家入レオ「誰かの人生のサントラになりたい」 20代最後のアルバムで肯定する“歩んできた名前”
家入レオが20代最後となるオリジナルアルバム『My name』を10月2日にリリースした。今作には、尾崎雄貴(Galileo Galilei、BBHF)、片岡哲朗、下村亮介、須藤優(XIIX)、田邊駿一(BLUE ENCOUNT)、谷口鮪(KANA-BOON)、Charaなど豪華作家陣との共作と、自身が作詞作曲を手掛けた楽曲がバランス良く収録されている。「たくさんのことを経験して、今思うことは、自分らしくしか生きられないということ」――今作についてこんな言葉を寄せた彼女は、30代を目前にしてまた新たな心境で音楽と向き合った。自分らしく生きることと歌うことが深く繋がっている彼女ならではの、素直で純粋な心と、人間味溢れるチャーミングな歌声がギュッと詰め込まれた作品に仕上がっている。今回のインタビューでは今作に込めた「自分の名前」に対する想いを語ってくれた。(上野三樹)
「レオでも本名でも、もう隔たりはなくていい」
――今作『My name』は、どんな作品を作りたいと思って制作をスタートさせましたか。
家入レオ(以下、家入):自分の生まれ持った名前に向き合いたいなという想いがありました。昨年2月にリリースしたアルバム『Naked』は直訳すると「裸の」という意味でしたが、まさに20代のクォーターライフクライシスを経て自分の心に着ていた服を脱ぎ捨て、家入レオとして裸になれたような感覚がありました。そこで今回の作品では自分が生まれ持った名前に向き合うような音楽を作りたいなと。昨年、一緒にいるスタッフや環境が変わったことも大きくて、自分が見る世界や選ぶ価値観みたいなものがよりシンプルになっていきました。そんな中で「テレビやラジオといったメディアに出ている家入レオも素敵だけど、普段、打ち合わせをしたり、ご飯を食べに行って目の前に座っている家入レオも好き」と言ってもらう機会があって。自分では分けているつもりはなかったので最初は戸惑いもあったんですけど、デビュー当時は家入レオという名前をつけてもらったことで、本名でいるときの自分と、どこかスイッチングしていたことに気づきました。だけど、いつの間にかレオでも本名でも、そこにもう隔たりはなくていいんだなと思って。人の目をいい意味で気にしなくなったんです。
――そこで「自分の名前」がテーマの作品づくりが始まったと。
家入:はい。歌が好きで好きで仕方なかった少女の自分を迎えに行くような気持ちで音楽を作っていきました。大人になるって、生まれたときの自分に戻っていくことなのかなって最近思うようになって。このアルバム制作を通じて、なおさらその想いが強くなりました。
――大人になるにつれて、もとの自分に戻っていく?
家入:はい。10代の頃は直感で生きていて無鉄砲な良さもあったんですけど、経験がないから、何かを選ぶにしても感覚でしか選べない。「この人のことを信じていいのか」なんてことも含めてすごく直感的で野性的な自分で生きてきました。20代は理想の自分になりたい、理想を現実にしていきたいという日々だったから、どちらかというと心の動きよりも脳みその方に重点があった気がしていて。理想の自分になるために鎧も着ていたのかもしれないし、いろんなことに挑戦もしました。今は30代を目前にして、やっと自分で生きるということのスタートラインに立った感覚があります。ネガティブな意味ではなく、こうなりたいという理想の自分を諦められたんですよね。挑戦をしたからこそ自分には合わなかったこともわかったし、飾ることが生きづらさに繋がるということも知ったし、私は私で生きていくしかないんだなって。だから、もうすぐ30歳なのに、0歳のような、2歳のような、5歳のような自分が今います(笑)。
――だからなのか今回のアルバムはレオさんがいろんな葛藤をくぐり抜けた現在の、自然体で風通しのいい空気感を纏っていると思います。さまざまなアーティストとコラボした楽曲制作はどんな経験でしたか。
家入:本当に自分が背中を預けられるミュージシャンの方たちとご一緒させていただきました。Charaさんは、私がまだ地元の福岡にいるときに映画『スワロウテイル』を繰り返し何度も観ていたこともあり、いつかご一緒したいなと思っていました。今回『My name』を制作するにあたって、今がタイミングな気がして、ぜひご一緒したいですとお願いさせていただきました。Charaさんは他者と自分の境界線がない方なんだなと制作しながら感じる瞬間がありました。最後まで私のハートに似合う言葉やメロディを一緒に探してくださるというか。そして、本当におこがましいんですけど、音楽をする上で大切にしていることが似ている気がします。曲を作るための打ち合わせを終えたときに「まだレオちゃんのことわかんないから、1回Charaのお家に遊びにおいで」と言ってくださって、Charaさんが作ったご飯を食べたり、ソファーで寝転がったりしながら、いろんなことを話して。お互いがちょっとわかってきたかなっていうときに、Charaさんがピアノを弾き始めて、それにメロディを乗せていきました。「かくれんぼ」という曲の最初に鳴っているのが私が自宅で録ったボイスメモの弾き語りなんですけど、「こういう曲を作りたいんです」と最初にCharaさんに聴いていただいていたもので。そこをスタートとして曲作りを進めていたんですけど、Charaさんに「このボイスメモをそのまま入れちゃった方がいいよ」と言われて。クオリティがどうとかではなく、意味があるものなら入れていいんだと教えてもらいました。そういうことも含めて当たり前をもう一度見つめ直すような制作でもありました。
「自分に没入すればするほど、誰かを代弁することに繋がる」
――「かくれんぼ」というテーマはどういうきっかけで出てきたんですか。
家入:CharaさんとLINEで交換日記みたいなやり取りをしている中で生まれたテーマです。かくれんぼって私としては怖い遊びだなと思うんですよ。だって、完全に隠れちゃったらいつまでも見つけてもらえないし、見つける方も、見つけたいという気持ちがなくなっちゃったら帰るじゃないですか。小学生がみんなでかくれんぼしてて、自分だけ見つけてもらえなくて気づいたら日が暮れて……みたいな話も聞いたことありますが、そういうことって恋愛でもあると私は思うんです。そんな話をしてたら、Charaさんが「それ面白いから歌詞にしてみたら?」って。
――「かくれんぼ」を歌う柔らかな歌声も新鮮でしたし、このアルバムは全体的にレオさんのチャーミングな歌声がたくさん聴ける作品だなと感じました。
家入:そうなんですよね、「かくれんぼ」をはじめ、全ての曲を通じて思うのは、特別に声を作っているような感覚は全くなくて、それこそ生まれ持った自分の声に帰った感じがしました。
――尾崎雄貴さんの作詞作曲による「girl」はどんな制作でしたか。
家入:今までも何曲か提供していただいているんですけど、前回から時間が経っていたので、お互いに「お久しぶりです」ってオンラインで打ち合わせさせてもらって、今どういう気持ちで音楽をしているのかなどの話をしました。尾崎さんは出会ったときからずっと不思議な空気をまとっている方。曲で心を重ねたときに、自分が考えていることを尾崎さんも考えてるんだって驚きを感じます。音楽を通してより繋がって、そしてお互いを知ってきたのかもしれないです。尾崎さんご自身もGalileo GalileiやBBHFなど、いろんな形態、バンド名(名前)で音楽をされていますが、私も家入レオという形で音楽を続けていくことが正しいのかなと自問自答した時期がありました。でも今はそうして悩んだことも含めて、どの煌めきもどの痛みも一つひとつ、家入レオという人が担ってることが幸せだし喜びに感じているから、この名前で音楽を続けているんです。私が過去こんな気持ちだったということをファンの人が聞いたら「どうして?」って傷ついちゃうかもしれないけど、すれ違わないといいな……とても前向きなお話なので! 音楽をするということはいい時も苦しい時も、その姿をお見せしてしまうことになるので。そういう部分も自分の大切な一部だから。
――家入レオとして音楽を続けていくことをまた選べたのはどういう想いからですか。
家入:音楽をジャンルで捉えすぎていたというか。頭でっかちでしたね(笑)。そこに作り手や歌い手の想いがあれば、どんな歌を歌っていても大丈夫なんだと今思っています。これは今回のアルバムのタイトル『My name』に繋がってくるんですけど、どんな歌を歌っていようとも、誰かの人生のサントラになりたいっていう想いがあって。このアルバムには私が経験した出来事から織り成した11曲が収録されているんですけど、やっぱり誰かと繋がりたい気持ちが常にあるんです。だからこうしてアルバムに込めた想いを聞いてくださる場があることは本当に光栄ですし感謝なんですけど、リリースした後には、私が込めた想いよりも、聴いてくださっている方に「これは自分のために家入レオが歌ってくれてる歌なんじゃないか」と思ってもらうことが私の目指す喜びなので。だから、聴いてくれているあなたの名前がこのアルバムのタイトルでもあるという意味で『My name』と名づけたんです。私がたとえジャズを歌おうとも、ソウルを歌おうとも、それがJ-POPでも演歌でも童謡でも、そこに他者を想う気持ちがあれば、ちゃんと届いていくということがわかったから。どういう名前で活動をしても大丈夫だなっていう答えに行き着きました。
――これが私の人生です聴いてください、ではなく、誰かのサントラになりたいと。
家入:そう、それが音楽の面白さで。例えば「未完成」という曲の中に、〈愛を止めて 僕から逃げて〉とか、〈僕の愛でしか 寂しさ満たせないよ〉という歌詞があるんですけど。こんな歪んだ感情になるのって自分だけなのかなと思っていたら、「この気持ちわかります」って声がたくさん届きました。個人的な体験を歌って、こんな感情は誰にも認めてもらえないだろうと思って作った曲に共感してもらえて、繋がれたときの面白さって他にないなって。自分が自分に没入すればするほど、誰かのことを代弁することに繋がる。こんな面白い、そして幸せなことがあっていいのかなって思うんですよね。自分の感情を音楽にすることで昇華できて、それを他者に喜んでいただけるって、本当に尊いことだと思うから。