JIJIM、6人で鳴らすバンドの矜持を語る 3カ月連続リリースで届けるメッセージとライブへ懸ける思い
コロナ禍で結成された男女6人組バンド、JIJIMが自主レーベル・Kilim recordを設立。今年7月よりデジタルシングルを3カ月連続リリースしている。
第1弾は、Ovallの関ロシンゴが編曲およびプロデュースを務めた「ヘルシーラヴ」。軽やかなモータウンビートに乗ったシンプルかつポップなメロディが、過ぎ去った恋愛を甘酸っぱく回想する歌詞と相まってバンドの魅力を存分に引き出している。続く8月23日リリースの第2弾「ナガグツボーイ」は、OvallのShingo Suzukiが編曲とプロデュースを手掛け、「ヘルシーラブ」から一転してメロウかつクグルーヴィーな大人のシティポップに挑戦した。第3弾となる「メーデー」は、9月20日にリリースされる。
トルコの伝統的な織物「キリム」の織り方のひとつであり、「小さくて楽しい」という意味もあるバンド名を冠し、メンバー6人の個性を活かしながらサウンドを紡ぐ彼ら。そもそもどのような経緯で結成され、どんな活動を目指しているのだろうか。バンドの発起人でもあるボーカルのシンジュに話を聞いた。(黒田隆憲)
異なるルーツを持った6人が集まり始まったJIJIM
――JIJIMはシンジュさんがメンバーを集めて結成されたと伺いましたが、まずはその経緯をお聞かせいただけますか?
シンジュ:僕がバンドをやりたいと思い始めたのは中学生の頃で、高校に進学してからバンドを組んでコピーをしたり、オリジナル曲を少し作ったりしていました。そのバンドが解散したあと、本格的に音楽をやりたいと思ったのが19歳の頃で、そこからメンバーを集めることにしました。当時、僕はベースを弾いて作詞作曲もしていたのですが、新しいバンドでは歌おうかなと思ったんです。
――メンバーはどんなふうに集めたのでしょうか。
シンジュ:まず、ドラムのカガミは小学校からの同級生で、僕の自宅から1キロも離れていないところに住んでいて。小中学校は一緒でしたが、高校は別。それでも一緒にバンドを組んでいて、「新しいバンドをやるならドラムは彼しかいない」と思って誘ったところ、「もちろんやるつもりだよ」と言ってくれました。これがバンド結成の始まりでしたね。
その次に声をかけたのが、ベースのオクム。オクムだけが埼玉出身で、他のメンバーはみんな山梨出身です。高校生の時に、僕たちが山梨でやっていたバンドとオクムが埼玉でやっていたバンドが交換イベントを主催し、そこで出会ったんです。オクムは昔からとてもベースが上手くて、僕がベースを断念したのは彼女が原因だと言ってもいいくらいです(笑)。彼女も声をかけたらふたつ返事で「やる」と言ってくれました。
――まずはリズム隊が決まったわけですね。
シンジュ:次がキーボードのヒトカです。彼女は僕らが高校時代にやっていたバンドのお客さんで、ライブを観にきてくれた時に「ピアノをやっている」と話してくれて。しかも昭和音大に通っているという話も聞いていたので、キーボードを入れるならヒトカだろう、と。最初は「クラシックしかやったことがないからバンドなんてできない」と断られたのですが、一週間くらいしつこく誘い続けた結果、ようやくメンバーになってくれましたね。
ギターのジンペイも高校時代のバンドメンバーです。でも、当時は音楽に対してそこまでの情熱はなく、部活感覚でやっている感じに見えていて。なので、音楽に本気になったかどうか、タイミングを見計らっていたんです。ジンペイが20歳くらいになった頃だったかな、「本気で音楽をやりたいんじゃないかな?」と感じて誘ったところ、「ちょうど今、バンドをやりたかったんだよね」と言ってくれて。
――グッドタイミングだったわけですね。
シンジュ:最初は5人でスタジオに入っていたんですけど、お互いのことをよく知らないメンバー同士でぶつかったり、言い合いをしたり。そんな時にホリ!!!(A.Gt/syn)に出会ったんですよ。彼は僕の実家の近くの大学に通っている大学生で、ダンサーでもありました。彼はどんな場面でも緩衝材のような存在になってくれる、見たことのないようなタイプの人でした。彼をバンドに誘いたいと思い、アコギを渡して「バンドをやらないか?」と声をかけたんです。最初は断られましたが、彼の家に毎日通い続けた結果、入ってくれることになり、今のバンドが完成しました。
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――JIJIMというのはちょっと変わったバンド名ですが、その由来は?
シンジュ:『魔女の宅急便』にジジっていう黒猫が出てきますよね。あのキャラクターがすごく好きで、「ジジ」にもう一文字加えられないかなって考えていたら、「ジジム」って言葉が浮かんだんです。かわいい響きだなと思って調べてみたら、実際にトルコ語で「小さくて楽しい」という意味があることがわかって。しかも、願いを込めて織っていく伝統的な織り方の一種の名前でもあると知り、とても素敵だなって感じたんです。メンバーもみんなすごく気に入ってくれて「JIJIM」に決まりました。トルコに特別な思い入れがあったわけではないのですが(笑)。
――(笑)。シンジュさんが音楽に目覚めたきっかけやルーツについて教えてください。
シンジュ:たぶん、父の影響が大きいと思います。僕の父はレコードがすごく好きで、家にはアナログレコードが2000枚以上あって、壁一面にぎっしり並んでいました。海外のロックバンド、ジャズ、クラシック、HIPHOPなどいろんなジャンルが揃っていて、物心ついた頃から家ではいつも音楽が流れていましたね。意識して聴いていたわけじゃないんですが、宿題をしている時も常に音楽がBGMとしてかかっているような環境だったんです。そういったことが、自然と自分にも影響していたんだろうなと思います。
――本格的に音楽をやろうと思ったのはいつからですか?
シンジュ:きっかけは、高校生の時にバンドのボーカルとふたりで幕張メッセにライブを観に行ったこと。ものすごくかっこよくて衝撃を受けましたし、「いつかこんなステージに立ちたい!」という強い思いが芽生えましたね。でも、自分の音楽性に影響を与えたという意味では星野源さんや大橋トリオさん、Nulbarich、洋楽だとノラ・ジョーンズ、そして最近もよく聴いているDaft PunkやTHE BRAND NEW HEAVIES、ジャミロクワイなどのアーティストが大きいですね。
――歌詞を書くうえで影響を受けたのは?
シンジュ:海外の作家さんが好きで、日本の作家さんと海外の作家さんのあいだには言葉の違いがあるのが面白いと思っています。たとえば、「木漏れ日」という日本語からは具体的な情景が思い浮かぶ。でも、海外の作家さんは「木々の葉が取りこぼした光」と表現する人もいれば、「木々の葉っぱの隙間から見える太陽」と表現する人もいる。そうした情景の表現にも作家さん独自の色があって、「こんな表現の仕方があるんだ」といつも感心しながら読んでいます。特に好きなのは、パウロ・コエーリョさん。日本でいちばん有名なのは『ベロニカは死ぬことにした』でしょうか。僕がいちばん好きなのは『アルケミスト 夢を旅した少年』という本ですね。
――曲作りでいちばん大切にしていることは何ですか?
シンジュ:悲しいことや辛いことは日々起こりますし、僕にも当然そういった出来事があります。でも、曲を聴いて悲しみや怒りを増幅させるような音楽は作りたくないんです。むしろ、そうしたネガティブな感情を和らげ、一人ひとりが聴いてくれた時に笑顔になったり、「そんな気持ちもあるよね」と共感してもらえるような音楽を目指しています。
音楽に人を幸せにする力が本当にあるのか、僕はまだ確信を持っていません。でも、そういうことが起きるかもしれないという気持ちでいて。だからこそ、歌詞を書く時は大切な人に手紙を書くように、人を傷つけず、攻撃しないように常に心がけています。