Red Eye、人生と直結したヒップホップイズムを貫く理由 『高ラ選』でのブレイクから武道館までの歩み

Red Eye、人生と直結したイズム

 Red Eyeの作品に享楽的なイメージがあるとしたら、5月1日にリリースされたEP『YOMI』、そして8月23日にリリースされたEP『TOKOYO』は、その認識や誤解を払拭することになるだろう。確かに、彼の作品にはハードコアな側面や、ストリートに立脚したメッセージがあり、15歳で出場した『BAZOOKA!!! 高校生RAP選手権』での活躍を皮切りに、10代で大きな注目を集めたことからも、ティーンエイジャーゆえの「刹那性」をイメージするリスナーも少なくなかっただろう。しかし『LIVING』や『LEGEND』、『MOTHER EARTH』などのアルバム、数々の客演を通して明らかになってきたのは、彼の根底にあるヒップホップイズムや、レゲエから影響を受けたであろうアンチシステムの思想であり、その根底にあるメッセンジャーとしての意識や言葉は『TOKOYO』でさらに強調され、彼のリリシズムとラップを深化させる。22歳というラッパー史上最年少での日本武道館単独公演を2025年2月5日に行う彼に、その胸中を聞いた。(高木“JET”晋一郎)

「弱さが強さに変換されるヒップホップに惹かれた」

――Red Eyeさんは大阪市住之江区のご出身ですね。その街について〈貧困地区で育ってきた/金のない人間の溜まり場さ/みんな薬を売るだけで/多くの奴は成功なんか出来ない〉と「Red Bull 64 Bars」の「Red Eye prod. by Homunculu$」編でラップされています。

Red Eye:出身は住之江区の下町の方ですね。住んでるときはあんまり思わなかったけど、出てから「かなり貧しい地区だったんだな」って改めて気づく感じでした。少なからずその街からいろんな影響を受けてるし、それで今の自分があると思う。だから本当に生まれてきた街、育った街であり、「地元」ですね。音楽に関して言えば、それは大阪全体に言えることかも知れないけど、レゲエも盛んだったんですよ。「これがレゲエなんだ」と認識する以前の小学生のときから、身近でかかってたのがレゲエで。だから、自分の原点にはレゲエがあると思いますね。

Red Eye prod. by Homunculu$|Red Bull 64 Bars

――ヒップホップに出会ったのは?

Red Eye:中学校1年生のときですね。地元の先輩に教えてもらって、iPhoneでMVを観たのがD.Oさんの「悪党の詩」。それを聴いて、ヒップホップを知ってどんどんハマっていって、自分もラップをやりたいと思ったんですよね。

――それだけハマった理由は?

Red Eye:その人の生活や、ライフストーリーと直結している音楽だったという部分だと思います。決して綺麗事ではないし、世の中的には正しくない内容だったりもする。でも自分たちが生きてきた中での経験を吐き出して、それをメッセージとして、音楽として成立させるヒップホップというアートフォームに、芸術的なものを感じたんですよね。

――「その人そのまま」がアートになる部分ですね。

Red Eye:そうですね。生活の中で培ったタフさもそうだけど、同時にその人の持つ弱さが強さに変換される部分にも惹かれていきました。それでビートを流して、見様見真似でラップをするようになって、練習を重ねるうちに自分の言葉が出てくるようになってきて。ただ、今みたいに自分の気持ちをストレートに吐き出したり、人前で堂々と歌えるクオリティではなかったですね。

――周りでラップをしてる人はいましたか?

Red Eye:全くいなかったです。だから完全に独学でリリックを書き始めたんですよね。そして、同じ時期に『BAZOOKA!!! 高校生RAP選手権』(以下、『高ラ選』)がブームになって。僕が観たのは第5回とか第6回大会だったかな。それで「自分もこのイベントに出たい」と思ったんですよね。

――やはりRed Eyeさんの世代にとって『高ラ選』は大きなファクターなんですね。Red Eyeさんよりも少し年上のAuthorityさんに話を伺ったときも、「『高ラ選』に出るのが一つの目標だった」と話されていて。

Red Eye:僕らはもちろん、ちょっと上ぐらいの世代までは、みんなそう感じただろうし。それぐらい流行ってましたね。自分も『高ラ選』に出ると有名になれるだろうな、名前を大きくする近道になるだろうと。

――MCバトル/フリースタイルの練習もそこから?

Red Eye:近所の公園で同い年の仲間とかとやってました。2~3人ぐらいの規模ですけど。で、仲間うちでラップしてたら、スケボーに乗った2人組が近づいてきて、「あ、絡まれるのかな」と思ったら、いきなりラップで話しかけてきて(笑)。それでそのままラップセッションになったんですけど、その人たちが「住之江公園で住之江サイファーっていうのをやってるから遊びにきてよ」って。

――美しい話ですね(笑)。

Red Eye:それで僕も住之江サイファーに通うようになって、そこで少しずつ進んでいった感じですね。その流れでライブもできるようになったり。

――それはバトルイベントではなく?

Red Eye:ライブですね。もともとバトルよりライブがしたかったんですよね。それで緑橋にある戦国大統領というかなりアンダーグラウンドなライブハウスでライブをさせてもらう機会ができて。ヒップホップの箱じゃなくて、ハードコアなロック系の箱だったんですけど、そこでのイベントで、最初のライブは持ち時間10分、オープンと同時にみたいな感じでした。

『高ラ選』での優勝を経て、代表曲「少年A」がヒット

――そして『高ラ選』には第12回大会に出場されます。

Red Eye:最初の応募で通りました。高校生になったんでやっと応募できるようになったんですよ(笑)。

――そうか、スタートは中学生だったんですもんね。

Red Eye:あの大会に出れたのは、ちょっとした奇跡だったんですよね。まず『高ラ選』のエントリーって、僕のときはネットで申し込むシステムだったんですけど、僕は当時メールの打ち方もあんまりわかってなかったし、どうエントリーすればいいのか把握してなくて。でも『高ラ選』の大阪オーディションが、韻踏合組合のHIDADDYさんが経営してる、梅田の一二三屋であるってことを聞きつけて、いきなり一二三屋に行ったんですよ(笑)。

――道場破りスタイルで(笑)。

Red Eye:当然ですけど、受付の人に帰らされそうになってたところに、審査員だったHIDADDYさんが通りかかって、「ラップしたいんならさせてやりゃいいじゃん」って、オーディションに参加させてくれたんですよ。それで第12回に出ることができたんで(笑)、HIDADDYさんは僕の恩人なんです。

――偶然HIDAさんが通りかからなかったら、今のRed Eyeの活躍は、もっと時間がかかってたかもしれないんですね。

Red Eye:自分の生活的にもいろいろあって、ここで出ないと次に出られる保証はない状況だったんで。第12回はいろんな奇跡が起きて出られた回でしたね。

――その大会でのRed Eye vs TERU戦で、TERRY THE AKI-06のクラシックから引用された〈裏庭独走最前線〉というワードがRed Eyeさんから出たときに、やはり驚きました。2006年のリリース曲なので、Red Eyeさんが4歳の時の曲になりますね。

Red Eye:小学1年の時には「正念場」とか「裏庭独走最前線」を聴いてたんで、TERRYさんは自分にとって原点だしルーツ。バトルでもあのワードを言おうと思って仕込んでたんじゃなくて、バトルの韻の中で自然に出てきたフレーズだったんですよね。そして、あのバトルが話題になって、TERRYさんサイド、420RECORDZの方と繋がることができて、「10代の子がああいう場所で、あのフレーズを言ってくれるとは夢にも思わなかった、本当に感謝してる」とおっしゃってもらえて。そこから縁が深くなっていって、「裏庭独走最前線2019」を制作することになったんです。8月31日、野菜の日に出そうよって(笑)。そういう風に、『高ラ選』に出てベスト4に登ったことで、フィーチャリングのお話やプロデューサーとも繋がるようになりました。

――そして2019年に行われた第16回で優勝を果たし、そこでバトルを卒業されます。

Red Eye:やっぱり生粋のバトルヘッズではなくて、バトルに出るのは自分の名前を売るのが目的だったんで。作品を作ってライブをしたい、そのために名前を広めたいというのがバトルへのモチベーションだったので、優勝も含めて、その目的はもう果たせたなと。

――お話のように、2019年にはアルバム『食わずに吸うだけ。』を4月20日にリリースします。作品としては配信でEマーク(Explicit Content)の注意があるように、ストーナー的なリリックや、ダーティな感触を受ける作品でした。

Red Eye:今だったらもっと上手に表現すると思うんですが、自分のライフと直結する内容を、当時のスキルで書くと、ああいった形になったんだと思います。自然に出た、勝手に出たリリックという感じです。

――一方で5月リリースの「Dear Family」は、プロデューサー 下拓のメロディアスなトラックに乗せて、センチメンタルな情景を描き、現在もロングヒットとなっています。

Red Eye:それも自然だったんですよね。その当時、僕の親友が捕まってしまって、その子に向けた曲を書きたいと思って作った曲で。だから戦略的にそういう流れになったわけではないですね。

Red Eye / Dear Family(Pro 下拓) [Music Video]

――また10月リリースの「少年A」はiTunes HIP HOPチャートで1位を獲得しました。

Red Eye:嬉しかったですね。もちろんバトルで評価されるのも嬉しかったんですけど、自分の作品が評価されて、チャートで1位を獲得するのは、純粋に嬉しかった。特に「少年A」は自分が一番最初に完成させた曲だったんです。13〜4歳ぐらいのときにベースになるリリックを書いた曲だったし、それがチャート1位になって、人に届くということが数字でわかったのはアーティストとしてかなり自信になりましたね。

Red Eye / 少年A (Official Music Video)

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