jo0jiに初インタビュー 漁港での暮らしが与える影響から音楽的ルーツまでを語り尽くす
jo0ji 24歳、父親は漁師。自身もアーティスト活動の傍ら、地元の漁港で働いている。友達のために書き始めたという没入感あるメロディアスな楽曲がインターネット上で広がっていき、畏敬の念を持って注目された新しい才能だ。ライブ経験もほとんどないままに行われた都内でのライブの評価も高く、活動開始から17カ月でSpotifyの次世代アーティストをサポートするプログラム『RADAR: Early Noise 2024』に選出。そう、聞きたい質問でいっぱいである。いざ対面してみると、アーティスティックで繊細なイメージとは裏腹に、気さくな素の姿に人間力の強さを感じ取ることができた。(ふくりゅう / 音楽コンシェルジュ)。
映画音楽や歌謡曲、フォーク……影響を与えた音楽
――幼少期や学生時代は、どんな性格でした?
jo0ji:小中高は、本当にダラダラと過ごしてました。これといって熱中したものがなければ、一生懸命に取り組んだこともなかったんです。音楽はずっと好きで聴いていたんですけど、かといって作るところまでのめり込めず。夢もないし、「何がしたいんだろうな」って漠然と生きていました。テレビが好きだったので、映画チャンネルはずっと観ていました。
――印象に残っている作品ってあります?
jo0ji:映画『天使にラブ・ソングを…』が小学生の頃からめっちゃ好きで、たぶん100回は観ました。あとは『ハリー・ポッター』シリーズとか、海外ドラマの『glee/グリー』も好きでずっと観ていましたね。
――映画以外にも好きなものってあります?
jo0ji:『銀魂』や『NARUTO -ナルト-』、『BLEACH』といったアニメも好きで。あとは、本当にぼーっとするのが好きだったので、家の前の海で特になにもしゃべらず、友達とぼーっとする放課後を過ごしていました。楽しいっていうより、気持ちいいみたいな感じでしたね。
――海の傍で育ち、漁港で働いている経験は、創作活動に影響を及ぼしていると思います?
jo0ji:どうなんですかね。イマイチわからないんですけど……おおらかな性格にはなったと思います。日常がせかせかした感じではなかったので。
――今も地元の鳥取県の漁港で仕事をしながら生活しているそうですね。
jo0ji:そうですね。都会は人が多くて、来てもすぐに帰りたくなっちゃうんですよ。なので、今は都内に住むことは考えてないです。
――インターネットがあるので数十年前とは確かに環境が変わりましたよね。Spotifyなど、ストリーミングサービスが広がった恩恵を感じていますか?
jo0ji:それはありますね。スマホで気軽に聴けるし、ふと流れてきた音楽もShazamを使えば誰の曲かわかるので。そんな意味で、今の時代じゃなかったら、たぶん僕は音楽をやってなかったと思います。とはいえ、ずっと同じ曲を聴き続ける良さもあると思うんですよ。いろんなものを次々にインプットするのもひとつの手だけど、軸になるような音楽はずっと聴き続けたほうがいいかなって。
――なるほどね。ちなみに、ピアノは小さい頃から弾いていたんですか?
jo0ji:小学2年生の頃、母親が昔使っていたピアノを家に持ってきて、「もったいないから」と弾くのを勧められて。「ピアノが家に来たから習ってみるか」くらいの気持ちで、近所のおばちゃんがやってるピアノ教室に通いました。小学5年生くらいでやめちゃったんですけど、楽譜が読めないので、その後も弾きたい曲があったら先生のところへ行って教わって。久石譲の「Summer」やボカロ曲の「千本桜」とか、目の前で弾いてもらって覚えました。ピアノを弾くのが面白かったんです。
――意識的に好きな音楽を聴くようになったのは、いつ頃?
jo0ji:気に入った音楽を聴くようになったのは、小学4、5年生くらいかな。それも映画の影響が大きかったですね。『グーニーズ』でシンディ・ローパーを知って、ベスト盤を買ってみたり。
――えっ、マジですか、僕と一緒だ。
jo0ji:そうなんですね(笑)。当時も今も、CDショップへ行くのに車で30分くらいかかるので、ふいに「これがいい!」みたいになったとき、親に連れていってもらってお年玉で買ってました。あとは、何かのきっかけで毛皮のマリーズの「Mary Lou」のミュージックビデオを目にして「映画みたいで可愛いな」と思ってずっと聴いていました。
――親が聴いていた音楽の影響もありますか?
jo0ji:めちゃめちゃありますね。漁師は海に出る時期と出ない時期があるんですけど、海に出ない時期は、夕方の5時くらいから暇なので家で飲むんですよ。両親は飲むときに、ずっとレコードをかけていて。中島みゆきさんや吉田拓郎さん、柳ジョージさん、RCサクセションが家では流れていました。
――どんな曲だったか覚えています?
jo0ji:RCサクセションは「多摩蘭坂」が入っていた『BLUE』というアルバムを聴いていて。吉田拓郎さんは「今日までそして明日から」が入っているアルバム。中島みゆきさんは『みんな去ってしまった』と『愛していると云ってくれ』。その2枚のレコードが家にあって、こっちが終わったらこっちに替えてって、延々と繰り返して聴いてました。飽きたら、また吉田拓郎さんを挟んだり。その頃に聴いていた音楽は、今でも聴いているので、本当に全部から影響を受けていると思います。それは、曲作りでもそうですね。
――音楽性としてフォークの影響は大きそうですね。最近の曲も聴きます?
jo0ji:自分で積極的にディグるわけではないんですが、音楽好きな3つ年上のいとこが「お前、これ聴け!」みたいな感じで教えてくれるんですよ。毎回センスが良いからハズレがなくて。自分で新しい音楽を見つけるより先に、彼が見つけた音楽を聴いてます。
――ライブも行ったりします?
jo0ji:岡山や広島、大阪など、鳥取の近くで興味のあるライブやフェスがあるときは、車で観に行ってました。高校2、3年生のときに観たエレカシ(エレファントカシマシ)は迫力がすごくて、中3のときに観たRADWIMPSはカリスマ性がすごかったです。
――ライブに刺激を受けて、自分もバンドをやってみようとはならなかったんですか?
jo0ji:本当に「すごーい!」ってだけだったというか。そこから感化されて音楽活動しようみたいなことは、なかったですね。
歌詞を綴る上で大事にしているのは「ジジィになっても歌えるもん」
――そんなjo0jiさんが音楽活動を始めたのは、どのようなきっかけがあったのでしょうか?
jo0ji:ラップを始めた友達に「ピアノが弾けるならトラックを作ってみてよ」と言われて。それで、ラップ向きなループするトラックを作るだけじゃ面白くなかったので、Aメロ、Bメロ、サビみたいなトラックを作ってみたんです。でも、彼はラッパーなので聴かせる前に「ないよな」と思って。でも、せっかくトラックを作ったし「あいつができるなら俺もできるかも」と、歌ってみました。
――最初に作ったのはどんな曲?
jo0ji:最初にYouTubeにアップした「不屈に花」です。「いっちょ曲を作ってみるか!」というタイミングに、落ち込んでいた友達がいて。その友達に向けて名言っぽいものをいれた応援歌を作ろうと思ったのがきっかけでした。最初はネタのつもりだったんです。だって、友達が曲を作るっていう時点で、おもろいじゃないですか。 だから、かしこまって真面目に作ったわけではなかったんですけど、作った曲を友達にLINEで送ったら「いいこと言うな、お前」みたいになって。そのときは1番までしかなかったので、その先を真面目に作って今の形になりました。
――印象的なjo0jiというアーティスト名は、いつ名付けたんですか?
jo0ji:「不屈に花」をYouTubeにアップしたときに付けました。すでにジョージ(Joji)というアーティストがいたので、それで、真ん中に数字の0を入れればいっかって。おしゃれだし。でも、検索での引っかかりやすさまでは、考えてなかったですね(笑)。
――歌詞はどのようにして生まれるんですか?
jo0ji:「こういうものを作ろう」と決めてから作り始めるので、テーマが決まってしまえば歌詞が書ける感じです。逆にいうと、テーマとなる出来事がないと作れないんです。なので、日常生活からテーマを見つけているときが、歌詞が生まれる瞬間かもしれないですね。
――歌詞を綴るうえで、大事にしていることはありますか?
jo0ji:「ジジィになっても歌えるもん」が、ひとつの軸ですね。年を重ねても似合うような曲というか。あとは、自分のひねくれているところを出すようにしています。人って深く考えれば考えるほど、結果的にある程度同じところへ辿りつく気がしていて。言うこととか考えることって、みんなそんなに違わないと思うんですよ。でも、その答えを導きだすまでの過程って、人によってそれぞれじゃないですか。僕はだいぶひねくれて結果に辿りつくので、その過程が見えるような言い方をするようにしています。曲がった言い方にしたほうが、自分らしい気がして。
――YouTubeの概要欄にもセルフライナーノーツを掲載していて良いなと思ったんですが、ああいったテキストを書くのはお好きなんですか?
jo0ji:好きではないんですけど、喋るよりは書いたほうがまともに人に伝えられるっちゅうのがあって。出たとこ勝負みたいなのができないんですよ。セルフライナーノーツを書いて届けるのは、自分に合った伝え方だと思いますね。
――歌のテーマが見つかった後、楽曲のメロディはどのように生まれるんですか?
jo0ji:自分の声質に合うメロディはこれなんだろうなっていう感覚がなんとなくあるので、そこに合わせる形で作っています。とはいえ、自分の曲が歌いやすいとはあまり思っていないです。メロディをちょっと考えてから歌詞を当てはめて、後から「ここはいらんな」って歌詞を調整していく感じですね。
――楽曲の雰囲気というか、編曲などで参考にしているアーティストはいますか?
jo0ji:そこは洋楽を参考にしていますね。アーティストだとThe 1975とかが好きで。でも、一番参考にしているのは『glee/グリー』かもしれない。作中で流行の曲をカバーするんですけど、けっこうガラッと編曲を加えるときがあって。The Beatlesの「抱きしめたい(I Want To Hold Your Hand)」をバラードにしたりするんですよ。それを観て「この曲って、こんなふうにもなるんだ!」って驚いたんですよね。意外性みたいなものは、そこから影響を受けていると思います。
――サウンドのテクスチャーとして、すでにjo0jiワールドを構築されていますが、アレンジなど外部クリエイターと共同作業されてみていかがでしたか?
jo0ji:勉強にしかなってないですね。自分のなかにあるイメージに、編曲家の人と一緒に近づけていく感じで。自分はリファレンスをいっぱい出すタイプなので、すり合わせながらやっています。この先、すべてを自己完結した曲を作ってみたい気持ちもあるんですけど、ひとりでやっていくつもりはなくて。ひとりでやっても高が知れてんなって思ってるんです。頼れるところは頼って、いろんな人に助けてもらいながらやっていこうと思います。
――ライブでも一緒のバンドメンバーと作り上げた新曲「escaper」は、これまでとちょっと違うテイストに仕上がっていましたね。
jo0ji:そうですね。ある程度編曲したデモをバンドメンバーに投げて「好きなように弾いてください!」から始めて、みんなで「ここはこうしたほうがいいよな!」って話しながら作っていきました。自分が指揮をとって進めるのは今回が初めてだったので、また一歩成長したなと思いましたし、楽しかったですね。