My Hair is Badの青春は終わらないーーメジャーデビュー10年で重ねた“変化”と根底で燃え続ける“不変”の渇き

My Hair is Bad(以下、マイヘア)が今年、メジャーデビュー10周年の節目を迎えた。2016年5月にシングル『時代をあつめて』をリリースしてから10年、それ以前の活動を含めれば、バンドのキャリアはじつに18年に及ぶ。この、人ひとりが生まれて成人するまでの時間の中で、マイヘアは“変わった”のだろうか、と考える。もちろん、それだけの時を重ねて、いいことも悪いこともたくさん経験して、その間に時代も移ろった。その中で人間が変わらないはずはない。マイヘアの3人もそれぞれに変化したし、それに伴って書かれる曲の中身も、バンドの鳴らす音も、確かに変わった。それはこれまでリリースされてきたアルバムを聴けば一発でわかる。『narimi』や『woman’s』は素晴らしいアルバムだが、前作『ghosts』や9月9日にリリースされるニューアルバム『cats』にはそれとは違う素晴らしさがある。楽曲のスケール感は増し、サウンドの彩りは増え、描かれる風景はより普遍的なものになった。マイヘアの新しいアルバムを聴くたびに、筆者はちゃんと年齢を重ねてこれたことを確認するような気分になるのだが、そうやってリスナーと一緒に年を取りながら、マイヘアは前に進み続けている。


だが、重要なのは“変わった”こと自体ではなく、“何のための変化なのか”ということだ。マイヘアがバンドをやり続ける理由、歌い続ける理由のいちばん真ん中にあるものとは何なのか。それをひたすらに見つめ続けるために、彼らはその都度、自分たちにとって最もリアルで納得のいくアプローチを取り続けてきた。その結果が、側から見ると作品ごとに変化しているように見えるのだ。
言葉自体がよろしくないというのもあって、今やそんなことを言う人は誰もいなくなったが、シーンに登場してきた当時、椎木知仁(Gt/Vo)の書く歌詞に対して“女々しい”という形容詞がつくことが多々あった。元カノへの未練に溺れて窒息しそうな「元彼氏として」、相手を待ち続ける“犬”としての自分を歌った「真赤」、別れた過去の恋人に〈恋は薄まって でも愛はまだ残っているよ〉なんて言い放つ「恋人ができたんだ」。確かに、過去や現在の恋愛に足を取られている自分に「そんなはずじゃないのに」と思いながらもがいている、そのメンタリティを言葉で表すなら“女々しい”ということになるのだろう。もっとうまく生きられるはずなのに、もっと幸せにできたはずなのに、もっと、もっと……あの頃の椎木の歌詞には、理想とする姿には程遠い現状に打ちのめされ、それでも必死に抗おうとしている男の姿が赤裸々に綴られている。

それは何も恋愛に限った話ではない。たとえば、メジャー1stアルバムとなった『woman’s』に「音楽家になりたくて」という曲がある。〈いつか俺もこんな風にって/雑誌に噛り付いていた/みんなすぐ結婚するんだ/ロックスターより遠く感じてる〉。ミュージシャンとしての夢や理想についての歌詞に突拍子もなく“結婚”という言葉が飛び込んでくるこのフレーズが、とても椎木っぽくて筆者は好きだ。つまり、音楽家としての理想像にたどり着くことと、恋愛の先で結ばれることが、彼の中ではまったく同じ次元の話として存在していたのである。なりたい自分ははっきりとある。それは雑誌の中のロックスターであり、“結婚”という言葉に象徴されるひとつの“ゴール”に立つ自分なのだが、当の本人はそんな理想とはかけ離れた場所で今日も這いずり回っている。そのギャップにぶち当たりながら、なんとかして目の前のそれを越えていこうとしてきた軌跡が、マイヘアの10年なのだと思う。ひとつギャップを乗り越えれば、すぐに次のギャップに直面する。その繰り返しのなかで、マイヘアは少しずつ、確実に変わり続けてきたのだ。
























