40代でのバンド再挑戦から海外ヒットへ ALBATROSS 海部洋、インディペンデントで戦う上で重要な戦略性

ALBATROSS、インディペンデントの戦い方

 ALBATROSSが待望の新曲「トーキョーリバー」を発表し、再結成を果たした。この楽曲は、孤独と喧騒が螺旋のように交錯する「東京」をテーマにしており、疾走感溢れるグルーヴと華やかなストリングス、高密度なアンサンブルで、東京の極彩色の世界を鮮やかに描き出している。

 高校時代の仲間と共に90年代終わりに結成されるも、2009年のライブを最後に一度は活動休止したALBATROSS。それから10年以上の時を経て再び活動を始めた彼らは、激動する音楽シーンの中でどのように戦略を立て、アジアでのバイラルヒットを達成することができたのか。新曲「トーキョーリバー」の制作エピソードはもちろん、再結成までの経緯や9カ月連続配信リリース「9 Chants」を経て学んだことなど、ボーカルでリーダーの海部洋にじっくりと語ってもらった。(黒田隆憲)

10年前から激変した音楽市場での戦い方

ALBATROSS 海部洋
ALBATROSS 海部洋

ーーまずは、解散から10年以上の月日を経てALBATROSSを再結成させたきっかけについて、改めて聞かせてもらえますか?

海部洋(以下、海部):ALBATROSSは高校時代の仲間と結成したバンドですが、20代の頃は年間100本以上のライブをこなすほど活発に活動をしていました。30歳を前にバンドは解散することとなり、僕は会社を立ち上げて30代は仕事に追われていたんです。一昨年その会社を売却したことによって、自分の人生に再び向き合う時間ができました。そして40代になり「次は何をしようかな」と考えたとき、30代で諦めたバンド活動にもう一度挑戦したい、と。当時はメンバーそれぞれの事情や自分自身の状況もあって活動を止めてしまいましたが、再びやりたいという気持ちが強くなっていったわけです。

 当時ALBATROSSは名古屋を拠点に活動をしていて、特に「APOLLO BASE」というライブハウスには66回も出演し、最多出場記録を誇っていたんですね。ところがその「APOLLO BASE」が閉店することになり、「最後に一度ライブをやってみたら?」と誘っていただいたんです。それが、ちょうど自分が再びバンドをやりたいと思っていた時期と重なり、最初は1回限りのライブのつもりでしたが、みんなでスタジオに集まりリハーサルなどしているうちに、自然と再スタートを切ることになっていましたね。

ーーメンバー全員が同じタイミングで「またやりたい」と思ったのはすごいことですね。

海部:まるで授かりもののような感じというか、狙ってできることじゃないと思っています。おっしゃるように、僕が「またやりたい」と思ったとしても他のメンバーにもそれぞれ10年以上の時間があり、その間に守らなければならない大事なこともたくさん出来たはず。ただ、解散しやり残してきてしまったことについては、それぞれが10年間ずっと後悔し続けてきたのかもしれないですね。別に解散しなくても、少し活動のペースを落とすなどしてバンドを維持する選択肢もあったはず。にもかかわらず、その時は思い切ってスパッと活動を止めたので、自分たちにとってその場所がどれほど大切だったのかを、全員が後から痛感したのだと思います。

ーーなるほど。とはいえ、働きながらのスケジュール調整やブランクを埋めるのは大変だったんじゃないですか?

海部:最初に話したように、現役時代は年間100本のライブ……つまり3日に1回はライブをしていたような状況で、移動も含めてほぼ毎日一緒に過ごしていたんですよ。まさに寝食を共にし、車の中で雑魚寝していたほどです。そういう意味では、お互いの良いところも悪いところも知り尽くしており、今なお家族のような存在なんですよ。なので、関係性やコミュニケーション自体のブランクはそれほど感じなかったのですが、今はそれぞれの生活があるのでスケジュール調整は非常に苦労しています。

ーー音楽業界の変化、例えば音楽の聴かれ方が10年前と今では全然違うじゃないですか。そこに対してはどう対処していきましたか?

海部:おっしゃるように僕らが活動していた頃はCDやフィジカルリリースが主流でした。アルバムを作ってリリースすることが大前提で、アルバムを出してなんぼという時代でしたね。でも今はみなさんご存知の通り今ではストリーミングサービスが主流になっていて、そこでどう戦っていくか非常に大きな課題でした。昔のようにライブ中心で、ずっとツアーに出てライブをするという活動はできないし、じっくり曲を作り貯めてアルバムをリリースという活動も違うという状況で、僕らはデジタルリリースやSNSでのプロモーションを積極的に活用することに注力しました。例えば、曲ができたら、すぐにレコーディングして、すぐに配信リリースをするというサイクルを9カ月連続で続けてみる。とにかく、バンドが動いているところを常に見せていかなければ……という思いが強かったんですよね。実際に始めた時はストックもほとんどなくて、文字通り「作ってレコーディングしてリリースして……」を毎月やっていたんです(笑)。

ーー9カ月連続リリースは「9 Chants」と名付け、いわゆる「恋愛ソング」とは違う歌詞を目指していたそうですね。

海部:そこはものすごく大事にしていました。40代になった自分が恋愛ソングを歌うのは、あまりリアリティがないと思ったんです。何より、音楽の存在意義って、聴く人の心を支えてくれたり、気持ちを代弁してくれたり、あるいは大切なことに気づかせてくれたりする存在だから。僕らの音楽も誰かのそういう存在でありたいという強い思いがあります。

ーー「9 Chants」の中でも「雨の夜と桃源郷」は台湾でバイラルヒットを記録し、Spotifyのチャートにも入るなどひときわ大きな反響がありました。

海部:率直な感想としては、とにかく「嬉しい」の一言です。正直、自分たちの音楽がどこまで届くかもわからないままスタートしましたし、実際この年齢からもう一度やって、ちゃんとマーケットに受け入れられるかどうか……普通に考えたらかなり難しいことだと思うんですよ。それでも挑戦し、結果を出せたことはもちろんですが、いろいろな国のリスナーの方からたくさんのリアクションをいただけたのが何よりの励みになりました。

ーーたとえば、どんなリアクションがあったのですか?

海部:特に台湾のリスナーが多かったのですが、離れた国の方々が、その国の言語でSNSにたくさんの嬉しいコメントを寄せてくれるんですよ。それには本当に感動しました。日本では流行が自然発生的というより、もう少し戦略的な仕掛けがあってこそ広まることが多いですよね。

 今、僕たちはインディペンデントで活動していて、ADA(ワーナー・ミュージック・グループの音楽ディストリビューター「ADA Japan」)さんにディストリビューションの協力をいただいていますが、ほとんどのことは自己資本でのプロデュースでやっています。そうなると大きな仕掛けを作るのは難しくて、戦略的に動くのはなかなか厳しいところがあります。僕自身はバンドを解散してから15年間広告業界に身を置いていたので、仕掛けを作ることの重要性やアイデアの必要性はもちろんよく理解しています。とはいえ、やっぱりお金が必要なんですよね。これは切っても切れない現実です。

ーー確かにそうですね。

海部:その点で言うと、海外では日本に比べてGDPの関係から、バイイング(広告の購入)がしやすい部分があるんです。DSP(デジタルサービスプロバイダー)の広告も実際に買いやすいんですよね。音楽はどこで再生されてもいいもので、僕たちも日本の方たちだけに聴いてほしいと思っているわけではない。目線を少し広げ、グローバルな視点で音楽を届けるという戦略を取ってきました。

 海外ではバイアスが少なくて、良いものは良い、ダメなものはダメだという反応がダイレクトに返ってきます。それはとても正直で自然な反応だと思うんですよね。インターネットやSNSが普及するまでは、国を越えて音楽を聴いてもらうことは考えられなかったかもしれません。今だからこそできることがたくさんありますし、それが結果に繋がったことを本当に嬉しく思っています。

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