香取慎吾の「久しぶり」と思わせない力 『仮装大賞』と『行列のできる相談所』を振り返る
祝日・建国記念の日を含む2月10〜12日の連休に、テレビで披露された“久しぶりの再会”に多くの視聴者の胸を熱くした。それは、香取慎吾が出演した『行列のできる相談所』、そして『欽ちゃん&香取慎吾の全日本仮装大賞』(いずれも日本テレビ系)でのことだ。
2月11日に放送された『行列のできる相談所』では、香取が14年ぶりにスペシャルMCとして登場。東野幸治ら出演者から「久しぶり!」と声を掛けられたものの、まるで地上波バラエティのブランクなどなかったかのようにすんなりと番組に溶け込んでみせる。
さらに、この日は2002年1月クールでオンエアされていた香取主演の月9ドラマ『人にやさしく』(フジテレビ系)で共演した加藤浩次、松岡充、須賀健太も勢揃い。当時7歳だった須賀が、かつての香取の年齢を超える29歳になっていることに、あらためて時の流れの速さを感じずにはいられなかった。
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22年という長い月日が経過し、プライベートでの交流はまったくないと語った4人。テレビで顔を合わせたのも、おそらく2017年11月28日に放送された『おじゃMAP!!』(フジテレビ系)の時くらいだったと記憶している。それにもかかわらず、すぐに“あの頃”に戻ったように親しげな空気が流れるのも、その中心にいるのが香取慎吾だからなのだろう。
22年ものあいだ、香取から毎年季節の贈り物が届くと語ったのは松岡だ。携帯番号など個人的な連絡先交換は極力避けることでお馴染みの香取だが、縁のあった人への贈り物は欠かさない。その数は、およそ600人にもおよぶというから驚きだ。
香取は、この長い芸能生活において、どこまで踏み込んだ付き合いをするのかというラインを徹底して守ってきた。そのブレのなさを、人によっては「もっと近づいてくれてもいいのに」「どうしてそのラインを越えてきてくれないのか」と、歯がゆさを感じさせることもあっただろう。
実際、ドラマでの共演以来、連絡先を交換して家族ぐるみでの付き合いをしているという加藤と松岡は、番組内でも香取に「グループLINEを作ろう」と猛アピール。それでも香取は「そういうのが嫌な人もいる」と笑いを交えながら、きっぱりと断っていたのが印象的だった。
そんな香取を見ていると、“近づきすぎない”ということは、逆を言えば離れてしまう寂しさを与えないということでもあることに気づかされる。何年経っても、何歳になっても、出会った頃のままの距離感でいることのほうがむしろ難しいのかもしれない。ましてや、浮き沈みの激しい芸能界でのこと。お互いの環境がガラリと変わることもあるなかで、変わらないラインを守り続けることは、いつでも「慎吾ちゃん」とフレンドリーに話しかけたくなる存在でい続けるために、彼にとって必要なルールだったのではないだろうか。
また、その独特な香取の“親しみやすさ”のルーツは、「欽ちゃん」と呼ばれ続ける萩本欽一から来ているのではないだろうかとも。『行列のできる相談所』でフワちゃんや滝沢カレンとのやり取りを見て、東野が「ちょっと待って、口調が欽ちゃんに似てきた」と香取にツッコミを入れるシーンがあった。すると、香取の口からも「それはもうしょうがないですよ」との答えが返ってくる。
今年99回目を数える『仮装大賞』を、香取は65回目から萩本とタッグを組んで取り組んできた。それは、ちょうど『人にやさしく』がオンエアされていたころ。今年、22年越しの『人にやさしく』メンバーとの絆と、22年寄り添った萩本との結びつきが重なるというのも、なんだか運命めいたタイミングと言えるのではないだろうか。
いよいよ今夜!香取慎吾出演「欽ちゃん&香取慎吾の第99回全日本仮装大賞」3年ぶりの放送!https://t.co/2OevF0euyH#新しい地図#atarashiichizu#香取慎吾#ShingoKatori pic.twitter.com/m8O3fcEqOQ
— 新しい地図 (@atarashiichizu) February 11, 2024
2月12日、『仮装大賞』のオープニングで萩本は「来ました」と感慨深そうに会場を見渡した。それは、3年前に萩本が「今回でね、私この番組終わり。長いあいだ、ありがとう」と勇退を宣言していたことも大きい。しかし、その言葉は香取の言葉によって撤回されたのだ。
「慎吾に番組を置いて去ったつもりだったの。そしたら慎吾がね、ひとりでやってきて『僕、大将(萩本)やらないなら、やんないからね』って。だから、来た」。そして観客から届けられた鳴り止まない拍手と「欽ちゃ〜ん」という声援を受けて、少し瞳をうるませながら「来てよかった」とも。香取のワガママは、単に萩本欽一という大ベテランの出演を後押ししただけではなく、その先にいる長年番組を愛してきた視聴者たちのテレビ文化をも継承したように思えた。