後藤護の「マンガとゴシック」第4回

『アラベスク』に秘められたグロテスクなデーモンーー山岸凉子のバレエ・ゴシック【前篇】

アラベスクと余白の美学

 前回、萩尾望都『ポーの一族』のうねりくねるロココ曲線を「アラベスク」と呼ぶことで終えたが(参考:『ポーの一族』と「ロマンティックな天気」 ——疾風怒濤からロココ的蛇状曲線へ)、正にその言葉をタイトルに冠したバレエ・マンガの革命的作品が山岸凉子『アラベスク』である。E・A・ポーが自らのゴシック小説集を『グロテスクとアラベスクの物語』と名付けたことに鑑みても、19世紀ロマン派の文学・音楽・舞踏・美術すべてに一大流行を見せたこの「アラベスク」なる概念について、掘り下げてみないことには始まらない。

 卓球マンガ「レフトアンドライト」で1969年にデビューした山岸は、水野英子のタッチを模して丸いキュートな線を当初は描いていた。しかしそれから一年ほどして、封印していた本来の持ち味であるシャープで細長い線を復活、その結果として生まれたのが「雨とコスモス」である。

 『りぼん』(1971年)に一度掲載されたきり単行本未収録のままだが、その同年に『アラベスク』の連載が始まったことを考えると、地味ながら極めて重要な一作である。また「雨とコスモス」は掲載後、読者から「こんな化け物のような顔で描かないでください」と苦情の手紙が殺到したというから、当時いかにショッキングでデカダンスな線と見なされたかが分る。山岸との対談で、水野英子はこの「細い線」がもたらした衝撃について語る。

「あの線は衝撃的だったんですよ。あれから一斉にみんながあの細い線に流れましたから。漫画史的に言うと、あれで手塚タッチから解放されたの。私たちのようなドタッとした線ではなくて、あの細い線だからこそ『アラベスク』のバレエの軽やかさ、リアルな感じがとっても出たんだと思いますよ。」(『舞姫 テレプシコーラ4巻』所収)

 バレエの「軽やか」なフィギュアを表現するための唐草模様=アラベスクがこうしてマンガの世界に誕生した。ところで「図形」や「かたち」のことを英語で「フィギュア」といい、言わずもがなこれはフィギュアスケートの「フィギュア」である。つまり氷の盤上に描かれる図形のことであり、舞踏における筆跡である。文章で言えば「文彩・修辞」も意味する多義的な言葉でもある。つまりビアズレー、ミュシャといったアール・ヌーボー的描線の系譜に連なる山岸の細い線【図1】の出現で、マラルメが「肉体のエクリチュール(書き言葉)」と呼んだバレエの、その優雅な「フィギュア」をマンガで描くことが可能になった。

図1:トマス・テオドール・ハイネの描くロイ・フラー(1899年)。薄いヴェールの流れるようなフォルムを表すこの「ダンスする」曲線は、山岸凉子バレエ・マンガの「細い線」の先駆け。/出典:海野弘『アール・ヌーボーの世界 モダン・アートの源泉』(中公文庫、2003年)、196ページ。

 線だけではなく、その大胆な余白のとりかたにおいても山岸美学は際立っている【図2】。その意味で山岸凉子はとりわけビアズレーに近い。アール・ヌーボー様式は夥しく装飾的になり背景を埋め尽くすものが多い一方で、ビアズレーは「最小限に節約された線と大きく残された空白」(海野弘)に特徴があるからだ。ほとんど真っ白なコマが頻出し、そこにササっと最小の線を縫うような山岸のビアズレー・スタイルは、少女マンガに典型的な真空恐怖症に堕することなく、独自のミニマリズムをもっている。代表作『日出処の天子』の冷ややかでアラベスクな曲線とそれを際立たせるための余白のとり方を、ふくしま政美『超劇画 聖徳太子』のウルトラ・バロックな図太い線の過密描写と較べてみるのもよいだろう(同じ聖徳太子でもここまで違うか…!)。

図2:アラベスクな線のダンスを際立たせる「余白の美学」。/出典:山岸凉子『アラベスクⅡ』(白泉社文庫、1995年4刷)、322-323ページ。

アラベスクに宿るグロテスク

 しかしここで読者は疑問に思うかもしれない。デザインにおけるアラベスクは唐草模様とも訳され、うねり「曲がった」線を意味する一方、バレエにおけるアラベスクは片足でつま先立ち、もう片方の足を「まっすぐ」伸ばすポーズであるからだ。ジャンルは違えども、何故この曲線と直線という対立概念が一括してアラベスクと呼ばれるのか、そのヒントがマンガ『アラベスク』第二部のエピグラフに示されている。

「アラベスクとはくりかえしつづけられるもの 永遠につづくものという意味をもち バレエにおいて もっとも美しいポーズである それは無限へのあこがれをしめすロマンチックバレエのエッセンスである」【図3】

図3:斜め上にまっすぐ向けられた右足が無限を目指す「直線」のアラベスク/出典:山岸凉子『アラベスクⅢ』(白泉社文庫、1995年4刷)、4ページ。

 なるほど「無限」という観念を導入することで両者はつながる。デザイン上のアラベスクすなわち唐草模様はらせん状にどこまでも運動を続けるようだし、バレエのアラベスクもあの美しく伸びきった足の直線はそのまま見えない光となって、まっすぐ無限に向かっていきそうだ。ドイツのイスラム美術史学者エルンスト・キューネルのアラベスク模様【図4】の説明が、さらにバレエのアラベスクとのつながりを示してくれそうなので引用してみよう。

「ここには、創造的な力をたえず一定の方向に駆りたてる修道僧の戒律のようなものがある。芸術家は、見たり体験したりしたものを再現するのではなく、自然の法則として感じたものを非現実的な形につくりかえるのである。この自然からの抽象は、自然によりかかることでも自然と争うことでもなく、むしろ自然のうつろいを捨てさることである。ここにはアラベスクと類似した北方の装飾形式にみられるような、ダイナミックな熱狂や渦巻く不安やひきしめられた迫力はない。それは平静で清澄で静かな輝きの線に支配され、自然の重力から解放されているようにみえる。」 (キューネル『アラベスク 装飾の意味と変容』1949年、訳=渡辺鴻)

図4:グラナダのアルハンブラ宮殿の壁のアラベスク模様。ケルトの渦巻模様やウィリアム・ブレイクのとぐろ巻く蛇といった奔出するグロテスクな生命力が、ここでは一切捨象されている。/出典 ゲルハルト・ツァハリアス『バレエ 形式と象徴』(美術出版社、1965年)

 なるほど奔流する自然をデカルト主義の眼で眺めた場合、生命原理そのものであるらせんや渦巻は、平面的で幾何学的なデザイン・パターンにまで冷ややかに還元される。ロマン派の時代のアラベスク概念はゲーテやシュレーゲルによって「気まぐれ」や「無分別」や「グロテスク」の観念に結び付けられたが、そうした「自然のうつろい」の要素を捨て去った冷ややかなアラベスク模様がある、とキューネルは言っている。バレエのアラベスクもこの幾何学的な抽象主義に通じているのだ。

 しかしグロテスクなきアラベスクなど単なる堕落ではないか?

 アキム・ヴォルィンスキーによるバレエ論の奇書『歓喜の書』(新書館)を繙くとこうある。「(アラベスクの際)足はまっすぐで、あまりにまっすぐなために、あたかも死んでいるかのようになることがある」。要するに単なる直線の幾何学では駄目なのだという。ではどうするか? アラベスクに入る前の足を曲げたポーズであるアティチュードとの弁証法的関係が重要になる。アティチュードの状態には「内面的で抑制され秘められた不安」のニュアンスがあるとヴォルィンスキーは言い、その「折れ曲がった二本の足は、押しつけられ、ひしゃげた、病的な舞踏形象を創り出すことになる」とさえ言う。

 それゆえアティチュードのこの病的な折れ曲がりを矯正しまっすぐなアラベスクを獲得し、「直線は歓喜し、勝利を宣する」必要がある。しかしその美のポーズの一歩手前には常にグロテスクなデーモンが抑圧され、絶え間なく痙攣していることを忘れてはならないということだ。このデーモンの存在を忘れた幾何学的なアラベスクこそ堕落であり、「死んだ直線」とヴォルィンスキーは言うのだ。

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