新体操選手から作曲家へーー林ゆうきが語る劇伴音楽の未来、子を持つ父としての生き方「オンオフは切り替えない」

日本のシーンにおける劇伴音楽への思い
——林さんは劇伴のコンサートも積極的に行っていますね。
林:ずっとコンサートをやりたかったんですけど、自分が演奏できるわけではないのでどうしたらいいかなと悩んでいたんです。そんな時に、劇伴作家の菅野祐悟さんが「ファンは林くんの音楽を聴きに来るんだから、林くんはDJして、ピアノを弾かなくてもお祭りしていたら、みんな喜んでくれるよ。演奏にこだわらなくてもいい」とアドバイスをくださったんです。音楽を専門的に学んできていないというコンプレックスはありましたが、作家活動10周年の時に、自分が今まで携わってきた作品を演奏してみようかなと思って『林ゆうき 10th Anniversary Concert ~劇伴食堂 はやし屋~』を開催したのですが、そこからはコンスタントに色々な作品でコンサートをやっていくようになりました。
ーーここ数年で劇伴のコンサートも増えてきていますよね。
林:そうですね。ただ、当時は劇伴コンサート自体がそれほど多くありませんでした。でも、ポップスやロック、ジャズなど様々な音楽のジャンルがある中で、劇伴好きの人たちもたくさんいるはずなのに「わたし、劇伴が好きです」と声を大にして言える場が少ないのでは、と考えていました。そういう人たちが音楽を聴いて楽しめる場所がもっと増えればいいなと思っていたんです。それに、僕は『僕のヒーローアカデミア』や『ハイキュー!!』など、多くのファンの方がいてくださる作品を担当させていただいていたので、「もっとたくさんの人に楽しんでもらえたらいいな」という気持ちはあって。劇伴が好きだと言ってくださる方が周りにいてくださるのも嬉しいですし、アニメは日本が海外に誇れる文化だと思うので、劇伴ももっと日本で親しまれるようになるといいなと思って、コンサートを続けています。

——そして、海外へも積極的に活動の場を広げられている印象があります。ご自身が海外に行かれる際や昨今の海外での劇伴シーンの反応について、どう感じていらっしゃいますか?
林:海外に行くとすごく手厚く歓迎してくださいますし、大事に扱ってくださるんですよ。日本人はどちらかというとアニメをサブカルチャーとして捉えがちですが、海外ではアニメ文化を日本人が考えている以上に素晴らしい文化だと受け止めてくれている方が多くて。それが嬉しいと同時に、「なぜこの盛り上がりが日本にはないんだろう」と、悲しくも感じる場面でしたね。
たとえば、先日『犬夜叉』の楽曲などを手掛けられた和田薫さんとの公演では、前半は和田さんが演奏し、後半は僕が『ヒロアカ』の曲などを担当したんです。日本の劇伴のファンの方だと、着席してじっくりと聴いてくださることが多いんですが、海外では「ウオーーー!」と盛り上がって、「Next song is ●●」と次の曲をコールすれば「オーマイガーッ!」と歓声が上がる。それくらいノリノリで楽しんでくれていて、まさに「エンターテインメントだな」と思いました。そんな中で、なぜ日本のアニメ、日本のコンテンツなのに、日本ではこの熱狂がないのだろう、と寂しく思いまして。それで、『FUJI ROCK FESTIVAL』や『SUMMER SONIC』のように複数の劇伴作家が出演するフェス形式のイベントを劇伴で実現できないかなと思い、劇伴音楽フェスティバル『京伴祭』を始めました。このような機会を得られたことは本当にありがたいことです。日本でこのコンテンツの形を作り今度はそれを海外に持っていけたらいいなと考えています。

「仕事は人生を楽しくするための“目的”ではなく“手段”」
——多くの作品の楽曲制作をされていてお忙しい林さんですが、家族が中心にある丁寧な暮らしも大事にされていますよね。オンとオフの切り替えはされているのでしょうか?
林:僕、オンオフは切り替えていないんですよ。作曲もやりたいけれど、子供ともいたいから。僕自身、仕事の都合で父親があまり家にはいなかったこともあって、1人の時間がすごく長かったんですね。今になれば、1人で想像した遊びを実際にやっていた経験によって育まれたものもあるでしょうし、数学博士のような偉業を成し遂げる人は幼少期にいい思い出がなかったりもするとも聞きますから、そうした時間に才能をもらうかもしれない。でも、愛情はどうなんだろうと考えると、どちらが正解かははわからないですが、僕自身は寂しかった。何かした時に親にいてほしかったなと思いますし、実際、現在僕自身も子供をスタジオで見ていられる時間があることが幸せなんですよね。

——お子さんとの日々の中で、特に印象に残っているエピソードはありますか?
林:『呪術廻戦』の劇伴を手掛けている桶狭間ありさはうち(林製作所)でアシスタントをしていたのですが、長男が初めてハイハイで階段を登れた時に「階段が登れましたよ!」って声を掛けてくれて、そのおかげで現場にすぐに駆けつけて動画を録ることができたんです。オンオフを切り替えるために仕事場と自宅とを分けたら、その瞬間の映像は録れなかったですし、大事な瞬間に立ち会えないかもしれない。そんな瞬間お仕事しているのもなぁ、と思うので、今仕事と家族との時間が両立できていることが楽しいです。僕の好きな言葉に「仕事は人生を楽しくするための“目的”ではなく“手段”である」というものがあって。目的は人生を楽しく生きることだから、仕事もやるけれども、子供とも遊ぶことができたらいいなと思っています。
——その家族との時間は、いよいよキャラ弁の写真がバズるところまできましたね(笑)。
林:あははは(笑)。あれは作曲家を副業にしようと思った瞬間でした(笑)。
娘へ
父さん、3時に起きて頑張ったよ…#前日にシナモンのキャラ弁作ってと言われた#海苔パンチが無いけど頑張りました pic.twitter.com/vhg4RnyNHx
— Yuki Hayashi/林ゆうき (@hayayu1231) November 21, 2024
——そうしたオンオフを“切り替えない”環境だからこそ、むしろ集中して音楽が作れるところはあるのでしょうか?
林:いや、集中できないですよ(笑)。本当はオンとオフは分けた方がいいんです。そんなことはわかっているけれど、僕はこのやり方を選んだし、それが人生だと思ってやっています。作家としてはある種間違った選択をしているなとは思っていますが、僕の人生でいうと“正解”を選んでいるなと思っています。
——2025年以降は、どのように活動を広げていきたいと考えていますか?
林:まずは新しく公開されるものがたくさん控えていますから、それを楽しんでもらって、その音楽を皆さんに聴いてもらいたいです。コンサートも積極的にできたらいいなと思っていますし、もっと劇伴を身近に感じてもらえるようなものを広めていけたらなとも思います。そしてもう1つは、劇伴作家になりたい人をもっと応援できたらいいなとも思っていて、作り方をたくさんの人に知ってもらう機会を作れたらな、という試みに今、挑戦しています。
あと、海外のコンポーザーの方から連絡をいただくこともあるんですよ。趣味でロックをしている人、ジャズをしている人、様々にいますが、趣味で劇伴を作っている人もいてもいいなと思いますし、もっと分母を増やせるような取り組みをしたいですね。もちろん海外に演奏をしに行くなど、今までできていなかったような活動ができたらなとも思いますが、まずは自分が楽しんでやることと、作品を楽しんでくれる方を1人でも増やせるように、と過ごしたいです。






















