乃木坂46は“選抜”だけが主役じゃない 五百城茉央、金川紗耶、冨里奈央らが体現するアンダーの底力

卒業を控える松尾美佑と矢久保美緒の存在、五百城茉央センター起用の意義

 今作で象徴的なのは、40thシングルをもってグループを卒業する松尾と矢久保の存在だろう。4期生として長く活動しながら、歩みを止めなかった姿勢は、「アンダーは通過点ではなく居場所を守り抜く場所でもある」という証明そのものだった。

 39thシングルのアンダーライブで、松尾は「踏んでしまった」のセンターを務め、生身の熱量をそのまま客席へ叩きつけるようなパフォーマンスを見せた。ダンスの精度や身体性の高さだけではなく、その瞬間に立つ覚悟をも感じさせる素晴らしいステージだった。一方の矢久保は、同公演で「三角の空き地」のセンターに立ち、乃木坂46というグループを誰よりも愛してきたことを体で語っていた。立ち位置ではなく、「このグループであること」を誇りとして抱き締め続ける姿勢。それこそが矢久保の魅力であり、彼女を支柱たらしめているのだと思う。ふたりの卒業は確かに惜しい。しかし同時に、彼女たちがアンダーという場所で積み重ねてきた誇りや温度が、41stシングル以降を担う後輩たちの土台として残るという意味でもある。

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 また、五百城が今作でアンダーセンターに立つことも、この延長線上にある必然だと言えると思う。彼女は華やかな存在感や声だけでなく、上手くいかない瞬間や迷いすらステージ上で隠さず見せてきた。その上で本人はブログで「今とっても悔しい想いがあるけれど、ここで自分の確信を掴みたいです」と選抜に選ばれなかった正直な思いを綴っていた(※2)。そこにあるのは、それでも今の自分で立ち続けるという姿勢だ。つまり五百城がアンダーのセンターとして立つことが示しているのは、アンダーは落ちた場所でも通過点でもなく、今の自分を肯定して立つステージであるという再定義である。すなわち、今の乃木坂46がアンダーという場所で描こうとしている物語の核心は、“どこにいるか”ではなく“どう立つか”という現在の姿なのではないだろうか。

乃木坂46『「じゃあね」が切ない』

 選抜とアンダー。役割が違うだけで、どちらもグループの軸になれる存在であることを、乃木坂46は10年以上かけてグループの構造として育ててきた。だからこそ、選抜が入れ替わってもグループの厚みは失われない。表題曲で6期生が先頭で未来への可能性を切り拓くのならば、その未来に重みと説得力を与えることが、今回のアンダーの使命だと思うのだ。

 つまり、アンダーとは、“未来を背負う側”ではなく“未来に意味を与える側”だと考える。その土台が揺るがない限り、乃木坂46というグループは永続していくのだろう。

※1:https://www.thefirsttimes.jp/report/0000701253/
※2:https://www.nogizaka46.com/s/n46/diary/detail/103943

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