58歳のベテラン主婦はモラハラ夫と離婚できるのか? イライラするのに読んでしまう『もう別れてもいいですか』がおもしろい
郵便受けを開けると喪中はがきが入っていて、58歳の主人公は「また?」と独り言ちる。しかし、改めて目を通した喪中はがきにあったのは、親ではなく、「夫」の文字。そこで主人公の心の声が飛び出す。
「……羨ましい。」
思わず二度見してしまう強烈な言葉。これは、映画化された『老後の資金がありません』や、『夫の墓には入りません』『定年オヤジ改造計画』などの著作で注目される作家・垣谷美雨の新刊『もう別れてもいいですか』の冒頭だ。
家族の問題をユーモラスかつ痛快に描く作風が人気の作者だが、本書の場合、帯コピーにある「ベテラン主婦のハッピー離婚戦線」というイメージとは大きく異なり、出だしから血圧が上がりそうなくらいイライラして、ページをめくる手が止まらなくなってしまう。
主人公・原田澄子は、給食センターでパートをしながら、家事も子育ても、姑の介護も一人でやってきたベテラン主婦。「一日も早く自由になりたい」という願いを抱きつつ、自分の稼ぎだけでは暮らせそうにないし、一人で世間を渡っていく度胸もないことから、離婚できず、我慢ばかりをする日々を過ごしている。
その夫といえば、浮気の有無は不明だが、借金があるわけでも暴力を振るうわけでも、アルコール依存症というわけでもない。しかし、逆に、そうしたわかりやすい理由がない分、他者に理解・共感されにくく、行動に移しにくいのだろう。借金や暴力などは言語道断。しかし、そうした理由が緊急性のある重大疾患だとして、ある意味、慢性的な内臓疾患のようにじわりじわりと心身を蝕んでいく、最もややこしく、タチが悪いのが、澄子が受けているような、いわゆる“モラハラ”なのかもしれない。
「おい、トンカツ」という一言だけで明日食べたいモノを偉そうに要求することに、カチン。自分は洗濯物も取り込まず、テレビを観ているだけで、妻のたまの外出に「ズルい」と言うことに、カチン。夕食を待たせておいて、遅くに「いま飲み屋。夕飯不要」とだけメールし、詫びの一言もないことに、カチン。緊急時に備えたお金を勝手に使われたことにも、自分の友人を勝手に呼び捨てされることにも、友人との話を「糞の役にも立たん話」などと言われることにも、自分は大学時代に親の仕送りで都会暮らしを謳歌しただけのくせに一人暮らし経験のない妻をバカにすること、妻のことを完全に「下女」か「奴隷」扱いをして当然と思っていることには、いちいち腸が煮えくり返る。
さらに、「女子会」と称して集っては夫の悪口大会を繰り広げるくせに、離婚した友人のことを見下したり、あることないこと噂話をしたかと思えば、金持ちに嫁いだ専業主婦の友人のことは「内助の功」と謎に持ち上げまくったりする、高校時代の同級生たちにもムカムカする。
しかし、同じようにイライラするのは、早く死んでほしいと願うほど嫌い、閉所恐怖症になるほどストレスを溜めこみ、息が吸えないと感じている夫に対して、諦めたまま、口ごたえもせずにアゴで使われ続け、友人との約束も夫の機嫌を損ねないために反故にしたり、「女子会」の悪口大会を楽しんでもいないのに、自身の意思表示はせずにとりあえず参加し続けたりする主人公自身だった。
イライラして読み進めながら、ふと気が付いた。これまで幾度となく聞いてきた友人・知人たちの話とソックリなのだ。
彼氏や夫の悪口を聞いて、一緒に憤慨すると、急にかばい始めたり、離婚したいと散々言っていたのに、応援しようとすると迷惑そうな顔をしたりする女性は非常に多い。彼氏や夫の言動があまりに横柄で、それを批判したら、自分の前ではその手の話をしなくなったり、なんなら疎遠になったりした友人・知人もいる。どんなに嫌いでも、心底憎んでいても、情や経済的事情から簡単には別れられない。あるいは「アドバイスや意見をしてほしいわけでなく、ただ悪口を聞いてほしいだけ」というのが現実なのだろう。それを他者が批判する権利なんてないと、自身の青さ・愚かさについて何度も思い知らされ、反省してきたはずなのに、それでもやっぱりイライラが募る。そんな自分自身が、逆に配偶者に息苦しいほどのストレスを与えている可能性もなくはないのだが……。