費することに残酷さを感じると同時に、ウィルの反応が全く理解できないわけでもないんですよね。苦しみや辛さはない方が良いに決まっているのに、そういった経験から生まれた言葉に惹かれてしまう残酷さは、誰しも少なからず持っているのではないかと思います。

ブレイディ:これは今まであまり言ってこなかったことですが、実はこの本を書くにあたって、ダレン・マクガーヴェイの『ポバティー・サファリ イギリス最下層の怒り』もヒントになっているんです。2018年にオーウェル賞を受賞し、日本語にも訳されている本です。私はこの本の日本語版の序文も書いているんですが、読んだときにすごく衝撃を受けました。ダレン・マクガーヴェイは、まさにミアみたいな状況で育ってラッパーになるんですが、政治的な発言もする人で重宝され、スコットランドのBBCラジオで政治番組を持っていました。そこで彼は、自分が経験したことをすごく赤裸々に語るんです。「母親がドラッグ依存症で子ども時代に殺されかけた」とか。でも、彼がそういう貧困層のリアルを語るとみんな喜ぶんですが、「政府はこうするべきだ」とか「この政策は本当に貧困層のためになってない」とか政治的なことを言い出すと局側が嫌がる。

 この状況を通して彼は、この本の中で「自分は貧困層のサンプルとして使われている。右派は『貧困は自己責任だ』と言うし、左派は『自分たちに投票してくれればあなたたちを救います』と言う。右派も左派も、貧困層を政治の道具としか見ていない。そしてメディアは、本当に苦しい貧困層の状況をまるでサファリのように見に来る。安全な車に乗って珍しい野生動物の様子を見て、見たくなくなったら窓を閉めて去っていくように。でも実際に貧困層で生きている私たちは、窓を閉めたりはできない。だから、自分たちに必要なのは力だ。かわいそうな人たちとして救ってほしいのではなく、自分たちで思考し生きていく力がほしいんだ」と主張しています。

 これには私もすごく同感しました。イギリスでは労働党しか貧困層を救えないなら、労働党が政権をとらないと貧困層は一生救われないことになる。それではこの環境に生まれてしまったからもうだめということになってしまいますよね。そうじゃなくて、一人一人が何か変えていける力が必要なんです。だからミアがラストシーンでウィルに送る、「私は、私の世界を変えられるかな」というメッセージも、そこにリンクしています。逆にウィルの「リアル」という言葉は、まるでサファリするような感覚ですよね。


――そのシーンでミアがウィルに対して感じたように、フミコのパートでは「人と人との関係に対等なものなどない」という言葉が出てきますが、現状の世の中はその通りだということも否めません。この現実に私たちはどう向き合っていけばいいのでしょうか。

ブレイディ:私はそれをウィルとミアの関係性に託しました。実際、ウィルがミアを本当に理解することはできないですが、それでもわかろうとしています。そうやって生きていくのが人間だし、それがいわゆる「エンパシー」ですよね。私は以前書いた本で、エンパシーを“他者の靴を履いてみる”という言葉で表現しています。当たり前のことですが、多様性があるところには衝突もあります。貧困の人、中流の人、裕福な人。これも縦の多様性なんです。もちろんこの多様性はない方が良いですけど、実際いろいろな階層の人がいるわけじゃないですか。「エンパシーなんて綺麗ごとを言ったって、白人に黒人の気持ちがわかるわけない」とよく言われるんですが、その理屈で言えば金持ちに貧乏人の気持ちは絶対にわからないし、逆もそうです。それでも他者への想像力を育てていかなければ、似た者同士の小さなコミュニティの中でお互いにウケる言葉を言い合って喜んでいるしかない。それじゃ世界が広がらないじゃないですか。

 だから自分と全然違う階層の人とか、違うところに住んでいる人とか、違う体験をしている人たちに対する想像力を育てて、対話をしなくてはいけない。自分たちのコミュニティの中だけで話している方が楽ですが、それは最も多様性がない状態ですよね。対話は絶対に拒絶しちゃいけないと思うんです。とはいえ、いきなり「他者への想像力を持て」と言っても、貧困にある人々がどんな生活しているのか、人種差別的な言動の多いコミュニティにどういう問題があるのか、知らなければ想像もできない。そこで役立つのが本や映画や音楽です。本や映画はもちろん、優れたリリックを読めば、別の世界が垣間見られます。文化ってそういった部分で果たしている役割が大きいのかなと私は思うんです。

 ウィルとミアの話に戻りますが、ミアもウィルが自分のことを本当には理解できないということはわかっている。それでも「私は、私の世界を変えられるかな」と問いかけて、そしてウィルは「すべてにYES」と答えた。この答えは「努力し続けますよ」ということなんです。そういう人が周りにいるって大事ですよね。先ほど私は10代のときに本と音楽に救われたと言いましたが、それ以外にも、たとえば学校の先生が私の書いた言葉を読んでくれたことに救われたときもありました。そういう人がいれば、両手に本物のトカレフを握らなくてもいい。怒りを言葉に変えられるんだと思います。

写真=Shu Tomioka

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