My Hair is Bad、別々の視点から描く恋愛の迷い 椎木知仁が言及していた「ホラー」の真実
My Hair is Badが2週連続で新曲をリリースした。1曲目は2月14日のバレンタインデーに配信リリースされた「悲劇のヒロイン」。そしてもう1曲が2月21日に配信リリースされた「自由とヒステリー」である。この2曲に関して、バンドのコンポーザーである椎木知仁(Gt/Vo)は「ジャンルでいうとホラーです」と、自身のX(旧Twitter)アカウントで綴っている(※1)。
明言はされていないが、おそらく「悲劇のヒロイン」と「自由とヒステリー」の歌詞はひとつのシチュエーションを別々の視点から描いた対になる関係の2曲であり、「別れ」という一応の決着を迎えた後の一組のカップルの間に起こる出来事を、「悲劇のヒロイン」では〈私〉という目線から、そして「自由とヒステリー」では〈僕〉という目線から描いている。どうやら「悲劇のヒロイン」で描かれる〈私〉は、まだ〈僕〉に対して未練を抱いているようだ。「悲劇のヒロイン」では、そんな〈私〉が再び〈僕〉の暮らすマンションの部屋のインターホンを押すに至る心理の描写が行われている。曲の冒頭で歌われる〈私のものだけ取りに行くよ〉という歌詞が意味深に響く。
一方、「自由とヒステリー」で描かれる〈僕〉の視線は、半ば未練に取り憑かれた〈私〉とは対照的である。〈僕〉は〈私〉と別れたことによって〈自由〉を感じ、味わっているようである。曲のはじまりでは〈君がいなくなって気がついた/君がいなくなって僕は自由だ〉と歌われ、途中でも〈月曜から金土日/毎日、楽しいから/もう帰ってこないでね〉と歌われる。〈僕〉の視点からしてみれば、〈私〉が〈僕〉にもたらしていたストレスはかなり大きなものだったのだろう。ふたりの暮らしが身も心も痛めつける壮絶なものであったことは、〈記憶がまた蘇る/君がなにかを投げつける/僕の耳をかすめて化粧水が姿見鏡にぶつかる/割れた破片、あの時に確かに見た、君の顔/こっちを見てなぜか笑ってたよね?〉というラインからも見受けられる。
しかし、そんな〈僕〉は、再びマンションの部屋のインターホンを押した〈私〉に対して玄関のドアを開く。ドアを開く〈僕〉の心情はこう歌われている。〈君からの電話に出たのも/今からこのドアを開けるのも/君のためじゃない/僕は僕の自由を今夜勝ち取るためだ〉。
愚かだ、と思う。愚かで悲しい平凡な人間がいる。なぜ、ドアを開けるのか。開けてはいけない。荷物なら郵送しろ。もし私が〈僕〉の友人ならそんな言葉もかけたが、〈僕〉はそんな忠告も無視してドアを開けるのだろう。「僕は僕の自由を勝ち取る」――そんな一見勇ましい思いと共に。しかし、自由を掲げながらも〈僕〉はまだとらわれている。本当にその「勝負」は必要なのか。「勝ち負け」の土俵に上がってしまった以上、そこには自ずと「負け」が内包されることに〈僕〉は気づいていないのではないか。本来ならばドアを開ける必要なんてないのだ。別れてせいせいしているのであれば、二度と会うこともなく、きっぱりと関係を断ち切ってしまえばいい。しかし、それができない。武装した〈僕〉の言葉の奥にあるのは一縷の望みか、優柔不断と優しさが混ざり合った末に生み出された同情か、はたまた、浅はかな性欲か。再会したふたりの決着が曲の中で描かれることはない。インターホンと共に、鳴らなくてもよかったはずのゴングが鳴ってしまったことだけが曲の中で示されるたしかなことである。しかし、こんなことを偉そうにつらつらと書いている私もまた、再びドアを開けた〈僕〉の気持ちは身を切るくらいに痛いほどわかってしまうのだが……。