tofubeats × imdkm『リズムから考えるJ-POP史』対談 「イノベーションの瞬間を記録している」
宇多田ヒカルのリズム解像度
imdkm:宇多田ヒカルさんの「誓い」のリズムの分析動画をYouTubeに上げてるんですけど、この曲がすごい。宇多田さんって(日本で)一番売れてるアーティストって言っても過言ではないじゃないですか。『初恋』は、最も売れてるアルバムと言っていいと思ってるんですけど、その収録曲のリズム構造を見ると凄くハイブロウだなと。ポリリズムだったり、レイドバックしたリズムだったり、譜割りの歪さが明らかに含まれていて。たとえば「誓い」は、ターン、ターン、ターン、ターンってゆったりした4拍子のようでもあるし、歌が入ってくると8分の6拍子っぽくも聴こえるんだけど、どの解釈にも微妙におさまらないズレが絶対どこかにあって。単に感覚的にズレてるだけじゃなくて、ちゃんと見ていくと「あ、実はここで辻褄があってるんだ」みたいなのが、いっぱい含まれている。これは『Fantôme』以降、世界中の凄腕のプレイヤーを集めてプロダクションも変わったことによって、宇多田さんが元々もってたリズム解像度の鋭敏なセンスが、完全に炸裂している音楽だな、と。調べてみると、「これ何拍子?」とリスナーも戸惑っているリアクションが比較的あって、だから動画という形で分析してみたんだけど、分析する中で、「こんなにポップスの領域でリズムを考えるのは面白いんだ」と再確認しましたね。あとインディーズだけじゃなくて、超ド級のメジャーアーティストがこんなことをやっちゃってんだって、意外と皆言わない。これだけ凄いんだから、もうちょっと突っ込んだ話しようよ、と。それがこの本のモチベーションにも通じてますね。
tofubeats:実際そういうことがわかると、音楽の楽しみ方が変わりますよね。宇多田さんの曲もimdkmさんの解説を踏まえて聴くと、楽曲に対する粒度がより細かくなるので、全部の音楽の楽しみ方が変わってくると思うんです。実は会場に居る人も、無意識のうちにそういう体験を経ているんですよね。それを改めてこの本で見返して、こういうことだったのかって思ったりできますね。あと、解説で書こうと思って書かなかった話なんですけど、僕の祖父が今老人ホームに住んでいて。tofubeatsの「RIVER」を、ある日突然歌ってくれたんですよ。メロディも歌詞もちゃんと歌えてるんですけど、リズムがやっぱり違う。僕らからしたら、すごく簡単なリズムじゃないですか。でも上の世代の人にはこのリズムの解像度がない。〇〇節とかは上手く歌えるし、ジルバとかも踊れるんですけど、「RIVER」のリズムは身体に入ってないんですよね。実はJ-POPの中ではそういうことが何回も起きていて。世代が40~50年離れるだけで、それだけ断絶が出来るのはすごく面白いな、と思いました。
これからimdkmが書きたいこと
imdkm:実は一冊の本になるまで、一つのテーマで書き続けたのはこれが初めてだったんですけど、この本を書いたことで見つけた問題意識があって。トラックやメロディ、歌など色々なリズムを扱っていますが、もうちょっと一点にフォーカスしたいなと。J-POPの歌詞をメロディにするとか、あるいはメロディにどう日本語を収めるか、ということに、もう少し突っ込みたい。こう思ったきっかけは、宇多田ヒカルさんが自分の作詞に込めてる思想を聞かれたときに、萩原朔太郎さんの「詩の原理」という詩論を挙げたんですね。萩原朔太郎さんが、韻律のない、リズムの枷を外した自由詩について、単に観念的に「自由な言葉の表現ができればいいんだ」という考えだけじゃなくて、もう少し詩はどういうものかをマニフェスト的に考えて、書いたもの。宇多田さんは「自分の詩作に込めている思想は、自分の口から説明するより、これを読んでもらった方がわかる」と言っちゃうわけですよ。だからそれを踏まえて、当時の萩原朔太郎さんの詩論や、近代のパースペクティブも含めて、J-POPの歌詞のリズムやメロディの問題を遡って考えたいな、と。
tofubeats:宇多田さんが純文学好きということはよく言われてますけど。その辺りを楽曲と絡めてちゃんと書いた論評って、実はあまり知らなくて。
imdkm:純文学と言っても、隠喩とかモチーフレベルでの分析批評みたいなのはあるんだけども、萩原朔太郎さんの詩論で言われているのはそういうことじゃない。“日本語を操る”こと自体に宿るクリエイティビティの話を物凄く原理的にしているので。
tofubeats:我々が日本語で歌詞を書くのと、宇多田さんが日本語で歌詞を書くのはそもそも違いますからね。imdkmさんの次回作も期待したいですね。
<質疑応答タイム>
質問:中村佳穂さんのリズムの話について書くことはありますか?
imdkm:いまは見れませんが一つだけnoteに書きましたね。先日リリースされた「LINDY」は、意識的に日本に土着的なリズム構造を取り入れて、実践しているのがすごく面白くて。途中で祭囃子みたいなビートが入ってきたりして、それが特に日本の民謡などに通じるリズム感覚をダンサンブルな形で表現している。それに関する分析はしたいと思ってますね。あとライブ中、バンドの中で中村佳穂さんが、楽曲のリズムや演奏法をスイッチングしていくくだりがあるんですよ。そこでバンドメンバーに無茶ぶりをするんですが、そこで突然数字を言い出すんです。最初は10とか1とかだったんですよね。それが突然「今日は44!」と言い出して。その言った数字の分、「ダン!ダン!ダン!」ってリズムのキメをやる。だからそれを44回やるわけですよ。この間は100を超えたんですけど、衝撃的だったのが途中で倍速になるっていう(笑)。
tofubeats:中村さんは、初めてレコーディングしたときからリズム感が“ネクストジェネレーション”って感じでしたね。我々はギリ小室世代のリズムなんですけど、中村さんには宇多田以降のリズム感があるんですよね。
質問:以前、久保健司さんが「日本の音楽のダメなところは、ドラムのサウンドを気にしないところだ。ニルヴァーナはスネアの音ひとつにもこだわってるから売れてる。そういうのが日本にはない」と仰っていましたが、そういった音色に関して思うことがあれば教えてください。
imdkm:本ではサカナクションの話をしていますね。サカナクションは、一つひとつの音のトーン、チューニングの具合やリズムの立ち上がりの感覚、一つひとつの音の長さのレベルで、ロックにおけるグルーヴ感の出し方をかなり意識的にコントロールしている。他のダンスっぽいロックとは違う、繊細なアプローチをしているんですよね。音色レベルでの議論はこの本の中ではそんなにないんですけど、僕は彼らのサウンドの凝り方が面白いなと思ってます。
tofubeats:そもそも音色が良い状態を定義するのって難しいですよね。海外でいいとされてるスネアの音と、日本でいいとされてるスネアの音は当然違うし。たとえば、スペクトラムっていうバンドのLPはすごく音がいいんですよ。でも、全く洋楽っぽくはないんですよね。tofubeatsの曲を聴いてたらわかると思うんですけど、僕は結構ペナペナな音が好きなんです。でも洋楽もいいなとも思うし。そこら辺はそもそも方角が違うっていうか。もちろん海外の音楽はミックスもキレイで、それを目指すべきだとも思うんですけど、そこを一直線に語れない難しさもあって。そういうところで悩んでるクリエイターって多いんじゃないですかね。
(取材・構成=南明歩/写真=泉夏音)
■発売情報
imdkm『リズムから考えるJ-POP史』
【ISBN】978-4-909852-03-8 C0073
【発行・発売】blueprint
【発売日】2019年10月3日(木)予定
【価格】1,800円+税
【判型・頁数】四六判・二百六十四頁
【取扱】全国書店/Amazonにて予約受付中