【山上路夫×村井邦彦 対談】日本のポップスを更新した巨匠コンビ、半世紀以上にわたる交流を振り返る

山上路夫×村井邦彦 対談

 作詞家・山上路夫の作品集『山上路夫 ソングブック -翼をください-』が発売された。

 赤い鳥「翼をください」、ガロ「学生街の喫茶店」、小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」、アグネス・チャン「ひなげしの花」、梓みちよ「二人でお酒を」など、一時代を築き、人の記憶に残る名曲の数々を手掛けた山上路夫。同作は、作詞家活動60年の間に発表された楽曲を、CD5枚組でまとめた作品集となっている。

 リアルサウンドでは、本リリースを記念して山上路夫と作曲家・村井邦彦の対談を企画。山上と村井は「翼をください」を筆頭に、トワ・エ・モワ「或る日突然」、森山良子「雨あがりのサンバ」、フィフィ・ザ・フリー「栄光の朝」など、日本ポピュラーミュージックの礎を築いた名曲たちを世に送り出した名コンビであり、今年7月に55周年を迎えるアルファミュージックの創業メンバーでもある。

 旧知の仲である二人の出会いからお互いの作詞家/音楽家としての印象をはじめ、数多の名曲を制作した当時の思い出、半世紀以上にもわたる交流を振り返ってもらった。聞き手は、村井と小説『モンパルナス1934』を共同執筆した日本経済新聞編集委員の吉田俊宏が務める。(編集部)※TOP写真:山上路夫(右)、村井邦彦(左)

日本のポップスを変えた、名コンビが誕生するまで

『山上路夫 ソングブック -翼をください-』
『山上路夫 ソングブック -翼をください-』

ーーお二人の出会いがいつだったのか、覚えていますか。

村井邦彦(以下、村井):ガミさん(山上)と最初にどこで会ったのか、あまり覚えていないんだなあ。有楽町にあった渡辺音楽出版(渡辺プロダクションの出版部)に作詞家や作曲家、編曲家がたくさんたむろしていましたよね。打ち合わせのために呼ばれていくんですが、打ち合わせの部屋が2つしかなくて、廊下で打ち合わせをしたりとかね。なかにし礼さん、平尾昌晃さん、宮川泰さんとか、いろんな人が……。

山上路夫(以下、山上):東海林修さんもいたし、猪俣公章もいたな。

村井:そうそう、そういう作家たちが入り乱れて打ち合わせをしていました。そこで楊華森(よう・かもり)さんという渡辺音楽出版の名物プロデューサーが作詞家と作曲家を組み合わせるわけですよ。山上さんと僕とか、安井かずみさんとすぎやまこういちさんとか。だからガミさんも僕もいろいろな相手と組んでやっていたんだよね。一緒に作った最初の曲は何だったかな。

山上:渡辺出版でクニ(村井)と最初に組んだのは「或る日突然」(歌唱はトワ・エ・モワ)でしょう。

村井:うん、そうそう。

山上:確か、その前に「雨あがりのサンバ」(歌唱は森山良子)の曲をもらったんだよね。

村井:ああ、そうだった。ガミさんは何でもよく覚えていますねえ。すると渡辺出版の仕事をする前ですよね。本城さん(本城和治、フィリップス・レコードのプロデューサー)の紹介だったのかな。

山上:クニが曲を持ってきて、詞を書いてくれと言われて。そのあたりの経緯は、僕もあまりはっきりしないんですよ。

村井:僕が作曲家になるきっかけになったのが、良子ちゃんのレコーディングだったんです。ある夜、知人から「今すぐに来てくれるピアニストを探しているんだけど」って電話がありまして。築地にあったビクターのスタジオに出かけたら、担当が本城さんだったの。僕は作曲家になりたいなと思って習作を何曲か作っていたから、レコーディングが終わった後、良子ちゃんをピアノの横に呼んで聴いてもらったんです。「雨あがりのサンバ」はその時に聴かせた中の一曲。後でガミさんが詞をつけてくれたんだよね。あの頃いろんな作詞家と組んで仕事をしたんだけど、やっぱりガミさんがいちばん気が合うというかね。すごく仲良くなった。

ーー気が合ったというのは、作家同士としてでしょうか。それとも個人的に?

山上:うん、個人的にっていうのもあるね。とにかく非常に合っちゃって。

村井:ガミさんと一緒に何かやっていると安らぐんですよ(笑)。

山上:こっちもそうだったけど。

村井:例えば、作詞家ではなかにし礼さんや安井かずみさんとも仲は良かったんだけど、あまり安らぐという感じじゃないんだよね。

山上:へえ、安井かずみさんでも?

村井:安らぎはしないよ。だって僕より年上だし、ずいぶん若い頃から知っているしさ(笑)。

山上:でも、おれだってクニよりずいぶん年上じゃない?

村井:9歳上なんだよね。でも、仲間みたいな感じでね。

ーー村井さんにとって、山上さんは作家としての相性も良かったのでしょうね。

村井:ガミさんがいてくれたおかげですごく助かったんですよ。あの頃の流行歌といえば、酒場の歌が多かったでしょう。酒場で出会った女性の話とかね。もちろん、そういう歌が悪いというわけではありませんよ。それはそれでいい歌もたくさんあるんだけど……。

山上:昔はね、歌に出てくる女性というとお酒の匂いがしていたんだよね。ところが僕が書いた「或る日突然」に出てくるのは普通の女性だった。

村井:だからガミさんの作る詞は、僕の感覚に合うんだな。ガミさんは日常を大事にするんですよね。

山上:そうですね。僕は銀座なんかに行って飲んだりしないから、自分の題材は普通の生活しかないんですよ。

村井:ガミさんのそういうところが僕はすごく好きだったんだね。

ーー山上さんにとって村井さんはどういう作曲家でしたか。

山上:クニからもらう曲はそれまでの音楽と全然違うんですよ。詞を書きやすいなと感じましたし、こういう世界を書けるのがいいなと思いました。意気投合して「朝・昼・夜」(歌唱も村井邦彦)という曲を一緒に作ったんです。日常感たっぷりの歌詞でね。プロの人たちはみんな「いいね」と言ってくれた。しかしその曲を売ってくれるということにはならなかった。だったら、自分たちで好きな歌を作って、自分たちで売れるようにしようよ、と2人で話し合うようになったわけです。ある日、クニが会社をつくろうと持ちかけてきて「じゃあ、やりましょう」ということで、アルファミュージックを始めたんですよ。

村井:僕は作曲家になってから日は浅かったけど、ヒットソングみたいなものは短期間に一通り書いちゃったんだよね。「こういうのを書いてください」と人から頼まれて書いているのでは、もう面白くなくなっちゃった。それでガミさんと一緒に自分たちが好きなものを書きまくって(笑)。誰にも頼まれずに2人で曲を書いて、それを世の中に広める仕事をしたい。そう思ったわけ。そのためには作家として独立しなくちゃいけない。レコード会社や原盤製作者の下請けではなくて、僕たちが曲を作って、それを売り込みにいこうと……。

山上:うん、それが原点だよね。米国ではレコード会社や音楽出版社が作家を育てながら曲を作るでしょう。そういう形を目指すべきだと思ったんだよ。頼まれて作るのではなくて、自分たちが本当に作りたいと思うものを作ろうと。

村井:大変だったけどね。

ーー村井さんがパリに行って、バークレイ・レコード傘下のバークレイ出版と契約したのがアルファミュージックを設立する直接のきっかけになるわけですが、それが1969年5月でしたね。

村井:そうですね。

ーーその後、山上さんもパリに行ったそうですね。

山上:そうですね。クニに誘われて、初めてパリに行きました。

ーー1969年の秋ですか?

村井:秋でしたね。その時、アルファが提携したバークレイ出版の作家とガミさんが対談することになって、あれは面白かったな。ガミさんが「あなたは1年に何曲ぐらい書くの?」と尋ねたら、相手は「10曲ぐらいですかね。後はテニスをしています」と言って平然としているの。当時、ガミさんは年間300曲ぐらい書いていたからね(笑)。

山上:それはね、細かく言うと、僕が書いていたのは年に300曲を超えていたんですよ。でも、相手にそんなこと言えませんから、少し控えめに「200曲ぐらいかな」と言ったんです。それでも「おまえはクレイジーだ」と言われて(笑)。それで「じゃあ、あんたは何曲書くの」と聞いたら「おれは7曲だよ」って。「余った時間は何をしているの」と尋ねると「テニスをしている」と。僕たち日本の作家とヨーロッパの作家はずいぶん違うものだなと思いましたよ。日本はやっぱり遅れているんだなってね。年に200曲とか300曲とか書いて、ヒーヒー言ってさ。

村井:(笑)。日本はまだ高度成長期で、誰もが猛烈に仕事をしていた時代だったんだよね。

山上:そうそう。モノを作っては売って……。曲もそうですよ。作りためた曲を売るというのではなくて、とにかく新しい曲を次から次へとどんどん作って、どんどん売っていくというスタイルだったんですね。

ーー村井さんは、自分以外の作曲家と組んだ山上さんの作品についてはどう感じていましたか?

村井:ザ・タイガースは聴いているけど、ほかはあまり聴いていないかな。もちろん、好きな曲もたくさんありますよ。「夜明けのスキャット」(歌唱は由紀さおり)とか。スキャットを歌詞にしちゃうなんて、後にも先にもガミさんしかいないでしょう。

山上:アルファを始めてからは、クニは他の仕事が忙しくなっちゃってね。会社の仕事とプロデュースの仕事が。それでなかなか曲を書いてくれなくて……。

村井:うん、そうだったねえ。

山上:プロデュースの仕事ができて、それはそれで良かったんだけど、こっちとしてはもっと曲が欲しかったな。

村井:すみませんでした(笑)。僕がプロデュースしたブレッド&バターにガミさんが詞を書いてくれましたよね。あれは良かったな。

山上:うん、ブレバタは良かったね。

村井:雪村いづみさんが服部良一さんの名曲を歌った『スーパー・ジェネレイション』(演奏はキャラメル・ママ)というアルバムに1曲だけ新曲を入れたでしょう。当時、良一さんが書き下ろした曲にガミさんが詞をつけて。

山上:「昔のあなた」かな。

村井:そうそう、あれは今でも聴くんだけどいい曲だよね。

山上:本当にいい曲ですね。

村井:もう一回復活させたい曲です。

山上:うん、服部良一さんはすごい才能だった。

ーー山上さんは、自分以外の作詞家と村井さんが組んだ中で印象に残っている作品はありますか。

山上:安井かずみさんとトワ・エ・モワのデビューアルバム『或る日突然~トワ・エ・モワの世界』を作ったでしょう。作曲は全曲クニが手がけて。あれはすごく良かったんだよね。クニが書いたあの曲で、日本の音楽が変わったんじゃないかな。

村井:あのアルバムは全12曲で、半分をガミさんが作詞して、残りの半分は安井かずみさんでしたね。

山上:クニは一人で12曲書いたんだもんね。たったの1週間とかで。

村井:うん、そんなものですよ。

山上:信じられないよね。今となっては。

村井:若かったもん。

山上:あれが良かったんですよね。みんなが影響を受けて。あそこから、日本のポップスがガラッと変わったんじゃないですか。

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