「令和の日本に刺さってほしい」 Hwyl、社会や人間関係の核心をつく言葉と音楽

 Hwyl(ヒュイル)という言葉はウェールズ語で、「熱誠」「熱弁」といった意味があるそうだ。〈生活のためにアルバイト/節約のために抜くコンセント/ウーバーイーツは贅沢モン(中略)炊いたご飯ソッコー冷凍/これが現実ってもんよ〉と切実な東京暮らしをやるせない調子で歌った「暮らし」がTikTokでバズり、夏フェスに出演したりテレビでも続々と取り上げられた、人呼んで「東京庶民代表バンド」である。

【MV】「暮らし」Hwyl

 あきたりさ(Vo/Gt)、クマダノドカ(Gt)、タケマトモヤ(Ba)の3人にサポートドラマーを加えたHwylのライブを、僕は昨年、その「暮らし」しか知らずに見た。言葉と歌の力で押してくることを予想していたが、変化に富んだサウンドと趣向を凝らしたアレンジ、見事なテクニックで、音楽的な楽しさが山盛り。うれしい裏切りに高揚したものだ。

 2作目のミニアルバム『K/ERA』をリリースした3人にインタビュー。新作のことやバンドの来歴など、飾らない調子で率直に語ってくれた。あきたの一人称「わぁ」は津軽弁で「私」のことである。(高岡洋詞)

「バンドなんて二度とやらねえって思っていた」(タケマ)

タケマトモヤ、あきたりさ、クマダノドカ

ーーまず結成の経緯から伺えますか?

あきたりさ(以下、あきた):わぁとノディ(クマダ)はお互いに別のバンドをやってて、1回対バンしたことがあったんです。その後に自分のバンドがコロナで活動できなくなって、ノディもいろいろあってバンドをやめて、わぁは1年社会人をやってみたんですけど、つまんなくて、「なんのために上京してきたんだろ」って考えることが多くなって。そのころ23歳とかで、「まだあきらめる歳じゃないな。もう1回バンドやりたいな」って考えてたら、ノディのことを思い出したんですよね。もう一回組むなら「かっけえ」って思える人とバンドしたいなって思って、自分から連絡しました。

ーー対バンしたときのお互いの印象は覚えていますか?

クマダノドカ(以下、クマダ):下北沢のDaisyBarだったんですけど、30分ぐらいの持ち時間でめちゃめちゃな曲数やってたんですよ。30分通して1曲ぐらいの感じで、それが物珍しかったのと、もともと私は洋楽が好きなのもあって、あんまり歌詞を聴くタイプじゃなかったんですけど、歌詞が個性的で、すごく好きで。終わってから話しかけたら同い年だってわかって、「何が好きなの?」みたいな話をしたときに「このバンド知ってる?」とか言ったら「知らね」って言うし、とにかく不思議だった印象が残ってます。

あきた:ノディのバンド自体すごくかっこよかったんですけど、ギターの音もパフォーマンスも好きで、後から同い年って知って「同い年でこんなかっけえやついるんだ!」みたいな。自分はバンドもギターも人前で歌うことも始めたばっかりで、それなのにこんなことを思うのも変ですけど、「自分よりかっけえやついた!」みたいな感覚でした(笑)。

ーー当初は2人で活動していて、タケマさんが加入されたのは去年の5月ですが、それまでもサポートで一緒にやったりされていたんですよね。

タケマトモヤ(以下、タケマ):そうです。どれぐらいやったっけ?

クマダ:サポート始めてくれてから1年ぐらいで発表しました。その半年ぐらい前から加入する話はしてたんですけど、ちゃんと準備して自主企画ライブのときに発表しようって。

ーータケマさんは2人と最初に会ったときのことは覚えていますか?

タケマ:よく覚えてます。サポートする前から2人のことは知っていて。っていうのも、僕も前に別のバンドをやっていて、そのときにりさ先輩とは2回対バンしていて、ノドカちゃんは僕たちが出てたライブハウスにも出ていたんですよ。対バンはしたことないんですけど、「すげえ女の子のギタリストがいるらしい」みたいな噂を耳にしてて。

ーーサポートすることになった経緯は?

タケマ:いまも叩いてくれてるサポートのドラマーがいるんですけど、その子が共通の知り合いだったんです。

クマダ:もともとサポートしてくれていたベースの子があるライブで予定が合わなかったことがあって、そのドラムの子に「誰かいない?」って聞いたら「ひとりおもれーやつに心当たりがあります。連絡してみます」と言って、連れてきてくれたのがタケマでした。一緒にやってみたらめっちゃうまいし、リズム感がすごくハマる感じがあったんですよね。で、もともとのサポートベースが別のバンドに集中することになったから、しばらくサポートしてもらってたら「俺、入りたいかも」って言ってくれて。

タケマ:バンドなんて二度とやらねえって思っていたんですけど、やっぱりおもろいなと思って。りさ先輩と夜中、公園で電話してたときに加入したいと言ったら「ちょっとノディに聞くね」って。

クマダ:それで言うと私もバンドは二度とやる気はなかったんですよ。りさちが誘ってくれたときも「ありがたいんだけど……」って半年ぐらい断り続けてました。でもずっと飲みに誘ってくれて、デモとかも聴かせてくれるし、話していてもめっちゃいい友達だから、「こういう人とだったら組めるかな」と、ちょっとずつ思うようになって。

ーーできなくなったり、やる気をなくしたり。そういう3人が組んだということは「もう1回やってみるか!」と思える理由がそれぞれにあったんでしょうね。

あきた:このままじゃ青森に帰れないな、みたいなとこがありました。「音楽がしたい」つってこっちに出てきたのに、何も成し遂げてないまま何やってんだろうっていう。そうして考える時間があったのが、自分の場合はきっかけかなって思います。

クマダ:私も親に迷惑かけながらバンドをずっとやっていたわりに何も結果を残せてない感じがあって、りさちともそういう話をしていたんです。あと、もうひとつきっかけがあって、高校のときから追っかけていたバンドがいたんですけど、コロナ禍でずっとライブしていなかったんです。久しぶりにZeppでライブがあったときに友達に誘われて行ったら、初心を思い出して「まだやめられない!」って思っちゃって。次の日にりさちと飲む約束をしていたから、そのときに「やる」って言いました(笑)。

ーードラマチックですね。タケマさんは?

タケマ:「バンドはやらない」って思っていたのを忘れるぐらい面白かったんですよ、音楽的にも人間的にも。あとはなんだろ……青春したかったのかもしれないですね。高校のとき野球部で甲子園を目指していて、めちゃくちゃ大変だったけど楽しかったな、って。大人になるとそういうことがなくなるじゃないですか。でも、それをまだしていたいなってどっかで思っていて。それがバンドだったんです。

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