窪 美澄「コロナ禍であろうと人は恋をしたいし、するもの」 直木賞受賞作『夜に星を放つ』に込めた願い
手触りを語感に訴えかけるようにして描く
――三作目「真珠星スピカ」のお母さんは、幽霊として登場しますしね。
窪:掲載される号が怪異特集だったというのにくわえて、ちょうど『コックリさんの父 中岡俊哉のオカルト人生』という本を読んでいたんですよね。それがおもしろくて、そういえば昔、コックリさんってやったことがあるなあ、とモチーフとして使うことにしました。
――娘である主人公の前では微笑むばかりだったお母さんの幽霊が、娘を守るために凶暴性みたいなものを発揮するところは、怖かったですけれど、人には多面性があるのだということが映し出されていて、すごくよかったです。
窪:私はよく連作短編を書くんですけれど、章ごとに語り手を変えると、同じ人でも見せる表情が変わって、違う印象を生み出すことができるんですよ。この人はこういう人、と思っていたのが、単なる一面的な思い込みに過ぎなかったのだということに、私自身も書きながら思い知らされる。子どもを遺して亡くなる母親は、きっと、想像もつかないほどの無念を抱えているでしょうし、いきなり命を奪われてしまったことに対する怒りも、娘には見せなくてもあっただろうな、と想像しながら書いていました。
――幽霊やコックリさんという非現実のモチーフを使った作品ですが、5編のなかでもひときわ、感情の手触りのある作品だったような気がします。お父さんと二人で遺品整理をしようとして、お母さんの匂いがしたからやめた……というくだりなど、その匂いが伝わってくるようで、胸を衝かれました。
窪:やっぱり小説って、フィクションである以上は、嘘なんですよ。でも読んでいる間はその世界がちゃんとあるものとして浸っていただきたい。地面が揺れる、匂いがたちこめる、水蒸気がかかる……その手触りを語感に訴えかけるようにして描くということは、常に意識しています。
――最終話の「星の随に」は、父親が再婚した新しい女性を「お母さん」とは呼べずにいる小学生の想(そう)が主人公です。生まれたばかりの弟を泣かせてしまうから、という理由で夕方、自主的にマンションのエントランスにとどまる彼が、同じマンションに住むおばあさんと交流する物語。これは、窪さんの実体験がもとになっているとうかがいました。
窪:そうなんです。私はおばあさん側の立場で、以前住んでいたマンションのエントランスで、ひとり泣いている男の子を見かけて。「お父さんに、お外に行ってなさいとか言われた」と言う彼の話をよくよく聞いていると、自分がうるさくして赤ちゃんを泣かせちゃうとお父さんに叱られる、ということだったんですよね。本当のお母さんは隣の駅に住んでいて、たまにしか会うことができない、というのも聞きました。よそのご家庭に深く介入することはできないけれど、放っておくこともできないから、とりあえずは一緒に彼の家を訪ねて、出てきたお父さんに「心配だったので私が余計なお節介を焼きました、怒らないであげてください」と言うしかできなかったんですけれど……どうするのが正解だったのか、ずっと心の片隅にひっかかっていたんですよね。もうちょっと具体的に、あの男の子に関われる存在がいたんじゃないか、と考えたところから、物語が生まれていきました。
――小説として書きあげたことで、ご自身の迷いに、何か決着はつきましたか?
窪:その後、会うこともなくなってしまったので、あの男の子がどうしているだろうか、というのはいまだ気になるところではありますが……一緒に暮らす家族とはまた違う、小説に登場させたおばあさんのような、ワンクッション置いた関係の人が手を差し伸べられたら、やっぱり理想的なんじゃないかとは思いますね。配慮するとまではいかなくとも、ちょっと気にかけておくというのは、大事なことで。自分のことを気にかけてくれている誰かがいるというだけで、支えになったりするじゃないですか。特に子どもに対しては、社会全体で見守るまなざしをもつということが、追い詰められた子どもを救うことに繋がるんじゃないかなと思います。ただ、たとえば「湿りの海」に登場した老婦人は、下世話な目線で他の住人たちを観察していて、その目線は、困っている人を助けるどころか、追い詰めることになりかねないので、現実には難しいこともたくさんありますけれど。
――きっと、これからの作品でも窪さんは、そうした人とのかかわりを丁寧に描いていかれるのだと思いますが、今後はどのような作品を予定されていますか。
窪:次は女の一代記みたいなものを書こうと思っています。私はわりとテーマの振れ幅が広いほうなんですが、とにかく、いろんなタイプの作品を書きたいなと思っているんですよ。一つのテーマを繰り返し、手を変え品を変え深めていくというよりも、そのときの世相に応じて、自分の見聞きした出来事や、人々に渦巻く感情を掬い取って、ピン止めするように、一作でも多く表現していきたいなと思っています。
■書籍情報
『夜に星を放つ』
窪 美澄 著
価格:1540円
出版社:文藝春秋