ボカロシーンの先駆者を徹底解剖 第2回(前編):はるまきごはん、現実世界からの脱出 創作と音楽のルーツを辿る

はるまきごはん取材前編:ボカロとの出会い

同世代のボカロPは“同じクラスにいる友達”みたいな感覚だった

ーーそんな中で、自分もボカロを使って曲を作ってみようと思ったのは?

はるまきごはん:初音ミクのソフトウェアを買う前に、DTMを始めるという過程が挟んでいるんですけど、もともとは「女性ボーカル曲を作りたい」と思ったのがきっかけです。でも、オンラインゲームしかやっていないようなヤツが、いきなり女性ボーカルに頼むなんてできるわけないじゃないですか(笑)。だから、そこで初音ミクを買うのは自然な流れでした。初音ミクの前に、重音テトで曲を作ったこともあります。無料のものとしてテトは代表格だったので、テトでボーカル曲を作ってみてから、初音ミクを買ったんです。テトも今すごく人気ですよね。昔はネタとして2ちゃんねるのスレッドから生まれた存在が今もこうして使われているのは、面白いなと思います。

はるまきごはん
初めて『THE VOC@LOiD M@STER』で参加したコンピレーションCD『百鬼夜行』

ーー自然な流れとはいえ、ボカロを聴くだけじゃなく自分でもやってみたいと思うのは一歩踏み出している気がしますが……?

はるまきごはん:たとえばマンガとかでも、「マンガを読んで、面白いから自分でもマネして描いてみる」ということは昔から手癖だったんですよ。ただ、現実でまわりにいる学校の人とかには見えない場所でやることだけは絶対的な条件。現実との分断だけを絶対的条件として、それが守られてさえいれば、憧れたものを自分で作ってみることは好きでしたね。自分がこうして活動していることは、いまだに昔の学校の友達は一切知らないです。

ーーそうなんですね。それで、2014年に「WhiteNoise」を初投稿すると。

はるまきごはん:そこに至るまでにも曲は結構作っていたんですけど、自分のなかでこの曲なら外に出せるというラインまで行ったら出そうと思っていて。「WhiteNoise」は、なかなか上手くできたと思えたので投稿しました。投稿してみたら、まったく聴かれないわけではなかったんですよ。当時は「これくらい聴かれたい」みたいな感覚すらなかったんですけど、コメントもきたりして、嬉しかったのを覚えています。

ーー2014年あたりに投稿し始めた人たちって結構いますよね。バルーン(須田景凪)さん、こんにちは谷田さん(キタニタツヤ)、ナユタン星人さん、カンザキイオリさんとか。

はるまきごはん:そうですね。でも、2014年頃はボカロの界隈自体のボリュームや規模感自体はすごく縮小していた時期って言われがちなんですよ。歴史全体で見ると、たぶんシーンの規模はたしかに小さくなっていたと思います。

ーーボカロが新しい音楽として注目を浴びて盛り上がった波が落ち着いたあと、くらいなんでしょうか。

はるまきごはん:そう言われている頃だと思います。2012から2013年あたりをピークに、ちょっと落ち着いちゃったね、って。

ーーだからこそ、新時代が始まったタイミングだったのかもしれないですね。

はるまきごはん:今はボカロPの母数が多いから、曲を出しても埋もれてしまうかもしれないけど、あの頃はそもそもの数が少なかったからこそ聴いてもらえたのかな、という感覚もあります。ボカロPも曲自体の数も、今よりすごく少なかったから、聴く側もすべてを追いやすかったんだと思う。だから、そういう時代でも聴き続けていたボカロリスナーや、楽曲を投稿し続けていたボカロPがいてくれてよかったなと思います。自分がボカロ曲を作っても、そこに聴く人がいなくなっていたら聴いてもらえることはなかったわけだから。

ーーはるまきごはんさんのように新しく入ってきた方々によって、音楽性もより広がった印象があります。いわゆるボカロっぽい曲だけではなくて、ロックも含めて幅広い音楽を聴いてきた人たちの自由さが前面に出てきたというか。

はるまきごはん:たしかに、僕たちの世代は初音ミクというものが中学生時代くらいから全然普通にあったので。黎明期は、やっぱり「初音ミクでどんな面白いことをしようか」という方向性の発想が強かったと思うんですけど、僕は初音ミクで大喜利をしてる感覚がなかったんですよね。音楽を発表する時のひとつの形として初音ミクで歌ってもらう選択肢があった、というか。自分で歌うのと同じような感覚で作れていたのは、シーンの流れのなかでちょっと変化したところだったのかなと思います。

ーー今でもお付き合いがある方は多いと思いますけど、当時同時期に始めた新人ボカロP同士のつながりや、お互いに意識することはあったんですか?

はるまきごはん:界隈が今と比べると全然小さかったのもあって、ちょっとでも聴かれている曲があると、情報として入ってきていましたね。ボカロPの友達と話していても、いい曲を書く人たちの名前はよく話題になっていたし。話に出て気になって曲を実際に聴くと「めっちゃいい!」みたいなことが起こりやすかったんですよ。これ、よく話すんですけど、自分たちの同世代のボカロPは“同じクラスにいる友達”みたいな感覚だったなって。今はすごく人数が多いから、同じクラスというよりは同じ学校、しかもマンモス校みたいなレベルだと思うけど(笑)。当時は今より緩かったというか、小さい集団だったイメージです。界隈のすべてがそうではないと思うので、全然別の集団もあったと思いますけど、自分の主観だとそんなふうに見えていましたね。

ーーそこまでガツガツしていない関係性?

はるまきごはん:うーん……あの頃もランキング自体はあったし、曲を発表する以上は聴かれたいし、「ガツガツしていない」とまでは言い切れないかもしれない(笑)。みんな和気藹々とやれていたかと言われたら、きっと苦しかった人は苦しかっただろうし、みんなそれぞれの想いはあったと思います。自分は、あまり気に病まずにやれていたほうだとは思いますけど。

ーーある意味、ライバルには恵まれていたというか。

はるまきごはん:そうですね。いい曲を書く人たちが本当に多かったと思う。今もたくさんいるけれど、そもそもボカロ界隈に対して信頼感があるんですよね。いい曲を書けばボカロリスナーたちが評価してくれると思えるのは、リスナーの感性が自分と近いからそうなるんだろうし。界隈を通して、音楽性が自分に合っているという感覚はずっとありますね。ほかのボカロPが「この曲いいよ」って教えてくれた曲は大抵いいんですよ。自分の作品がどう評価されているかはあまりよくわからないけど、そういう信頼感。

ーーああ、なるほど。

はるまきごはん:音楽の話をして、そのなかで「共感できる人が多いな」という感覚になれるのが自分的にはすごく心地好いんです。そこが違うと音楽の話も全然盛り上がらなかったりするので。感覚が近い人が多いのは、やっぱり嬉しいですよね。

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