「自分たちはあいだの世代」――キタニタツヤのサポートギター yeti let you notice 秋好佑紀が語る“オルタナ”への意識

秋好佑紀が語る“オルタナ”への意識

【連載:個として輝くサポートミュージシャン】秋好佑紀

 今年11月29日に現メンバーでの活動10周年を迎えたyeti let you noticeのギタリストで、キタニタツヤをはじめ、Ivy to Fraudulent Game、Hakubiなどをサポートする秋好佑紀。エモ、ポストロック、シューゲイザーなどから影響を受け、緻密なアルペジオをはじめとしたテクニカルなフレージングや、多彩な音色を駆使したプレイが多くのミュージシャンから求められている。

 現在は2000年代の下北系や残響系をルーツとする、新たなオルタナティブロックの盛り上がりが起こっているが、秋好は「自分たちはあいだの世代」と語り、悩みの時期も長かったという。しかし、彼らの世代が歴史を繋いできたからこそ、オルタナが息を吹き返したという側面は間違いなくあるはずだ。これまでのキャリアを振り返りながら、現在のシーンについても語ってもらった。(金子厚武)

キタニタツヤから贈られたプレゼント

秋好佑紀

――まずはキタニタツヤさんとの出会いから教えてください。

秋好佑紀(以下、秋好):もともとキタニはスリーピースのバンド(羊の群れは笑わない。)をやっていたんですけど、僕が大学生のときに聴いていて、「めっちゃかっこいいな」と思ってて。で、当時渋谷club乙-kinoto-にyeti let you noticeでよく出てて、ブッカーの方から「対バンしたいバンドいる?」って聞かれたときに、「あのバンドと対バンしたいです」と話をして、対バンをしたのが最初の出会いです。

――何年ぐらいですか?

秋好:2016年の4月とかですね。そのとき、向こうもyetiのことを知っててくれて、「声が本当に好きで」って話をしたら、めっちゃ喜んでくれて。そのバンドのドラマーは手数が多くてドラムばっかり注目されるから、声のことを褒めてくれるのが嬉しかったみたいで。そこから結構話すようになったので、ライブハウスでできた友達って感じですね。

――サポートをすることになったのは、どういう経緯だったんですか?

秋好:yetiでレコ発の企画を打とうとしたときに、羊の群れは笑わない。を呼びたいと思ったんですけど、Twitter(現X)を見たら全然活動していなくて。そうしたら、そのタイミングでキタニの方から連絡が来て、「今はボカロP(こんにちは谷田さん)で活動してて、それのライブをやりたいんだけど、サポートでギター弾いてくれない?」って言われて。ボカロPをやってるのは知っていたから、「ぜひやらせてほしい」とそのとき初めて一緒にライブをしました。2017年の夏、8月とかに渋谷のライブハウスでやりましたね。

――そこからキタニタツヤ名義になってもずっとサポートをしているわけで、やはり聴いてきた音楽や影響を受けた音楽が近いわけですよね。

秋好:近いと思います。でも絶妙に違う部分もあって、彼はアジカン(ASIAN KUNG-FU GENERATION)がめちゃくちゃ好きで、僕もアジカンは好きですけど、どっちかというとストレイテナーがめっちゃ好き、みたいな(笑)。そういう違いはありつつ、「そこまで知ってるんだ」みたいなことも多くて。残響系のバンドでも「TOKYOGUM好き」って言ったら、ちゃんとわかってくれたり。だから、通ってきた音楽はめっちゃ似てると思います。

――『NHK紅白歌合戦』(NHK総合)への出場をはじめ、キタニさんの活動の規模が大きくなっていくのも、ずっと一緒に経験してきたわけですよね。

秋好:ずっと(サポートで)参加しているので、もちろん規模がデカくなっているのは感じていますし、一緒に(大きなステージへ)連れて行ってもらっている感覚もあるんですけど、でも自分のやってることは変わってないというか。彼の曲が好きですし、だからこそ何かプラスになりたいし、一緒にいい演奏をしたい。そういう気持ちはずっと変わっていないですね。

――キタニさんとはいろんな場面をともにしてきたと思うんですけど、そのなかでも特に印象に残っている出来事はありますか?

秋好:自分が一回だけ機材トラブルを起こしちゃった日があって、しかも「青のすみか」(2023年)が出たあと、フェスとかにたくさん呼んでもらってるタイミングだったので、かなり落ち込みました。それで「本当にごめん」みたいな感じで謝りに行ったときに、「機材トラブルは起こっちゃうもんだから、次切り替えてやろうよ」ってプラス思考で言ってくれて。ほかのアーティストのサポートもやり始めた時期で、ずっと同じ機材を使っていたから、そういうのも原因でトラブっちゃったんです。その頃に高いマルチエフェクターが発売されたので、「それを買うわ」って話をしてたんですけど、それなりに値段もするので、すぐには買えないかもみたいな話もしてて。そうしたら、ちょうど僕の誕生日が近かったのもあって、キタニが「これでいい音出してくれ」って、その機材を贈ってくれたんです。普段は口数が少ない方の人間ではあるんですけど、そういう優しさがあるというか、思いやりがあるヤツなんだなっていう、すごく印象的な出来事でしたね。

「当時“キャブ卒”っていうワードがあったんですよ」

秋好佑紀

――では、あらためて秋好さんがギターを始めたきっかけを教えてください。

秋好:僕は中高吹奏楽部で、コントラバスをやっていました。それとは別に、バンド好きの兄が弾いていたギターをもらって、アジカンの曲をちょっと弾いてみたりしていたんですけど、そのときは「バンドやりたい」という気持ちはそこまでなくて。高校の吹奏楽部は全国大会に行くことが当たり前な感じだったのに、自分の代のときに行けなくて。外部の講師の先生には音大を勧められてたんです。けど、「もうこれをやるのはしんどいな」って。「大人数で意思疎通しながらやっていくのは大変だな」と、高校生ながら思っちゃったんですよね。でも、音楽は好きだから、大学に行ったらバンドをやろうと、そこから本格的にギターを弾き始めた感じです。

――今に繋がるギタリストのルーツとしては、どんな名前が挙がりますか?

秋好:ギターを弾いてみたいと思ったのはやっぱりアジカンとストレイテナー、あと僕はthe HIATUSが好きなんですけど、その3バンドにはすごく影響を受けました。あとギタリストで言うと、兄から教えてもらってASPARAGUSも聴いてたので、渡邊忍さんの影響もめちゃくちゃあって、自分のロールモデルにしているかもしれない。自分のバンドがあって、でも木村カエラさんの横でもギターを弾いていて、ちゃんとオーバーグラウンドで活躍されているアーティストっていうのが、当時の自分からすると「こんな人いるんだ!」みたいな感じだったんですよね。

――残響レコード所属のバンドからの影響も大きいですよね。

秋好:影響を受けてます。残響のアーティストではないのですがplentyが大好きで、plentyを聴いて「自分もバンドを組みたい」と思ったぐらい好きなんですけど、そこから大学に入って、そういう話をしたら先輩からcinema staff、People In The Boxとかをお勧めしてもらって、めっちゃかっこいいなと思って、コピーもしていました。今サポートもしている望月起市が同じサークルなんですけど、起市が「絶対the cabsも好きだよ」って教えてくれて聴き始めました。あとは当時残響ショップ(残響レコードが運営するセレクトショップ)があったので、そこで知ったPENs+とかLILI LIMITとかも聴いてました。

――元LILI LIMIT、現MO MOMAの土器(大洋)さんにも影響を受けてるそうですね。

秋好:土器さんと、あと西田修大さんは今の自分のロールモデルで、参考にしてますね。土器さんもMO MOMAをやりながら、yonigeだったり、ほかにもたくさん参加されていて。土器さんは知り合いなので、近しいからこそ参考にさせていただいてる感じです。

――西田さんはいつぐらいから注目してるんですか?

秋好:2019年の『フジロック』(『FUJI ROCK FESTIVAL '19』)に行ったんですけどそのとき中村佳穂さんを初めて観て、ライブがもう凄まじく良くて、「ギターの人、やばすぎじゃない?」って話を一緒に行った友達としてたんです。そうしたら、「ROOKIE A GO-GO」にも君島大空 合奏形態で出てて、「すげえ人いるな」と。それが西田さんでした。西田さんは自分の好きなアプローチをしながら、サポート業というか、完全にそのアーティストの一部になっていて、そこにめちゃくちゃ痺れましたね。

秋好佑紀

――ここまで残響系だったり、アジカンやストレイテナーといった下北系のバンドの名前が挙がっていて、近年そういったバンドをルーツとするオルタナティブロックのシーンがまた盛り上がっているじゃないですか。それをどう感じていますか?

秋好:今はthe cabsとかcinema staffとか当時の残響の人たちと、ひとひらとか雪国とか、もっと下の世代がいて、僕とかキタニはそのあいだの世代だと思うんですけど、僕らの世代はこれまでオルタナティブロックというジャンルでは注目されることがあんまりなかったなと思っています。yetiをやり始めたときって、オルタナティブというか、マスロックとかって特に同世代では周りでやっている人が少なかった時期で。どっちかっていうと、フェスでウケる曲みたいなのが求められていたりストレートな歌詞やサウンドのロックバンドが周りには多かった印象です。

――4つ打ちの曲だったり。

秋好:そうですね。4つ打ちの流行り後くらいにTHE NINTH APOLLOの人気が出てきた時期で、当時いろんな(レーベルや事務所の)新人発掘のスタッフが観に来てくれたときに、「今の時代、それやってもウケないよ」みたいなことをめちゃくちゃ言われたんですよ。ライブレポートでも、よくない意味で「退廃的なポストロックをやっているバンド」みたいな書かれ方をしたりして。

――「時流じゃないことをやってる」という意味で書かれていた。

秋好:当時“キャブ卒”っていうワードがあったんですよ。そもそもthe cabsっぽいことを(マネして)やっていてもダメじゃないですか。そこから卒業して、違うことをやらないといけない、みたいな。その後シティポップとかも流行っていましたしね。そういう時代を経て、今は自分の好きなジャンルがまた火を噴いているというか、「残響の盛り上がりもこんな感じだったのかな?」みたいな体験ができているなと思うんですけど。でも、実は僕たち世代にもオルタナ好きなヤツらがいたから、ちゃんと繋いできたんじゃないかっていう思いがあるし、それは別に口に出して言っていいんじゃないかなと思ってて。

――まさにそう思います。そのなかでも特に秋好さんはキタニさんとも繋がっているし、今ライブハウスで活躍している若い世代とも繋がっているし、すごくキーになる人だなって。

秋好:キタニの存在は本当にデカいと思っています。「青のすみか」は『呪術廻戦』(MBS/TBS系)が好きな人が聴いたらアニメ主題歌としてもいい曲だし、世間で流行っていて、純粋にいい曲だと感じている人もいますよね。その上で僕は、キタニがイントロのアルペジオを特に大事にしていると思っていて、彼はテレビ尺で演奏するときもあのアルペジオを必ず残していました。あの楽曲における彼のオルタナティブな部分だと思うし、そういうのがあって、今のシーンにも繋がっているんじゃないかなっていうのは思っています。

青のすみか / キタニタツヤ - Where Our Blue Is / Tatsuya Kitani

――キタニさんも今のオルタナシーンについてラジオで話したり、Xでポストもしていましたけど、一緒に活動をするなかでもそういう話をしていますか?

秋好:さっきも言ったように、「自分たちはあいだの世代だけど、ちゃんと繋いできたっていうことには自信を持っていいよね」みたいな真面目な話も……たまにはしますね。

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